第2章
ヘリコプターのブレードに目がくらむ。
狭い機内では、純白のウェディングドレスが窮屈そうに押しつぶされていた。向かいに座る七海は、スマホをスクロールするばかりで、私を完全に無視していた。
「七海さん、一体どこへ行くの?」エンジンの轟音に負けないよう、私は叫んだ。
彼は顔も上げない。「言っただろ、友達に会いに行くだけだ」
「でも、どうしてヘリコプターが必要なの? こんなに遅い時間に出かけるなんて」私の声は震えていた。『嫌な予感がする。怖い』
七海はようやく私に目を向けたが、その瞳は氷のように冷え切っていた。「一度しか言わないからな。黙ってろ。着いたら、静かに立って、何も喋るな、何も聞くな。分かったか?」
頭の中は疑問でいっぱいだったが、私は頷くしかなかった。
小さな窓の外には、時折光の点が散らばる真っ黒な海しか見えなかった。永遠とも思える時間が過ぎた後、ヘリコプターが降下を始める。前方には、水面に浮かぶダイヤモンドのように、煌々と光を放つ島が見えた。
ヘリコプターはヘリポートに着陸した。七海が先に飛び降り、それから渋々といった様子で私に手を差し伸べる。私はウェディングドレスのトレーンを慎重に手繰り寄せ、正面に見える城のような建物へと歩いた。
『すごく広くて豪華な場所なのに、どうしてこんなに不気味なんだろう』
入り口には黒いスーツを着た男が二人立っていた。彼らは七海を見ると頷き、脇へと身を引いた。メインホールに足を踏み入れると、そこは金とクリスタルのシャンデリアで飾られていたが、人はまばらで、誰もがひそひそと話している。空気が重苦しい。
「七海!」
金の腕時計をつけた中年男性がこちらへ歩み寄り、七海の肩を叩いた。それから私に目をやり、驚きを隠せない様子を見せた。
「おっと、七海が花嫁を連れてきたのか? 今夜は大きく張るつもりか?」
七海は口の端を吊り上げた。「くだらないことを言うな、直哉。テーブルの準備はできてるのか?」
「もちろん。VIPルーム、テキサス・ホールデムで、バイインは750万円だ」直哉はそう言いながら、私のことを頭のてっぺんからつま先まで品定めするように見た。「けど、本当に彼女を連れてきて大丈夫なのか? まともな集まりじゃないんだぞ」
「問題ない」七海は私の手首を掴んだ。痛いほどの力で。「行くぞ」
私は廊下を引きずられるようにして、ある部屋へと連れて行かれた。七海がドアを押し開けると、そこは煙が充満した空間で、数人の男たちがチップの散らばる円卓を囲んでいた。
「皆、黒田七海のお成りだ」直哉が大声で告げた。
テーブルの男たちが一斉にこちらを向く。その視線が私に突き刺さり、まるで珍しい動物でも見るかのような目に、居心地の悪さを感じた。
「これが新しい嫁か?」禿げ頭の男が口笛を吹いた。「ウェディングドレスでカジノに来るとは、前代未聞だな」
「黒田のジュニアは遊びに来るのが待ちきれなかったと見える。初夜はうまくいかなかったのかもな」別の男が嘲笑った。
七海の顔が赤くなったが、彼は平静を装おうとした。
彼は私を隅のソファに突き飛ばした。「ここに座ってろ。動くな、喋るな」
私は言われた通りに座り、彼がテーブルに向かって歩いていくのを見つめた。ウェイトレスがチップを運んでくると、他のメンバーが彼のために席を空ける。プレイヤーは全部で六人。七海、直哉、禿げ頭の男、そしてビジネスマン風の中年男性が二人。
最後の一人は青い配達員の制服を着ており、この豪華なカジノでは完全に場違いだった。年は三十歳くらいだろうか、若く見える。端正な顔立ちをしているが、その表情は非常に落ち着いていて、他の者たちの興奮とは全く異質だった。
『どうして配達員の人がこんな場所でギャンブルを?』
「では皆さん、始めましょう」ディーラーがカードをシャッフルし始めた。
ゲームのルールは分からなかったが、緊張感だけは伝わってきた。七海はしきりにカードを確認し、時には眉をひそめ、時には無理に平然と笑ってみせている。
一手目、七海は200万を失った。
「ツイてないな、七海」直哉が空々しい同情の言葉をかける。
「まだ始まったばかりだ」七海は歯を食いしばりながら言ったが、額に汗が滲んでいるのが見えた。
二手目、さらに300を失った。
三手目、また負けた。
私は心配になってきた。お金のことはよく分からないけれど、七海の表情がこわばっていくのを見て、事態が良くないことだけは分かった。
「七海、今夜はここまでにしたらどうだ?」配達員の男が口を開いた。心地よい声だった。「時には引くことも知恵のうちだ」
「黙れ!」七海が彼を睨みつけた。「亮介、お前はただの配達員だろうが。俺に指図する権利がどこにある?」
彼の名前は亮介というらしい。『他の人たちみたいに意地悪じゃなくて、優しそうな人』
「ただ助けようと思っただけだ」亮介は肩をすくめ、依然として落ち着き払っていた。
他の男たちが七海を嘲り始めた。
「そうだぞ七海、そろそろお家に帰ってミルクの時間じゃないか?」
「黒田家のゴールデンボーイも、大したことないな」
「奥さんにやらせてみたらどうだ? 馬鹿にはビギナーズラックがあるかもしれないぜ」
七海の顔は真っ赤に染まり、拳を固く握りしめていた。「もう一回だ! こんなこと、信じられるか!」
彼は残りのチップを全てテーブルの中央に押しやった。「オールインだ!」
ディーラーがカードを配る。自分の手札を見た七海の顔は青ざめた。だが、もう後戻りはできない。
カードが公開されると、七海の手は弱いペアだったのに対し、亮介はポケットエースを持っていた。
「悪いな」亮介は静かにそう言うと、全てのチップを自分のほうへ引き寄せた。
七海は完全にすっからかんになった。
彼は呆然と座り込み、その手は震えていた。部屋は数秒間静まり返り、やがて直哉が口を開いた。
「まだ続けるか? もっとも、チップはもうないようだが」
「俺は……」七海は口を開いたが、言葉が出てこない。
「奥さんを賭けたらどうだ?」禿げ頭の男が意地の悪い笑みを浮かべて提案した。「どうせただの馬鹿なんだ。厄介払いの手伝いになるだろう。それにまだ処女なんだろ? 結構な金になるんじゃないか?」
何ですって?
私は凍りついた。「賭ける」って、どういう意味?
こっそりとスマホを取り出し、「ギャンブル 賭ける 意味」と検索する。その説明に、血の気が引いた。
「ギャンブルにおいて、何かを賭けるとは、負けた場合にそのものを手放さなければならないことを意味する」
『七海に私を賭けろって? もし彼が負けたら、私は……』
七海はきっかり三秒間黙り込んだ後、冷たい光を瞳に宿して顔を上げた。
「いいだろう。彼女を賭ける。だが、こいつは安くないぞ、少なくとも1億だ」
「また私をいらないって言うのね!」私は飛び上がり、涙が頬を伝った。「七海、また私がいらなくなったのね! お父さんが言ったみたいに、誰も私のことなんて欲しくないんだ、そうでしょ?」
皆が私を見ていた。ある者は憐れみ、ある者は嘲り、またある者は無関心に。
だが、亮介だけは違う眼差しで私を見ていた。
「その賭け、受けよう」亮介が言った。
ディーラーが再びカードをシャッフルする――この一手で、私の運命が決まる。
見ていられなくて、私はただ目を閉じて祈った。『どなたか、どうか、優しい人に出会わせてください。もうこれ以上、誰かのお荷物になりませんように……』
「ショー・ユア・カード」
目を開けると、七海の顔は紙のように真っ白で、一方の亮介は相変わらず落ち着き払っていた。
「スリーキングス」ディーラーが亮介の手札を告げた。
「テンのペア」七海の手札だ。
亮介が勝った。
彼は立ち上がり、ゆっくりと私の方へ歩いてくる。私は恐怖に身を縮こませたが、彼は私の目の前で立ち止まり、優しく尋ねた。
「僕と一緒に来てくれるかい?」
彼の瞳を見つめる。七海のような冷たさも、他の男たちのような侮蔑もなく、そこには今まで見たこともないような優しさがあった。
「私……」私の声はか細かった。「分かりません」
「それでいいんだ」亮介は私に微笑んだ。「君には選ぶ権利がある。これは本当の賭けじゃない。誰も他人の自由をギャンブルの対象にはできないんだから」
七海が勢いよく立ち上がった。「どういう意味だ、そりゃあ! こいつはお前に負けたんだぞ!」
「あなたが僕に負けたんだ」亮介は七海の方を向き、その視線はにわかに鋭くなった。「彼女じゃない。それに、黒田さん、こんな取引が法的に通用するとでも思うのか?」
直哉と他の男たちは不安げに顔を見合わせた。空気が張り詰める。
亮介は再び私に視線を戻した。「一度だけでいい、僕を信じてくれないか? 君を傷つけたりはしないと約束する」
理由は分からないけれど、彼の誠実な瞳を見つめているうちに、私は頷いていた。
「よかった」亮介は手を差し伸べた。「それじゃあ、行こう」
その手に自分の手を重ねた瞬間、今まで一度も感じたことのない安心感に包まれた。
この先に何が待っているのかは分からない。でも、少なくとも、もう私はポーカーチップのように使われるお荷物ではなくなったのだ。
