第3章
結局、中村は琳の脅しに屈し、謝罪の要求を呑まざるを得なかった。
翌日、全校集会が正式に開かれた。講堂は生徒で埋め尽くされている。琳のカンニング疑惑はすでに校内中へ知れ渡っており、彼女が講堂に足を踏み入れた瞬間から、あちこちで大声の嘲笑が飛び交い始めた。
「ねえ、聞いた? 今回の中間、あの馬鹿の琳が数学でCを取ったんだって! ちょっと答えを写したくらいで、賢くなったとでも思ってんのかな? あはははっ」
「ほんとそれ。abcすら怪しいのに、英語もそこそこ良かったらしいじゃん。どれだけ必死にカンニングしたのか想像つくよね。ははっ、校長に捕まってざまあみろって感じ」
……
夢子はそんな陰口を聞きながら、得意げに目を細めた。取り巻きの友人がしきりに持ち上げる。
「夢子ってさ、同じ家なのにどうしてあんなに違うんだろうね? 夢子は頭も良くて可愛いし、中間だって正々堂々とB+だったじゃない」
「それに比べて、あのお姉ちゃんはブサイクで頭も悪くて、カンニングしてもCが限界。今じゃ全校の笑い者だし、恥ずかしすぎるよ」
「私が橘家の人間なら、あんなのとうに縁を切ってるなぁ」
夢子は高慢に顎を反らし、わざと琳の背後を通り抜けざまに囁いた。
「琳。答えを暗記して解き直したくらいで、校長がカンニングしてないって信じると思った?」
「校長に謝らせるなんて、寝言は寝て言いなよ」
だが琳は淡々とその場に立ち、欠伸を噛み殺している。冷ややかなその横顔は、夢子の言葉など微塵も気にかけていないようだった。
「琳、みんな適当なこと言ってるだけだから、気にしないで」
声の方へ視線を向けると、隣で坂田梨乃がおずおずと立っていた。小さな顔は痩せこけて蝋色をしており、今の琳と似たような雰囲気をまとっている。
梨乃の実母は橘家の使用人だったが、橘家の大旦那様である橘賢治をかばって命を落とした。その後、橘家は梨乃を養女として引き取り、以来彼女はずっと橘家で暮らしている。
ただ、梨乃は幼い頃から何をするにもワンテンポ遅く、学習面での才能にも恵まれなかったため、成績は夢子と雲泥の差があった。
そのため雪枝は、橘家の顔に泥を塗るような存在を許せず、家の中では公然と、あるいは陰湿に梨乃を冷遇していた。
幸い、梨乃には賢治という後ろ盾があるため、雪枝も表立ってひどい真似はできない。
一方、橘家に戻ってきてまだ一年にも満たない真の令嬢である元の琳は、後ろ盾もなく、梨乃以下の扱いを受けていた。
「琳、後で反省文を読むときは、少し態度を柔らかくした方がいいよ。中村先生は橘家と親しいから、きっとそこまで酷い扱いはしないはず」
「だから落ち込まないで。あの人たちの言葉なんて、右から左へ聞き流せばいいんだから」
琳の瞳から、先ほどまでの冷たさが少しだけ和らいだ。元の身体の持ち主の記憶をたどれば、この梨乃は数少ない本気の味方と呼べる存在だった。
もっとも、この友人はこれから何が起こるのか、知る由もない。
「こほん。はい、皆静かに」
講堂のざわめきが少し収まり、腹の出た中村がマイクを握って壇上へ上がる。彼が口を開くより早く、騒ぎ好きの生徒が大声を張り上げた。
「中村校長! 中間でカンニングした奴がいるって話じゃないですか! そんな品性下劣な奴には、皆の前で反省させなきゃ駄目ですよ!」
その声は講堂中に響き渡り、中村は少し顔をしかめた。生徒たちは悪意に満ちた視線を一斉に琳へと向ける。
だが次に中村の口から出たのは、思いがけない言葉だった。
「今回の中間試験におけるカンニング疑惑について、まず琳さんに謝罪します」
「はあ!?」
「どういうこと!?」
その一言に、生徒たちはどよめいた。
「なんで校長が謝ってんの? 琳が壇上で反省文を読むんじゃないの?」
「何かの間違いでしょ? 中村校長、どうしちゃったの!?」
中村はマイクを握りしめ、目に不満を滲ませながらも、心にもない言葉を紡ぎ出す。
「今回の中間試験において、琳さんの成績に不審な点が見られたため調査を行いました。しかし残念なことに、当該時間の監視カメラに故障が生じており、有用な映像は一切残っていませんでした」
「この件につきまして、深くお詫び申し上げます」
「皆さんと、そして琳さんに謝罪いたします」
そう言って、中村は深く頭を下げた。その丸々とした身体を見下ろし、琳の口元に嘲りの冷笑が浮かぶ。
――なるほど。この豚はここで罠を張ったか。
わざわざ監視カメラが故障していたと言い訳し、曖昧な言葉を並べる。それはつまり、「クロだが証拠がない」と暗に印象づけるためだ。
「琳! 校長に謝らせるとか、どんな面の皮してんの!? あのC判定が自力なわけないでしょ!」
「証拠がなかっただけでラッキーだと思えよ! お前が馬鹿で、カンニングしてCを取ったことくらい誰だって知ってんだよ! なんで校長が謝らなきゃなんないんだ!」
たちまち講堂は怒号に包まれ、夢子は物陰で楽しげに笑いながら声を上げた。
「中村校長は間違ってません! 私たちは校長を支持します! どうして馬鹿に謝る必要があるんですか!」
「そうだ、支持するぞ! さっきの謝罪は撤回しろ! 悪いことしたクズに頭を下げる必要なんてない!」
中村は壇上でマイクを持ち、困ったような顔を作って見せる。
「皆さんの支持に感謝します。監視カメラの修理は急がせますので」
だが、その口元は抑えきれない笑みで歪んでいた。
――ふん、茶番は終わり?
琳は背筋を伸ばし、ふいに歩みを進めた。冷たい気配をまとって壇上へ向かう彼女に、中村が引きつった声を出す。
「な、何をする気だ……?」
琳は呆れたように目を細め、中村からマイクをひったくった。そして高みから生徒たちを見下ろし、氷のような声で言い放つ。
「あなたが校長になってから、学校の平均点が落ち続けてるって話、よく聞くけど……納得ね」
「ど、どういう意味だ!」
公衆の面前で侮辱され、中村は肥えた顔を真っ赤にして激怒する。
「こんな簡単なことも分からないの?」
「謝り方ひとつまともにできない豚がトップなら、この学校はA市一位から、すぐにA市最下位へ転落するわ。監視カメラを直す前に、自分の豚頭を直したら?」
壇上で容赦なく罵倒され、中村は言葉を失う。彼が口を開く暇も与えず、琳は再び生徒たちへ向き直り、冷たく告げた。
「最後にもう一度だけ言う。私はカンニングなんてしていない」
「不服があるなら、いつでも私に聞きに来なさい。けど――次に根も葉もない噂を流したら、舌を一本ずつ引き抜いてやるから覚悟して」
あまりにも傲慢で凄みのある琳の態度に、その場にいた全員が息を呑んだ。だが、なおも反発する生徒が叫ぶ。
「調子に乗るな! 降りろ!」
次の瞬間。琳の頭上から、バケツ一杯の水が勢いよく降り注いだ――!
