第6章 物は類をもって集まる

桐生瞳がマスクを外した瞬間、周防芳江がいきなり襟元を掴み、喉が裂けんばかりに怒鳴り散らした。

「うちの母さんを返せ! この恩知らず! 食わせて飲ませてやったのに、仇で返すとか人間か!」

桐生瞳は容赦なくその手を振り払う。

「もう縁は切れてる。ベタベタ触らないで」

周防芳江に好意なんて欠片もない。遠慮する理由もなかった。

浅野佳音もしゃくり上げながら泣きつく。

「お姉様……気持ちが収まらないのはわかるけど、でも……おばあさまに手を上げるなんて……不満があるなら、私にぶつけてよ……!」

周防芳江はすぐさま佳音を背に庇う。

「大丈夫、佳音。あたしがいる限り、誰にも指一本触れさせない!」

「役者にでもなれば? もったいない」

口々の非難を浴びながら、桐生瞳は思わず笑ってしまった。

いつもそうだ。何かあれば是非も確かめず決めつける。もう関係が切れていようが、関係ないらしい。

桐生瞳の皮肉を無視したまま、周防芳江は視界の端に陸奥守正の姿を捉えると、慌てて叫んだ。

「院長! 母はあの小娘に殺されたのよ! 早く警備呼んで取り押さえて! 逃がしちゃだめ!」

陸奥守正は足を止め、眉間に深い皺を刻む。

「いい加減なことを言わないでください。患者さんを救い戻したのは桐生さんです。今日、彼女がいなければ、あなた方は本当に葬儀の準備をしていましたよ」

その一言で空気が凍る。

周防芳江と浅野建一は目を見開き、信じられないといった顔になった。

「ありえない! こいつが手術なんてできるわけがないだろ!」

「そうだ! 院長、冗談にもほどがある!」

浅野佳音はくるりと目を動かし、突然「わかった」という顔になる。

「……そうだ。おばあさまを助けたのは院長なんだ。でも私たちがお姉様を責めるのが怖くて、功績をお姉様に譲ったんでしょう?」

藤代司も失望を隠さず桐生瞳を見た。

「正直に言えばいいのに。どうして嘘をつくんだ」

可笑しくて仕方がなかった。

彼らの中で、私はずっと役立たずのまま。けれど実際には、世界最高峰の医学フォーラムで、私の名は三年連続でトップに載り続けている。

世界上位3位に入る病院からの招待も、数え切れないほど受けた。全部断った。浅野家のそばにいるために。

……まあ、もう家族じゃない。そんな自己証明に意味はない。私自身、もう気にしていなかった。

「好きに思えばいい。助かったなら、私は帰る」

一拍置き、桐生瞳は氷のように告げる。

「それと。おばあさまは、私が連れて行く」

こんな人間味の欠片もない連中に、任せるつもりはなかった。

真っ先に浅野建一が拒絶する。

「無理に決まってる!」

周防芳江もすぐさま噛みついた。

「そうよ! 何の権利があって連れてくの? それ、あたしの母さんよ。あんたはさっさと消えな!」

「それに、自分が貧乏暮らしするだけじゃ飽き足らず、母さんまで巻き込む気? あんたと一緒にいて、こんな立派なケアセンターにいられると思ってるの?」

桐生瞳は無表情のまま、胸の奥で嘲った。

この人たちにとって「いいケアセンター」さえあれば、全部帳消しになるのか。寄り添うことより価値があるのか。

滑稽だ。

「もう、お母さん。そんなに怒っちゃだめ、身体に触るよ」

浅野佳音が柔らかく宥めた直後、何かを思いついたように目を丸くする。

「……まさか、お姉様。おばあさまの世話を口実にして、パパとママにお金を出させるつもり?」

笑える。隙あらば毒を刺す。その手際だけは見事だった。

周防芳江も「そういうことか」とばかりに顔を歪め、地団駄を踏む。

「ほら見なさい! これがうちが育てた“いい娘”よ! 犬だって尻尾くらい振るのに、こいつは何よ!」

「母さんは渡さない。金も出さない。1円たりとも渡さないからね! さっさと諦めな!」

「瞳は要らねえよ」

怒鳴り声が割り込む。皆が振り向くと、桐生零が早足で近づいてきた。

「なるほどな、類は友を呼ぶってこういうことか。ロクなのがいねえ」

「瞳、手続きは済ませた。行くぞ。こんな連中に時間使うだけ無駄だ」

「……うん」

二人が動き出した瞬間、藤代司が前に立ちはだかった。

眉を寄せ、目の奥に冷たい光を走らせる。

「桐生瞳、いい加減にしろ。叔父さんと叔母さんに謝れ。そうしないなら、俺だって――」

「謝る? あんたらにその資格ある?」

桐生瞳は笑みを切り捨てるように言った。

「それに、あなたはもう過去。捨てるゴミ箱なら、そこにあるでしょ」

言い終える前に桐生瞳が手を上げ、藤代司の言葉を遮る。続けて指先で浅野佳音を示した。

藤代司の顔が一気に暗くなる。

「……お前、何を――ふざけるな!」

堪えきれず手を伸ばした、その瞬間。

「ぐあああっ!」

豚の悲鳴みたいな絶叫が廊下に響いた。藤代司の手首は捻り上げられ、あり得ない角度に曲がっている。

「ぁっ!」

さらに桐生零の蹴りが炸裂し、藤代司は二メートルほど吹き飛んだ。

「何をする! ここは病院だぞ!」

浅野建一が目を剥いて怒鳴った、その直後。

パァン、と乾いた音。左頬に強烈な平手打ちが入る。

桐生零は手を振り、指を鳴らすようにして痛みを散らした。

「俺が言ったのは“そいつ”だ。お前に口出ししていいって言ったか? 調子に乗らせすぎだろ」

視線が周防芳江へ落ちる。たったそれだけで、周防芳江は青ざめて後ずさった。

「……な、なにする気よ! やめなさいよ! うちの力なら、あんたなんか一瞬で――」

桐生零は鼻で笑う。

「今は殴る気なかったんだけどな。そこまで言うなら、試さねえと損だろ」

大きく手を振り上げたところで、桐生瞳が止めた。

「もういい。こんな人たち相手にするだけ無駄。行こう。どうせ、もう二度と関わらない」

「……わかった」

二人は背を向けた。松下淑子はあと二日は静養が必要だ。いま慌てる必要もない。

「桐生さん、待ってください」

背後から声が飛ぶ。振り返ると、スーツ姿の冷ややかな男がゆっくり歩いてくるところだった。

御堂瞬の専属秘書――その人物だ。

表情は動かず、ただ気配だけが圧を持つ。背後には同じく濃色のスーツを着た屈強な男が八人。ずらりと並ぶだけで息が詰まる。

浅野佳音が周防芳江の腕を引き、小声で囁いた。

「お母さん……誰? なんでお姉様のところに……お姉様、何かやらかしたのかな……?」

周防芳江は冷笑する。

「そうならいいわね。誰かが代わりに、あの小娘を叩きのめしてくれたら最高じゃない」

専属秘書が桐生瞳の前に来るより早く、周防芳江が腕を突き出して遮った。

「そこのあなた、言っとくけどね。私たち、あの小娘とは何の関係もないから。あいつがやったことは全部、あいつが責任取るのよ!」

専属秘書は眉をひそめ、苛立ちを滲ませる。

「私が用があるのは桐生さんだけです。みなさんには関係ありません。速やかにお引き取りください」

「わかりましたわ、すぐ失礼します! お邪魔しました!」

周防芳江は慌てて浅野建一と浅野佳音を引っ張り、振り返りもせず去っていく。男が気を変える前に――そう言わんばかりに。

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