第4話
ハッと気づき、無意識に利用履歴に目を落とした。
――本当に和也のカードを切っていた。
さっきはテンションが上がりすぎていて、まったく気づかなかったのだ。
私が黙り込んでいると、和也の視線が私の顔に突き刺さった。ただでさえ冷ややかなその瞳が、さらに暗く沈む。
「男遊びの金まで俺から出させるのか。俺から離れて、お前に何ができるって言うんだ?」
和也の口調には、隠そうともしない嘲りが滲んでいた。
彼の目には、私が彼なしでは何もできない無能な人間に映っているらしい。
たったその一言で、私の能力をあっさりと全否定してみせたのだ。
私は眉をひそめ、真っ向から彼の視線を受け止めた。
「何? 藤原さん、わざわざ取り立てに来たわけ?」
使ってしまったものは仕方ない。今さら何を言っても無駄だ。
「お前……」
和也は言葉を詰まらせ、その瞳の中で怒りの炎をめらめらと燃え上がらせた。
これ以上彼と口論するのも馬鹿らしくなり、私はスマホを数回タップした。
「泌尿器科の先生の連絡先、送っておいたから。体がダメなら早めに診てもらいなさいよ。こっちはまだ用事があるから、お構いなく」
言い捨てるなり、私はドアを閉めようと手を伸ばした。これ以上、彼にくれてやる視線はない。
だが和也の反応は早かった。ドアが閉まる隙間に手を突っ込み、私の手首をガシッと掴んで強引に引き寄せたのだ。
「言っておくが、俺たちはまだ離婚していない。忘れるな」
不意に顔を近づけてきた和也の目は氷のように冷たく、その言葉には一ミリの温度もなかった。
手首にじわりと痛みが走り、私は拘束を振りほどこうと腕を引いた。
「夜中にわざわざ人の家まで来てこんな真似するなんて、まさか私と離婚したくないわけ?」
そう言い放つと、即座に和也の嘲笑が返ってきた。
「自惚れるな。俺がお前を手放せないだと? あるわけないだろ」
私は頷き、あえて彼の言葉に同意してやった。
「それなら結構。藤原さんも早く離婚協議書にサインして、お互い自由になりましょうよ」
そのとき、奥から梨乃の声が飛んできた。
「葵、誰か来たの? 早く来てよ、待ってるんだから!」
続いて、ホストの甘い声が響く。
「葵様、僕ほかにも得意なことあるよ? 試してみる?」
和也もその声を聞きつけ、顔色をさらにどす黒く沈ませた。
私は彼の不機嫌さを無視して挑発的に眉を上げ、追い討ちをかける。
「聞こえたでしょ? 私、忙しいの。用がないならお引き取りを」
言い終えて部屋へ戻ろうとし、ドアを閉める直前にわざともう一言付け足した。
「そうそう、さっきの先生、かなり腕がいいらしいから。あなたみたいな症状でもきっと治るわよ」
ところが予想に反して、和也は帰るどころか、強引に私を引きずり込んで部屋へ踏み込んできた。
室内にいたホストたちが和也と目を合わせ、動きを止める。
梨乃も驚きに目を丸くし、私に向かって必死に目配せをしてきた。
私は和也の背後で首を振り、声を出さずに口の形だけで「違う」と返した。
そこへ別のホストが空気を読まずに口を開いた。
「葵様、今夜は僕たちだけって約束じゃなかった? このお兄さん、新しく呼んだの?」
その一言が、和也の怒りに完全に火をつけた。
「失せろ。どこの馬の骨とも知らんクズが、俺の前で口を利くな」
和也が一体何のつもりで発狂しているのか、私には理解できない。
私は思わず眉をひそめ、不満げに口を挟んだ。
「出ていくべきなのはあなたのほうでしょ」
だが和也は私の言葉など聞こえないふりで、ホストたちに容赦なく圧をかけ続ける。
「この業界で生き残りたいなら、今すぐ俺の目の前から消えろ。さもないと、どうなるか教えてやる」
和也は長身だ。彼らの前に立つだけで、何も言わずともその圧倒的なオーラが十分な威圧感を放っていた。
ホストたちも和也の陰惨な表情を見て、さすがに怯んだようだった。
「僕ら、今日は用事できたから、また今度ね」
「うん、時間も遅いし、葵様も早く休んで。お邪魔しました」
和也を怒らせてはまずいと悟った彼らは、そそくさと荷物をまとめ、逃げるように私の家から出ていった。
せっかくの気分も、和也に追い払われたせいで台無しだ。
「ほら、みんな帰ったんだから、あなたも帰って」
そう口にした途端、青筋の浮いた大きな手が伸びてきて、私が反応する隙も与えずに細い手首を乱暴に掴んだ。
和也の力は強く、私を引き寄せることなど造作もない。
そして、冷酷で端正な彼の顔が、私の視界の中でどんどん大きくなっていく。
私は必死に振りほどこうと抵抗したが、私が力を入れれば入れるほど、彼もわざと力を込めてくる。
どうしても抜け出せず、私の口調も苛立ちを帯びた。
「離して!」
だが彼は聞こえないふりをして、陰鬱な顔で言い捨てた。
「来い」
そう言って、私を外へ引きずり出そうとする。
我に返った梨乃が、慌ててソファから立ち上がった。
「ちょっと、何してるの! 葵を離しなさいよ!」
私も大人しく従う気などなく、空いている手で彼の手を叩いた。
「放してってば! また何の発作よ、私はどこにも行かない!」
私が何度も抵抗したせいか、和也は強硬手段に出た。
不意に体が宙に浮く感覚――なんと彼は身を屈め、私を肩に担ぎ上げたのだ。
私が力いっぱい彼の背中を叩いても、彼は痛みなど感じないかのように、私を担いだまま外へ歩き続ける。
背中が柔らかなシートに触れて、ようやく彼の手が離れた。
和也は私を強引に車へ放り込み、逃げられないように内側からロックまでかけた。
狂ったような彼の振る舞いを冷ややかに睨みつけ、私は憤然と口を開く。
「一体何がしたいの?」
だが和也の答えを待つ間もなく、胃がきりきりと締め付けられるような激痛に襲われた。
私は苦痛に顔を歪め、お腹を押さえて体を丸め、少しでも痛みを和らげようとする。
それでも冷や汗が止めどなく頬を伝い落ち、バックミラーに映る自分の顔色が、みるみるうちに青ざめていくのがわかった。
「芝居はやめろ」
和也は眉をひそめ、前方をまっすぐ見据えたまま、私を一瞥だにしなかった。
胃の痛みで、声すら出せない。
そのとき、車内に唐突な着信音が鳴り響いた。
和也のスマホだ。
彼が指先でタップして通話に出ると、車内のスピーカーから女の声が流れてきた。
「お兄ちゃん……苦しい……助けて……」
ほんの一瞬で、それが寧々の声だとわかった。
寧々の声は泣きじゃくっており、ひどく弱々しく可哀想に聞こえる。
その声を聞いた途端、和也は急ブレーキを踏み、慌ててスマホをスピーカーから受話器に切り替えた。その口調には、無意識の焦りが滲んでいる。
「寧々、どうした?」
「お兄ちゃん、私、誰かに薬を盛られたみたい……苦しくて、熱くて……お兄ちゃん、来て……お願い」
受話器に切り替わっていても、会話の内容はかすかに耳に届いた。
けれど、胃の痛みのせいでまともに思考が追いつかない。
私は無意識に助けを求めた。
「胃が……送って、戻して……」
和也は私を完全に無視し、電話の向こうの相手を優しくなだめる。
「寧々、怖がるな。どこだ。今すぐ行く」
電話を切った途端、和也の口調は再び氷のように冷たくなった。
「降りろ」
和也は私が反応する間も与えず、強引に私を車から降ろした。
夜の闇へ滑り込み、目の前から消えていく黒い車を見つめながら、私の心も完全に冷え切っていった。
