第3章
「やめろ! 百花に何をしているんだ!」
航平がリビングに飛び込んできて、私の肩を押さえつけていた泰人を力任せに突き飛ばした。
続いて、史司の手に握られていたロープを蹴り飛ばす。
「航平!」
私はありったけの力を振り絞り、彼の胸に飛び込んだ。
航平は痛ましそうに私を抱きしめ返し、背中を撫でてくれる。
「もう大丈夫だ、百花。怖がらなくていい、俺が戻ってきたから」
私をなだめると、航平は猛然と振り返った。
「父さん! 母さん! 一体どうやって狂ったんだ!」
彼は床に落ちたロープを指さし、史司と華恵美に向かって吠えた。
「百花は俺の妻だぞ! 二人の義娘じゃないか! それなのに、まるで家畜みたいに縛り上げるなんて!」
そして、泰人をキッと睨みつける。
「お前もだ、泰人! 百花の兄でありながら、妹がこんな目に遭わされているのをただ黙って見ていたのか」
航平の激しい怒りを前にしても、史司と華恵美は反論しなかった。
泰人もまた、後ろめたそうに視線を逸らすだけだった。
航平がここまで私を庇ってくれたのを見て、私の我慢と恐怖は一気に決壊した。
「航平、お願い、私たちの子を助けて! 羊水検査も受けたの、間違いなくあなたの子よ! 遺伝子異常なんて何もない、すごく健康なの! それなのに、この人たちは次人が描いた黒い鳥の絵なんて信じ込んで、無理やり堕胎薬を飲まそうとするの! 私たちの子を殺そうとしているのよ!」
私はしどろもどろになりながらも必死に訴え、希望に満ちた目で航平を見上げた。
高等教育を受けてきた航平なら、こんな馬鹿げた迷信を信じるはずがない。
きっと私をこの地獄から連れ出してくれる。
しかし、史司は顔を曇らせ、無言のまま歩み寄ってきた。
そして、「黒い鳥」が描かれたあのキャンバスを、航平の目の前に突きつけたのだ。
「航平、自分で見てみろ。次人がさっき描いたものだ」
私を抱きしめる航平の腕が、突然硬直したのがわかった。
彼の揺るぎなかったはずの瞳が泳ぎ始め、顔の筋肉が微かに引きつる。
「航平、見ちゃ駄目! ただの絵の具の塊よ! あの人たちの言うことなんて信じないで!」
私は必死に彼の手を引っ張り、理性を呼び戻そうと、その目を塞ごうとした。
だが、航平はそっと私の手を退けた。
彼は私の目を見ようとせず、ただうつむいて、あの醜い黒い鳥を見つめていた。
「百花」
彼の声が変わった。
「次人は生まれつきの霊媒なんだ。彼の予知が外れたことは一度もない」
頭の中が真っ白になった。
「……何、言ってるの?」
信じられない思いで、目の前の男を見つめる。
航平は深呼吸をした。
「愛してるよ。でも君のために、そして俺たちの家族の安全のために、この欠陥を持った子は、堕ろさなければならないんだ」
「何を馬鹿なこと言ってるの!」
私は悲鳴を上げ、完全に正気を失った。
残された全身の力を振り絞り、航平の頬を思い切り張り飛ばした。
乾いた音が響き、航平の顔が横を向く。
私は震える手で床からしわくちゃの羊水検査の報告書を掴み取り、彼の顔に叩きつけた。
「よく見て! これは科学よ! 全米で一番権威のある病院の報告書なんだから!」
「この子には何の欠陥もない! あなたの子なのよ! あなたまで、この狂った人たちみたいに、盲目の男の落書きを信じて、自分の子をその手で殺すつもりなの!」
報告書の紙片が航平の足元に散らばった。
だが、彼は一瞥もくれなかった。
振り返った彼の目は、すでに冷え切っていた。
「百花、君にはわからないんだ。科学では次人の才能を説明できない。この子は残しておけない」
私の世界が、完全に崩れ去った。
最後に残っていた一縷の望みを、最も愛する夫の手にによって握り潰されたのだ。
「悪魔……あんたたち、みんな悪魔よ!」
私は絶望的な哄笑を漏らし、這うようにしてドアへと向かった。
だが次の瞬間、力強い両手が私の肩をがっちりと押さえつけた。
航平だ。
彼自身が、私に手を下したのだ。
「父さん、足を押さえてくれ」
航平が冷酷に指示を出す。
「離して! 航平! 地獄に落ちるわよ!」
私は追い詰められた獣のように、狂ったように噛みつき、引っ掻いた。
だが航平は私の体をソファに押さえつけ、史司は容赦なく膝で私の両脚を封じた。
華恵美が鼻を突く匂いの堕胎薬が入った椀を手に、無表情で近づいてくる。
「いや!」
航平が私の顎を掴み、無理やり口をこじ開けた。
「飲め、百花。すぐに終わるから」
彼はまだ、あの優しい声色で語りかけていた。
冷たく、苦い薬液が乱暴に喉の奥へと流し込まれる。
むせて激しく咳き込み、薬液が涙と混ざって顔中を濡らしたが、吐き出すことなどできなかった。
やがて下腹部に痙攣するような激痛が走り、太ももの内側を伝って鮮血が流れ落ちた。
彼らは揃って、安堵の息を吐いた。
私は再び、あの闇医者のもとへ送られた。
麻酔すら十分に打たれなかった。
掻爬手術が行われている間、私の意識は恐ろしいほどはっきりしていた。
私の命の一部であったはずの血肉が、生きたまま剥がれ落ちていくのを、はっきりと感じ取ることができた。
午前三時、私は目を覚ました。下腹部の鈍痛がまだくすぶり、たった今、新たな命を失ったことを私に思い知らせてくる。
航平はそばにおらず、屋敷全体が静まり返っていた。
私は歩く屍のようにベッドから起き上がった。
頭の中は、次人が描いたあの忌々しい「黒い鳥」の絵でいっぱいだった。
あいつのせいで、私の子は死んだ。
あんなもの、すべて壊してやる!
私は幽霊のように薄暗い廊下を抜けた。
アトリエのドアは少しだけ開いていた。私は歯を食いしばり、その半開きのドアをそっと押し開けた。
しかし、ドアの向こうの光景に、私はその場で凍りついた。
すべての点と点が、頭の中で瞬時に繋がり、吐き気を催すほどおぞましい一本の鎖となった。
家族がなぜあれほどまでに次人の絵を信じ込み、私に二人の子どもを堕ろさせようとしたのか――その本当の理由が、ついにわかったのだ。
