第2章
恵理子視点
朝の光がキッチンの窓から差し込んでいる。フライパンでベーコンを炒めながら、その縁が丸まってカリカリになっていくのを見つめる。私の後ろではコーヒーメーカーが静かに唸っていた。フライ返しを握る手は、必要以上に力がこもっている。
眠れなかった。目を閉じるたびに、あの言葉が蘇る。『ボンジュール』。
階段を降りてくる足音。シャワーを浴びたばかりでまだ髪が濡れている真が、スーツ姿で現れる。彼は後ろから私の腰に腕を回した。
「おはよう、恵理子。いい匂いだね」
彼の唇が私の首筋に触れる。私はベーコンから目を離さず、一枚一枚、細心の注意を払ってひっくり返していく。
「ただの朝食よ。特別なものじゃないわ」
「恵理子の料理はいつも美味しいね」彼は私を振り向かせ、両手で私の顔を包み込む。「ああ、愛してる。この数ヶ月、君に会えなくて本当に寂しかった」
この数ヶ月。私がベッドで回復を待ち、血を流し、心も体も壊れていた間、あなたは一体どこにいたの? 誰を恋しがっていたの?
「今は、ここにいるわ」
私が彼に向けた微笑みは、顔が引きつりそうなほど無理な笑顔だった。彼は気づかない。
「今週末、浜ノ宮に行こう。二人きりで。仕事も電話もなしだ」彼の親指が私の頬を撫でる。「二人の時間を大切にしたいんだ」
「素敵ね」
素敵。その言葉が舌の上で重くのしかかる。どうしてこの人はこんなことができるのだろう? 何事もなかったかのように私を抱きしめ、本気であるかのようにキスをし、友人たちに私のことを退屈だと言った後で? 私が死んだ赤ちゃんのことで泣いている間に、他の誰かとセックスしておきながら?
ベーコンを皿に盛る。手が微かに震えるのを、無理やり抑えつけた。真はもうスマートフォンを手に取り、市場のアップデート情報をスクロールしている。
「九時に会議があるんだ。たぶん、帰りは遅くなる」彼は私の額にキスをし、コーヒーを一口飲む。「昼食はオフィスで何か掴むよ」
「それでも夕食はオーブンに残しておくわ」
「ありがとう、助かるよ」
ドアがカチリと閉まる。私はキッチンに一人きりで立ち、手つかずの料理を見つめていた。食べることを考えると、胃がむかむかする。
麗子から都心部の住所がメッセージで送られてきた。古いビル、四階、ドアに名前はない。中では、五十代くらいの男がファイルフォルダで埋め尽くされた机の後ろに座っていた。鳥居誠一。元刑事。麗子が太鼓判を押す人物だ。
「ご友人から、助けが必要だと伺っています」
「真実が知りたいんです」私は彼の向かいの椅子に滑り込んだ。「夫のことです」
彼は机の上で一枚の書類を滑らせてきた。私はざっと目を通してからサインした。
「具体的に何をお知りになりたいのですか、神崎夫人」
「すべてです。相手は誰なのか、いつからなのか、どこで会っているのか。彼が彼女に何を話しているのか」平坦で、抑制された声が出た。「証拠が必要です」
「それを手に入れて、どうなさるおつもりで?」
「そうすれば、自分が何と向き合っているのかがわかります」
「着手金は千万円。現金で。返金はしません」
私はバッグから封筒を取り出す。彼はそれを素早く数え、頷いた。
「期間は?」
「三日、あるいはもっと早く終わるでしょう。浮気する奴は脇が甘くなるものです」彼はファイルを開く。「大抵の奴は、自分が思っているより頭がいいと勘違いしている」
「写真、動画、デジタルなものなら何でも。可能なら銀行の記録も」
「お二人ともお調べしますか?」
「彼だけで結構です。問題は彼女ではありません」
彼の表情に何かがよぎる。泣きじゃくる妻や、オフィスで崩れ落ちる女性には慣れているのだろう。私は崩れ落ちたりしない。
「では、ご連絡します。神崎夫人」
「メールでお願いします。お伝えしたアドレスにお願いします」
私は振り返らずにその場を去った。
三日間。私は自分の役を演じる。感謝に満ちた妻。彼の言うことすべてを信じている女。
その夜の夕食。真が仕事の話をするのを、私は見ている。私たちの間をキャンドルの光が揺らめく。彼は私の手を取ろうと手を伸ばし、本心からであるかのように微笑む。私も微笑み返し、けれど何も感じない。
「今夜は静かだね」
「こうしているのが、ただ嬉しいの」私は彼の手を握り返す。「素敵だわ」
嘘をつくのがなんて上手なのだろう、と考える。昔からこれほど上手だったのか、それとも、あの女が何か新しい手管を教えたのか。
翌日の午後、私たちは青木公園を歩く。落ち葉が足元でカサカサと音を立てる。彼の手が私の手を包み込む。温かくて、がっしりとした手。振りほどきたい。でも、そうしない。
「昔、毎週日曜にこうしていたの、覚えてる? すべてが変わってしまう前に」
「覚えているわ」
「また始めよう。この時間が恋しかった。僕たちの、この時間が」
私たち。どの、私たち? 私がそうだと思っていた私たち、それとも、あなたが七年間も演じ続けてきた、この見せかけの私たち?
三日目の朝、ナイトスタンドの上で彼の携帯が震えた。非通知の着信。彼は眉をひそめ、着信を拒否する。
「こんなに早くに誰から?」
「仕事だよ」彼は携帯を伏せる。「大したことじゃない」
「朝の六時に?」
「投資家は眠らないんだよ、知ってるだろ」彼は私のこめかみにキスをする。「もう少し寝てなよ」
でも、彼は眠らない。起き上がって、携帯をバスルームに持っていく。水が流れる音。彼の声は低く、くぐもって聞こえる。十分後、彼は何食わぬ顔で戻ってきた。
その日の午後、私は青山通りのコーヒーショップに座っていた。鳥居が言った通りの時間に、メッセンジャーが到着した。分厚い茶封筒。私は落ち着いた手つきで封を開ける。
一枚目の写真:若い女性、ブロンド、きれい。二十二歳。白石詩乃。早稲田卒。神崎財団で働いている。
二枚目の写真:霧島町のアパートの外にいる二人。彼女の腰に回された彼の手、彼の体に寄り添う彼女の体。世界中の時間をすべて手に入れたかのようにキスをしている。
三枚目の写真:瑞穂県のどこかのバルコニー。二人ともバスローブ姿で、手にはワイン。彼女は彼の膝の上に座り、彼が言った何かに笑っている。
領収書:ネックレス、三百万。配送先は霧島町の住所と一致。
報告書がすべてを明らかにしていた。十四ヶ月。週に二、三回。家賃:月千五百万円。真が別名義の口座から支払っている。彼女の給料:年収六百万万。
十四ヶ月。私が血を流している間。私が注射を打ち、壊れてしまった体の中を治そうとしている間。私の体はもうまともに機能しないのではないかと泣きながら眠りについた間。彼は彼女と一緒にいた。彼女に物を買い与え。彼女を笑わせ。彼女を特別な存在だと感じさせていた。
写真の端を、曲がるまで指で握りしめる。でも、私の表情は変わらない。金融街がそれだけは教えてくれた。人前では決して感情を表に出すな。
最後のページ、鳥居からの手書きのメモ:「対象はターゲットを『エンターテインメント』と呼称。妻は『義務』。これ以上必要ですか?」
私はすべてを封筒に戻す。彼にメッセージを送る。「これで十分です。ありがとうございました」
それからカレンダーを開く。来週の火曜日。森下先生。
病院の待合室は消毒液の匂いと緊張した空気がした。周りには妊婦たちが座り、お腹に手を当て、顔を輝かせている。私は見てもいない雑誌をめくる。
三年前、私も彼女たちの一人だった。興奮し、怯え、覚悟を決めていた。それから出血が始まった。そして痛み。そして、無。
「神崎恵理子さん?」
森下先生の診察室は明るく清潔だった。彼女は私のカルテを見ながら微笑む。
「すべて順調ですよ、恵理子さん。ホルモン値も完璧です。あなたは健康です。準備ができ次第、いつでもまた挑戦できます」
「じゃあ、どこも悪くないんですね?」
「まったく。流産は残念でしたが、また起こるという意味ではありません」彼女はファイルを閉じる。「あなたは若くて健康です。チャンスは非常に高いと言えるでしょう」
でも、私はもう挑戦しない。彼とは。ただ、自分が壊れていないことを知りたかっただけ。ここを去るとき、私は完全な自分で去るのだと。
「ありがとうございました」
私は診断書を受け取り、エレベーターに向かって歩く。その時、聞こえた。彼の声。低く、鋭い。私に話しかける時とは全く違う声。
私は立ち止まる。角を曲がってそっと後ずさる。ガラスの反射に、彼らの姿が見える。真と、ブロンドの女の子。詩乃。
「真、私、妊娠してるの」彼女の声が震える。「十二週。検査薬、三回も試したのよ」
「……クソッ」長い沈黙。「これは処理しないと。費用は全部俺が出す。街で一番いいクリニックで」
「処理するって?」彼女は震えている。「私たちの赤ちゃんだよ。欲しくないの?」
「今、厄介事は起こせない。株式公開まで三ヶ月なんだ。投資家たちがすべてを見ている」
「じゃあ、私は厄介事? 私たちの赤ちゃんが厄介事なの?」
「恵理子が最優先だ。いつでも。ルールは知ってただろ」
「でも、愛してるって言ったじゃない! 彼女は退屈で、私といると生きているって実感できるって言ったじゃない!」
「妻を愛している。お前はただのエンターテインメントだ、詩乃。勘違いするな」
私の手はスマートフォンを探す。レコーダーを開く。指は震えているが、ボタンを押す。録音。
「エンターテインメント?」彼女の声が途切れる。「私はあなたにすべてを捧げたわ。学校を辞めて、あなたが選んだあのアパートに引っ越して、あなたが望むことは何でもした」
「そして俺はそのすべてに金を払った。気前よくな」彼の声が冷たくなる。「お前が恩恵を受けなかったみたいな顔をするな」
「産むわ」
「いや、産ませない」今度は脅迫的だ。「処理しろ。さもないとすべてを失うぞ。アパートも。仕事も。金も。全部だ」
「どうしてそんなに冷たいの?」
「現実的なだけだ。これはビジネスだよ。最初からずっとそうだった」
エンターテインメント。私もそうだったんじゃないか。ただ、もっと長期の投資だっただけ。彼女が愛人を演じている間、私はトロフィーワイフ。そして今、彼はここで、私が私たちの赤ちゃんを失ったのと同じ病院で、別の女に彼の子を殺せと言っている。
録音を止める。背を向ける。彼らは私に気づかない。診察室に入っていく彼らの声が遠ざかっていく。
家へ帰るタクシーの中で、私はスマートフォンを見つめる。オーディオファイルがそこにある。待っている。
メールを開く。ゆっくりと、慎重にタイプする。
「藤原教授
ご健勝のこととお慶び申し上げます。私が環境科学を離れ金融街へ向かってから三年が経ちました。選ばなかった道について最近よく考えておりまして、まだアマゾンの気候調査プロジェクトに空きはございますでしょうか。
大切なことに戻る準備ができました。もしお受けいただけるのであれば、すぐにでも始めることができます。
敬具
恵理子」
送信ボタンの上で、指がほんの一瞬、ためらう。
押す。
携帯が鳴る。真からの着信。
三回の呼び出し音。
私は着信を拒否する。
私はあなたと争うつもりはないわ、真。ただ、消えるだけ。
