第4章
「本当に沖縄に行ったのか」
神森悠の声が、受話器の向こうから低く掠れて聞こえてきた。
「仕事中なんだけど、何か用?」
私は短く答え、視線はパソコンの画面に映るキャラクターデザイン案に落としたままだ。
「なんでブロックしたんだ」
彼の声には、信じられないといった響きが混じっていた。
「今まで喧嘩しても、こんなことしなかったじゃないか」
「別れたから」
私は静かに事実を告げ、そっとマウスをクリックした。
電話の向こうで数秒の沈黙が流れ、彼は問い返してきた。
「前の別れの時だって、ブロックはしなかっただろ」
「それは今まで、いつも私から謝って仲直りを求めてたからじゃない?」
彼の驚いた顔が目に浮かぶようだ。
オフィスの入口から、同僚が沖縄の方言で挨拶してくる声が聞こえた。
「彩里さん、今日のデザイン、でーじ最高だったよ!」
「ありがとう、また明日ね」
私も覚えたての沖縄方言で応じる。
「お前が俺の電話を無視して、他の奴を優先したのは初めてだな」
神森悠の声が、急に氷のように冷たくなった。
私は応えず、デスクの上の書類を片付け続ける。
彼の口調は、何かを確信したようだった。
「聞こえたぞ。沖縄訛りだ」
「ええ。地元のゲームパブリッシャーとの協業で、会社から派遣されたの」
私は認めた。この事実を隠す必要はない。
「お前、今まで出張任務なんて絶対に受けなかったじゃないか」
彼の声には、どこか寂しさが滲んでいた。
「沖縄に行ったら、俺の面倒を見る人がいなくなるって言ってたのに」
その言葉に、胸がずきりと痛んだ。そうだ、三年前、私は沖縄行きのチャンスを断った。二年前は北海道のプロジェクトを、去年は大阪での研修を断った。その度に、彼が「自分の面倒を見る人がいなくなる」と言うから、諦めてきたのだ。
そして今、私はついに、夢にまで見た沖縄に来て、潮風を吸い込み、紺碧の空を見上げている。
この数年間、彼のためにどれだけのキャリアアップの機会を諦め、どれだけ自分の夢を棚上げにしてきたのだろう。
電話の向こうの神森悠は、私が何か言うのを待っているようだったが、もう引き止めるような言葉を口にする気はなかった。
「もう退勤するから。じゃあね」
私は電話を切り、かつてないほどの解放感が胸に込み上げてきた。
一週間後、私は沖縄でバルコニー付きのアパートを借り、毎朝遠くに海を眺められるようになっていた。その日の仕事終わり、私はゲーム会社の同僚数人とプロジェクトの進捗について話し合うため、近くの居酒屋へ行くことになっていた。
会社の玄関を出た途端、見慣れた人影が目に入った――神森悠が、いつもの高級スーツに身を包み、その場に不似合いな様子で立っていた。
「島尻彩里」
彼は私のフルネームを呼んだ。その口調は平坦で、まるでただの知り合いに話しかけるかのようだった。
同僚たちは気を利かせて先に去って行き、沖縄支社の入口には私たち二人だけが残された。夕方の潮風が、湿った香りを運んで吹き抜ける。
「神森さん、どうしてここに」
私は平静を保とうと努めながら尋ねた。
彼は私の目をまっすぐに見つめ、単刀直入に切り出した。
「どうしてまだ仲直りをしに来ないんだ」
あまりに直接的で、そしてあまりに馬鹿げた問いだった。私は脱力感を覚える。神森悠は私の気持ちを一度も理解したことがなく、ただ私が追いかけ、譲歩することに慣れているだけなのだ。この十年、喧嘩の後はいつも私が頭を下げ、彼は自分の問題を省みたことすらない。
「もう、仲直りしたくないから」
自分の声が、驚くほど静かにその言葉を紡ぐのを聞いた。
そう口にした瞬間、まるで重荷を下ろしたかのように体が軽くなるのを感じた。
神森悠の表情が、一瞬で固まった。彼は困惑したように問いかける。
「なんでだ」
彼の反応は、私の推測が正しかったことを裏付けていた――彼は私が過去のパターン通りに行動しなくなるなど、考えたこともなかったのだ。私が追いかけ、譲歩することに、あまりにも慣れすぎていた。
「疲れたから」
私は彼の目を見据えた。
「あなたと一緒にいると、いつも気を遣って、何か間違えて機嫌を損ねやしないかとびくびくしてた。喧嘩するたびに、これが最後かもしれないって不安で、どんな犠牲を払ってでも関係を修復しようとしてた。でも今は、別れた後の生活の方がずっと穏やかだって気づいたの。もう毎回の喧嘩や、あなたの別れの脅しに怯えなくていいんだって」
夕陽の残光が、神森悠の顔に落ちる。その表情は複雑で、読み取ることができなかった。
「俺のこと、もう愛してないのか」
彼は信じられないといった口調で尋ねた。
少し考えてから、私は正直に答えた。
「たぶん、もう愛してないんだと思う」
自分の感情に、これほど正直に向き合ったのは初めてだった。
十年の感情は、まるで着古した上着のように、元の形がわからないほど擦り切れてしまっていた。
神森悠が私の手首を掴もうと手を伸ばしたが、私は優雅に一歩下がり、その接触を避けた。
「島尻彩里、俺たちは十年も一緒にいたんだぞ」
彼の声には、懇願の色が混じっていた。
「お前はいつも戻ってくるじゃないか」
「ええ、十年ね」
私は頷いた。
「その十年間、いつも私から謝って、私から仲直りを求めて、私から譲歩してきた。あなたは考えたことある? どうしていつも、私が頭を下げていたのか」
神森悠は黙り込んだ。彼はその問いについて、一度も考えたことがないようだった。
「私があなたを愛してるか聞く前に」
私は彼の目を見据え、静かだが、揺るぎない声で言った。
「自分に問いかけてみたら? あなたは私を愛したことがあったのか、それともただ、私に愛されることに慣れていただけなのか」
そう言い終えると、私は踵を返し、待ってくれている沖縄の同僚たちへと大股で歩き出した。潮風が私の髪をなびかせる。私は振り返らなかった。心は、かつてないほどの軽やかさに満ちていた。
この瞬間から、私は解き放たれたのだ。
