第1章
今夜、私はどうしてもカレブを落とさなきゃいけない。
全国最高峰の『運命の伴侶』マッチング機関に、八桁の大金を叩き込んで契約した――上級の狼男の伴侶。狙ったのはトップクラスのスペック。プロフィールに刻まれた「絶対服従」。そして何より、映画スターですら霞むほどの顔。
……なのに、この数か月で全部が想定から外れた。
触らせてくれないのだ。
買ったばかりの黒いレースのネグリジェを纏い、裸足で廊下のカーペットを踏む。そっと扉を押し開けると、カレブが窓辺に立っていた。
とにかく背が高い。190センチ近い体躯が放つ圧は、息が詰まるほどだ。広い背中が、シンプルなグレーのTシャツをぱつんぱつんに張らせている。
私は大きく息を吸い、わざと距離を詰めた。
「カレブ、もう遅いわ」声を落として、彼の肩に手を回そうとする。
――なのに、彼は振り向きもしない。
ひどく冷淡に身をひねり、私の接触を寸分違わず避けた。
「主様、どうか安全距離を保ってください」
胸の奥で、カッと火がついた。
「安全距離?」歯を食いしばり、冷たく整いすぎたその顔を睨みつける。「私はあんたをボディガードにするために買ったんじゃない! あんたは私の伴侶でしょ!」
カレブは視線を落とした。深い瞳には、波一つ立たない。
「私のサービスにご不満がある場合は、機関へお申し立てください。ですが今は、お戻りになってお休みを」
またそれだ。
距離を縮めようとするたび。露骨に誘っても、遠回しに示しても。彼はいつだって、職務そのものみたいな冷たさで私を押し返す。
腹の底から震えが来て、私は勢いよく踵を返した。
「いいわ。覚えてなさいよ。今日こそ、はっきりさせてやる!」
寝室に戻るなり端末を開き、マッチング機関の専属サポートに接続する。容赦なく、矢継ぎ早に叩きつけた。
「説明を要求します! どうして私の狼男は私に無反応なんですか。今すぐ、強制服従コマンドのロックを解除して!」
一分も経たないうちに、返答が爆弾みたいに落ちてきた。
「申し訳ございません! お客様! どうか、どうか衝動的な行動はお控えください!」
「バックエンドの照合の結果、システム障害により発送品を取り違えております!」
「カレブは伴侶型ではありません。最上位かつ極度に危険な護衛型です!」
……護衛型。
頭の中で、ぶわん、と音がした。サポートはまだ止まらない。画面越しでも、相手の怯えが伝わってくる。
「護衛型には伴侶としての機能が一切ありません。設定は殺戮と防衛のみです!」
「国家最高機密法により、護衛型への『強制服従コマンドの実行』は厳禁です。強制指令を使用した場合、あるいは強要を試みた場合――」
「即座に狂化本能が発動します。忍耐が限界に達すると、お客様を引き裂きます! 生命に重大な危険が及びます!」
強要したら、狂化して、私を引き裂く……?
冷や汗が一気に噴き出し、ネグリジェが肌に張りついた。
ここ数か月のことがフラッシュバックする。親密になりたくて、彼にカーペットで寝るよう命じた。腕を組んで外に出た。――さっきだって、無理やり迫ろうとした。
私、何をしてたの……?
とんでもなく危険な獣の逆鱗を、指先でなぞってたんだ。
だからあんなに冷たく拒んだのか。駆け引きなんかじゃない。私を握り潰したい本能を、必死に抑えてた……。
生存本能が、余計な熱を全部踏み潰した。
私はベッドから跳ね起き、カーペットの端へ駆ける。カレブの枕と毛布を掴み上げて廊下に放り投げ、扉を閉めて鍵をかけた。
数秒後。低い足音が近づく。
いつもと違って、彼のほうからノックが来た。
「どういう意味ですか。今夜は中で警護が不要だと?」
私は扉に体重を預け、唾を飲み込んで、平静を装う。
「そうよ。最近、神経が弱ってて。一人で寝たいの。あなたは客間に行って」
外は、死んだみたいに静かだった。
長い、長い沈黙。彼が苛立って扉を破るんじゃないかと思った頃、ようやく声が落ちてきた。
「……承知しました」
私はその場にへたり込み、肺が痛くなるほど息をした。
端末には補償案が届いていた。
「お客様、このたびは大変なご不快と恐怖をおかけし申し訳ございません。致命的な不手際への補償として全額返金、ならびに『絶対に温順』な伴侶型の金毛狼男を至急追加手配いたします。いかがでしょうか」
……卑怯なくらい、心が揺れた。これこそ私の望みだ。
カレブが、温まらないどころか命を奪いかねない氷の塊なら。わざわざ自分の命を賭ける必要なんてない。
私は迷わず返信した。
「同意します」
翌朝。彼を避けるため、わざと部屋でぐずぐずしてから出た。
距離を取る。今日からそれが、私の唯一の生存ルール。
ダイニングに入ると、カレブはもう朝食を整えていた。生活能力だけは、完璧すぎるほどだ。
でも今は、そんなこと何の意味もない。
私は終始うつむいたまま、彼を一度も見ない。長いテーブルのいちばん端――彼から最も遠い椅子を引いた。座ろうとした瞬間、頭上の光が巨大な影に塞がれる。
いつの間にか、カレブが真横に立っていた。彫りの深い顔は無表情。だが周囲の空気だけが、重く沈んで圧し潰してくる。
問いかける間もなかった。
彼の腕が伸び、ざらついた大きな手が鉄の万力のように私の腰を掴む。
「きゃっ!」
喉から悲鳴が漏れた。恐ろしい腕力で、私は片手で持ち上げられる。足が床を離れた瞬間、心臓がひっくり返った。
次の瞬間、どん、と押しつけられた。
目を見開く。私は――彼の硬くて熱い太腿の上に、無理やり座らされていた。
「な、何してるの!?」
恐怖が一気に全身を駆け上がる。私は体を強張らせ、両手で彼の広い胸を押し返し、危険すぎる距離を必死で引き離そうとした。
「離して! カレブ、下ろして!」
けれど私の抵抗など、彼にとっては取るに足りない。カレブは腰に回した腕をぐっと締め上げ、隙間ひとつ許さず私を抱え込んだ。
そして突然、身をかがめた。攻撃的な美貌が、ぐいっと迫る。冷たい息が耳元をかすめた。
掠れた声が落ちる。
「どういう意味ですか。主様は今、独り立ちでもするつもりですか。もう、私が要らないと」
