第4章 罠に誘い込む
安田美香は彼に見つめられて少し落ち着かない様子で、手を引こうとしたが、彼にさらに強く握られてしまった。まるで彼女が逃げることを恐れているかのように。
「叔父さん、もう少し私と一緒にいてくれませんか?一人は怖いんです……」安田美香は小さな声で彼を呼び、弱々しい声で懇願した。
藤原時は我に返り、彼女の手を離して立ち上がった。「用事がある。先に行くよ」
彼は振り返り、ドアに向かって歩き出したが、足を止めて振り返り、冷たい口調で言った。「もう馬鹿なことはするな。ちゃんと傷を治せ」
安田美香は彼を見つめ、瞳を揺らめかせた。「叔父さん、私を救うために背中を怪我したのに、今日もこんなにかばってくれて。せめてお礼をさせてください。そうでないと私、心が落ち着きません」
藤原時は拒まず、病床に腰を下ろし、目を閉じて静養した。
病室内には薬品の匂いが漂っていた。
「私がやります」安田美香は看護師の手からトレイを受け取ろうと手を伸ばし、藤原時に世話を焼こうとしていた若い看護師を追い払った。
看護師は躊躇いながら「安田さん、これは……」と言った。
「大丈夫ですよ、お仕事に戻ってください。私がいれば十分です」安田美香の声は柔らかいながらも、断れない力強さを帯びていた。
看護師は安田美香を見て、それから目を閉じている藤原時を見て、最終的には不満げにうなずきながら退室し、静かにドアを閉めた。
安田美香はトレイを持って病床のそばに行き、ゆっくりと藤原時の体から包帯を取り外した。
筋肉質な肌、広い背中、そして目を引く無数の痕跡が痛々しかった。
安田美香の指先が震え、綿棒に薬液を染み込ませ、そっとそれらの傷跡に塗った。
薬液が傷口に触れると、藤原時の体がわずかに震えたが、それでも目を開けなかった。
安田美香の動きはさらに優しくなり、まるで彼を驚かせないようにしているかのようだった。
「叔父さん、ごめんなさい……」彼女の声は詰まり、涙が藤原時の背中に落ち、すぐに広がった。
藤原時はゆっくりと目を開け、振り返って安田美香を見た。
「なぜ謝るの?」彼はかすれた声で不思議そうに尋ねた。
「私のせいでなければ、こんな怪我をすることはなかったのに」安田美香は唇を噛みながら、包帯を替え続けた。
薬を塗り終え、安田美香は物を片付けて部屋を出ようとした。
「待て」藤原時が彼女を呼び止めた。
安田美香は足を止め、振り返って彼を見た。
藤原時はベッドサイドのテーブルから真新しい携帯電話を取り、彼女に差し出した。
「持っていけ」
安田美香は少し驚き、手を伸ばさずにいた。
「これは……」
「お前の携帯は火事で壊れた」藤原時は淡々と言った。
安田美香はその携帯電話を見つめ、少し躊躇った後、結局受け取った。
「ありがとう、叔父さん」
藤原時はもう何も言わず、目を閉じ、また眠りについたようだった。
安田美香は携帯電話を手に、病室を後にした。
廊下では南崎陽が彼女を待っていた。
「安田さん、これは藤原社長からお渡しするようにと」南崎陽は安田美香に一枚のメモを渡した。そこには一連の数字が書かれていた。
「これは……」安田美香は首をかしげた。
「藤原社長の私用番号です」南崎陽は声を潜めて言った。「緊急事態以外では、むやみに連絡しないようにとのことです」
安田美香はうなずき、メモを大切にしまった。
彼女は自分の病室に戻り、新しい携帯電話を取り出して、その番号を入力し、友達申請を送った。
特に備考欄には「姪」と記入した。
藤原時が去った後、安田美香はベッドに横たわり、親友の鈴木悦子が見舞いに来た。
「美香?大丈夫?何ともない?」鈴木悦子の声は心配に満ちていた。
「もちろん大丈夫よ」安田美香は静かに言った。「でも藤原時は……本当に記憶喪失みたい」
「記憶喪失?本当に確かなの?二年前、あなたの初めてを彼に捧げたのに!」鈴木悦子の声はいくぶん大きくなった。
「頭を怪我して、手術を受けて、目覚めたら私たちの間に起きたことを完全に忘れていたの」安田美香の声には苦さが混じっていた。
「あなたのことだけ忘れたの?」鈴木悦子が尋ねた。
「そう、私のことだけ」安田美香は自嘲気味に言った。
「それってすごく変じゃない?」鈴木悦子の声には疑問が満ちていた。「美香、これからどうするつもり?」
安田美香は少し黙った後、言った。「大丈夫、私が彼に思い出させるわ」
一方、藤原時のオフィスでは。
南崎陽はデスクの前に立ち、頭を下げていた。
「藤原社長、番号は安田さんにお渡ししました」
藤原時は顔を上げ、彼を見た。
「誰が渡せと言った?」
南崎陽の体が震えた。「社長がおっしゃったのでは……」
「番号を渡せとは言ったが、私の私用番号を渡せとは言っていない」藤原時の声は冷たかった。
南崎陽は冷や汗を流しながら「す、すみません、藤原社長、てっきり……」
「出て行け」藤原時は冷たく言い放った。
南崎陽は大赦を受けたかのように、すぐに退室した。
藤原時は携帯電話を手に取り、暗号化されたフォルダを開くと、そこには一枚の写真があった。
写真には、銀行口座の振込記録が写っていた。
振込日時は、誘拐事件が起きる前日だった。
振込金額は巨額だった。
藤原時の目が鋭くなった。
彼は電話をかけた。
「この口座を調べろ。過去一ヶ月の大口入金源をすべて知りたい」
電話を切ると、藤原時の視線は窓の外に向けられ、その眼差しは深遠だった。
藤原家の実家。
重苦しい雰囲気が漂っていた。
藤原辰は霊舎の中央に跪き、頭を下げて黙っていた。
藤原お爺さんは椅子に座り、顔色は険しかった。
藤原家の三人の年長者が両側に座り、それぞれ厳しい表情を浮かべていた。
「話せ、どういうことだ?」藤原お爺さんが口を開き、声は低いが断固とした威厳を帯びていた。
藤原辰は体を震わせ、どもりながら言った。「お爺さん、わざとじゃないんです。安田美香があまりにも野暮ったかったから、僕は……」
「よくも言えたな!」藤原お爺さんは机を強く叩いた。「お前と安田柔子のことは、藤原家中が知っているぞ!お前は我々藤原家の顔に泥を塗ったんだ!」
「お爺さん、申し訳ありません……」藤原辰は急いで頭を下げた。
「何が間違っていたと思う?」藤原お爺さんは厳しく問いただした。
「わ、私は安田美香を裏切るべきではなかった……」藤原辰の声は蚊の鳴くような小ささだった。
「安田美香を裏切ったことが問題なのではない。そもそも安田柔子などという女とかかわるべきではなかったのだ!」藤原お爺さんは怒鳴った。「お前はわかっているのか、この行為が我々藤原家にどれほどの迷惑をかけるか!」
藤原辰は何も言えず、ただひたすら頭を下げ続けた。
「誰か、家の規則を!」藤原お爺さんの命令一下、すぐに使用人が鞭を持ってきた。
「お爺さん、やめてください!」藤原辰は顔面蒼白になった。
「打て!容赦なく打て!」藤原お爺さんは怒鳴った。
鞭が藤原辰の体に打ち下ろされ、「ぱしっ、ぱしっ」という音が響いた。
藤原辰は悲鳴を上げたが、逃げることはできなかった。
霊舎全体に、鞭の音と藤原辰の悲鳴が響き渡っていた。
安田柔子は戸口に立ち、中の様子を聞きながら、体を震わせていた。
今回ばかりは、藤原辰は本当に終わりだ。
そして彼女も、もう藤原家から何の恩恵も受けられないだろう。
彼女は振り返り、よろよろと藤原家の実家を後にした。
夜が訪れ、藤原時は窓の前に立っていた。
