第1章
純白のウェディングドレスは、私をまるでお人形のように感じさせる。
市内で最も高価なワイナリーにある、目が眩むほど豪華な祭壇に私は立っている。周りを取り囲むのは、桜原テックバレーのエリートたち。誰もが完璧なスーツやブランド物のドレスを身にまとい、シャンパンを片手に、私がもう慣れっこになったあの目つきでこちらを見ている。
『また、あの目だ』
「ねえ、彼女って本当に馬鹿なの?」人混みの下の方から女の声が聞こえてくる。囁いているつもりなのだろうが、一言一句はっきりと耳に届いた。
「七海さんが可哀想。あんな荷物と結婚だなんて」「でもお金は使いでがあるからな」と、別の男が口を挟む。
私の手が震え始める。ウェディングドレスのレースの袖が腕を覆っているけれど、心の震えまでは隠せない。私は笑顔を保とうと努める。お父様に教わった通りに『美和、君はいい子で、従順でなければならない。そうすれば、人に好かれるからな』
隣に立つ七海は、まるで雑誌の表紙から抜け出してきたようだ。スーツはアルマーニのカスタムメイド、腕時計はパテック・フィリップ、髪も完璧にセットされている。けれど、彼が私を見る目は……まるで処理しなければならない厄介事を見るかのようだ。
「喋るな。ただそこに立って、恥をかかせるなよ」彼はメディア向けの作り笑いを浮かべたまま、小声でそう言った。
さらに囁き声が群衆から聞こえてくる。
「黒田家も持つ小売チャネルのために必死だな……」
「絵は少し上手いらしいけど、頭がね……」
「しっ、聞こえるわよ」
泣きたいのに、泣けない。今日は私の結婚式。幸せなはずなのだ。私は笑顔をさらに明るくしようと試みる。「七海さん、私、頑張っていい奥さんになるから。お料理も覚えるし、あなたのこともちゃんとお世話する。約束するわ」
彼は私をちらりと見て、その目に苛立ちを閃かせた。「ああ、どうでもいい」
牧師が伝統的な誓いの言葉を読み上げ始める。七海に、私を妻として迎えるかと尋ねたとき、彼の返事はビジネス契約にサインするのと同じくらい簡潔だった。「誓います」
私の番になると、声が少し震えた。「誓います。心から、心から誓います」
群衆の中から誰かの笑い声がした。
七海が私にキスをする場面では、彼はタスクをこなすかのように私の頬にかすめるだけだった。カメラのフラッシュが狂ったように焚かれ、明日のゴシップ記事の見出しがどうなるか、私にはわかっていた。『テック界のプリンスの慈善結婚』『黒田家の善行』といったところだろう。
七海の氷のように冷たい表情をじっと見つめていると、ふと記憶の断片が脳裏をよぎった。
血。たくさんの血。
私は病院の白いシーツの上に横たわり、頭には分厚い包帯が巻かれている。ベッドの傍らにはお父様が座っていて、その目は真っ赤だった。
「美和、目が覚めたか」お父様は私の小さな手を握る。「頭を怪我して、少しだけ……物事を覚えるのが遅くなっちゃったんだ。だからこれからは、特別いい子で、従順でいないと、誰も君をもらってくれなくなるぞ」
八歳の私には「遅くなった」の意味がわからず、ただ頷くだけだった。「うん、すごくいい子にする、お父様」
「いい子だ。お父様が君を守って、良い嫁ぎ先を見つけてやるからな」
瞬きをすると、私は現実に引き戻される。七海は友人たちと乾杯していて、こちらに視線を送ることすらない。
披露宴は滞りなく進んだ。少なくとも、他の皆にとっては。私はメインテーブルに座り、七海と彼の桜原大学時代の仲間たちがブロックチェーンだの、メタバースだの、AIだの、そんな話に花を咲かせているのを眺めていた。私には何一つ理解できず、会話に加わることもできない。
「美和、さあ、乾杯しよう」七海がシャンパングラスを掲げる。けれど、そのグラスは私のものから遠く離されていて、まるで私のグラスに触れると何かがうつるとでも恐れているかのようだった。
私もグラスを持ち上げ、彼のに合わせようと手を伸ばすが、彼はもうグラスを引いてしまっていた。
「幸せな二人に乾杯!」誰かが叫ぶ。
皆が笑い、拍手する。
ようやく、永遠に続くかと思われた披露宴が終わり、七海は私をワイナリーのプライベートラウンジへと連れて行った。二人きりになると、彼はやっとあの作り笑いをやめた。
「七海さん、私たち、これから幸せになれるのよね?」私は囁くように、そっと尋ねた。
彼は振り返って私を見ると、ふっと笑った。でも、その笑い声は私を怖がらせた。
「幸せ?」彼の声には嘲りが滲んでいた。「馬鹿者、夢でも見てるのか。これはただのビジネスだ」
私は混乱して瞬きする。「ビジネスって、何?」
七海はネクタイを緩め、ソファに腰を下ろして足を組んだ。リラックスしているように見えるが、その目は危険な光を宿している。「お前は複雑なことを理解する必要はない。ただ、従順でいればいい」
「私、いつも従順にしてるわ」私は彼の向かいに座り、ウェディングドレスの裾をそっと撫でた。
「ああ、確かにお前は従順だ」彼は頷き、それから不意に笑みを浮かべた。おとぎ話に出てくる、悪いオオカミのような笑みだ。「だからこそ、お前は俺にとって利用価値がある」
利用価値?私はさらに混乱する。「私に何か手伝えることがあるの?一生懸命覚えるから」
七海は立ち上がると、床から天井まである窓辺へ歩いていき、この町の夜景を見下ろした。ポケットに両手を突っ込んだその後ろ姿は、成功したビジネスマンそのものだ。
「今夜、パーティーがある。お前も一緒に来てもらう」彼は振り返らないまま言った。穏やかな声色だが、要求というよりは命令だった。
「ええ、パーティーは好きよ」私は嬉しくなって言う。「たくさん人が来るの?」
「まあ……特別な友人たちがな」彼は振り返る。その目には、私には読み取れない何かがきらめいていた。「美和、支払わなければならない借金があるんだ」
借金?何の借金?
尋ねたいけれど、七海の表情を見ると、そんな勇気は湧いてこない。これまでの人生、大人たちはいつも私の理解できないことを口にしては、「お前はそんなことを知らなくていい」と言ってきた。
「着替えた方がいいかしら?」と私は尋ねる。
「いや、ウェディングドレスのままでいい」七海の笑みが深くなる。「今夜のお前は、とても……人目を引くだろうからな」
なぜだろう、彼の言う「人目を引く」が、良い意味だとは少しも思えないのは。
私の手は無意識にスマートブレスレットに触れていた。お父様がくれたもので、もし危険な目に遭ったら緊急ボタンを押しなさいと言われている。でも、何が危険なの?七海は私の夫で、お父様は彼が私を大事にしてくれると言っていた。
「七海さん」私は勇気を振り絞って尋ねた。「借金って、どういうこと?」
彼は歩み寄ってきて私の前にしゃがみ込むと、顔に触れようと手を伸ばしてきた。その手は冷たかった。
「馬鹿だな、美和」彼は優しく囁く。声は穏やかだが、瞳は氷のように冷たい。「お前は理解する必要のないこともあるんだ。ただ、今夜からお前はもう誰かの娘じゃない。黒田家の所有物だということを、覚えておけばいい」
所有物?
その言葉の意味はよくわからないけれど、良いものには聞こえなかった。
七海は立ち上がると、携帯でメッセージを打ち始める。「準備はいいか?そろそろ行こう。今夜はとても面白くなるぞ」
私は彼を見つめ、言いようのない不安を感じる。それでも、いつものように頷いた。
「ええ、七海さん。準備はできてるわ」
彼は笑った。結婚式の招待客たちが囁き合っていた時のことを思い出させる、そんな笑みだった。
『美和、いい子で、従順でいるのよ』お父様の言葉が耳の奥で響く。
でも、どうしてだろう。今回は、従順でいることが、良いことではないような気がする。
七海はもうドアに向かって歩き出している。「行くぞ、黒田奥さん。時間だ」
黒田奥さん。それが、私の新しい名前。
私は立ち上がる。純白のウェディングドレスの裾を床に引きずりながら、新しい夫の後について、未知の夜へと足を踏み出した。
