第4章

 父の姿を見た瞬間、胸の奥に溜め込んでいた悔しさも恐怖も怒りも、砕けた堤防みたいに一気に決壊した。

「パパ!」

 彼の瞳に、生々しい痛みが一瞬よぎる。次の瞬間には距離を詰め、しゃがみ込み、ぶかぶかのコートで激しく震える私の身体をきつく包み込んだ。

「大丈夫だ。」大きな手が頭のてっぺんをやさしく撫でる。低く落ち着いた声が、胸の奥まで響いてくる。

「父さんがいる。」

 けれど、彼が顔を上げた途端、その優しさは跡形もなく消え失せた。

 私はその温かな胸にすがりつく。懐かしい匂いがようやく私を地面に繋ぎ止め、途方もなく長い時間失っていた安全の感覚を、ほんの束の間だけ取り戻させてくれた。溺れた女が流木にしがみつくみたいに彼のシャツを掴む。それでも身体は、どうしても止まらないほど震えていた。

 父は立ち上がり、私を完全に背中へ隠す。

 目に見えない、魂を押し潰すような至高のアルファの威圧が、父の身体から爆発した。宝飾店の隅々まで、まるで物理的な津波のように叩きつけられる。

 ショーケースががたがたと激しく震え、ガラス越しに宝石が細かく鳴った。天井のクリスタルシャンデリアは大きく振れ、軋んで砕け、破片が雨のように降り注ぐ。

 空気が重く濃くなり、見えない手が全員の喉をきつく締め上げているようだった。位の低い狼たちはもう床に崩れ落ち始め、脚が完全に言うことをきかない――地上で最上位の支配者に対する、原始的で生物学的な服従反応だ。

 ケインの顔から血の気が引いた。

 同じ上位のアルファである彼には、この力が放つ恐怖が、誰よりも鋭く突き刺さって感じられる。身体が勝手に縮こまり、膝が折れそうになる。内なる狼が、絶対的な覇者の前にひれ伏せと悲鳴を上げていた。

 見物人の間に、怯えた囁きが走る。声は震え、恐怖で掠れている。

「女神様……この威圧……まさか――?」

「ありえない……あのレベルが、どうしてここに……?」

「もし本当にあいつなら……ブラッドムーンは終わりだ。跡形もなく潰される……」

 誰かが父の指にはめられた重厚な指輪に気づいた――ライカン王の、疑いようのない紋章。

 囁きは押し殺した悲鳴へと変わる。

「ライカン王だ! 北米の群れを統べる至高の支配者!」

 ケインの瞳孔が針の先ほどに縮む。目の前の男の正体をようやく理解し――さらに最悪なことに、たった今ブライアに傷つけさせたのが、いったい誰の娘だったのかを、ようやく思い知った。

 勘が正しければ、今日の代償はブラッドムーンの群れ全体に、破滅的な形で降りかかる。

 父の視線が、氷の刃みたいにケインを縫い止める。一言も発しない。だが、その致死的な沈黙は、どんな脅しよりも大きく叫んでいた。

 しかしブライアは、薄っぺらい価値観と肥大した虚栄心に目を潰され、息が詰まるほどの圧に肺を押し潰されそうになっていても、場の現実を理解できなかった。

 彼女にとって父は、護衛を数人連れただけの小さな群れのリーダーが威張っている程度にしか見えない。背後にはケイン・ブラッドムーンがいる。何を恐れることがあるのか、と。

 血を流し、半分噛みちぎられた耳を押さえながら、彼女はずかずかと父の前まで歩み寄った。震える指を突きつけ、父の顔に向かって激しく罵る。

「あなたがこのクソ女の父親ってわけ? あんたの娘が私の指輪を盗もうとして、私の耳を噛みちぎったのよ!」

 ヒステリックに金切り声を上げる。

「今日、納得できる説明をしないなら、あんたも娘も生きてここから出られないわよ!」

 父は彼女を見下ろしたまま、表情を完全に消した。恐ろしいほどの無だ。

「ほう?」声音だけが、致命的なほど静かだった。

「では、どう落とし前をつけたい?」

 父の平静を服従だと勘違いしたブライアは、勝ち誇ったように胸を張り、条件を並べ立てた。

「まず、あんたの娘にこの宝飾店を四つん這いで三周させる。犬みたいに吠えさせて、それからひざまずいて私に許しを乞うのよ!」

「次に、あいつとケインのあのクソみたいな誓いの儀式、今すぐ中止しなさい! あんなゴミが相手に釣り合うわけないでしょ!」

 彼女は嘲るように笑い、毒のような脅しを宿した目をぎらつかせる。

「それを全部やって、私の気分が良ければ、見逃してあげてもいいかもね。そうじゃなきゃ――ここはブラッドムーンの縄張りよ。あんたたち二人を消すなんて、かかとで虫を潰すより簡単なんだから!」

 群衆が息を呑む音が走った。哀れむように目を逸らす者もいたが、誰ひとり言葉を挟めない。彼らはブライアという女を知っていて、そして盲目的に、彼女なら脅しを現実にできると信じていた。

 父は完璧な沈黙のまま聞いていた。やがてゆっくりと、口元がわずかに吊り上がる。凍りつくような笑みだった。

「もともと続けるつもりはなかった。」淡々と告げる。

「セレナとケインの誓いの儀式は……正式に中止だ。」

 その言葉が落ちた瞬間、父の腕が霞む――轟音のような平手打ちが、ブライアの頬を横切った。

 至高の権威を象徴する家紋の指輪が、彼の指で鈍く光り、鋭い縁が彼女の頬を斬り裂く。頬骨から顎まで、骨に届きそうな裂傷が一直線に走った。血が瞬く間に溢れ、完璧だった化粧を台無しにし、首筋へととろとろ流れ落ちていく。

 ブライアは背筋の凍る悲鳴を上げ、よろめきながら顔を押さえた。手を離し、掌にべったりと付いた赤を見て、目を見開く。

「顔が――! よくも――!」

 言い終える隙すら与えない。父が手首を軽く払うと、影から二人の王宮近衛が躍り出て、ブライアを掴み、容赦なく床へ顔から押さえつけた。

 ブライアは暴れ狂い、喉が裂けるほど叫ぶ。

「ケイン! 助けて! あんた、本当にそこで突っ立って見てるだけなの!? 私にこんなことさせる気!?」

 ケインの表情が激怒と衝撃で歪む。歯を食いしばり、一歩踏み出して命令を発しかけた。

「お前――」

 その一語が口を出るか出ないかのうちに、父の絶対的な殺意が鉄槌のように落ちた。至高のライカン王の、遠慮のない支配がケインに叩きつけられる。身体が硬直し、膝が激しく折れかけた。

 奥歯が砕けそうなほど噛み締め、背筋だけは曲げまいともがく。だが古代から血に刻まれた抑圧は、抵抗そのものを肉体的に不可能にしていた。

 父は大股二歩で距離を詰めると、ブーツを持ち上げ、ケインの膝裏を無慈悲に蹴り抜いた。

 ケインの脚は完全に崩れた。重い音を立てて、北の触れがたいアルファは床に落ち――私の正面で、強制的にひざまずかされた。

 父はその上にそびえ立ち、深淵の底のように冷え切った目で見下ろす。ようやく口を開いた声は、死神の囁きそのものだった。

「ケイン・ブラッドムーン。私は娘を生まれてこの方ずっと慈しんできた。指一本触れたことすらない。なのに今日、お前の縄張りで――お前の目の届く場所で――お前の女に、娘の指を切り落とさせた。」

 父は一拍置く。混じり気のない殺意が瞳の奥でうねり、室内の温度が氷点下まで落ちたように感じられた。

「もしセレナの指が繋がらないのなら――」

 一音一音を噛みしめるように言い切る。その言葉は、そこにいる全員の心臓へ、ぎざぎざの刃を突き立てるみたいに突き刺さった。

「代償として、ブラッドムーンの群れを丸ごと墓に埋める。」

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