【第29章】

潮の匂いを含んだ山風が、海のほうから吹き上げてきた。塩気の冷たさが、頬を刺す。

林田朔夜は、藤原承弦の瞳の奥に走った傷を見た。見たうえで――見えないふりをするしかなかった。

彼女は背を向け、藤原承弦を振り返らないまま、声だけを少し柔らげる。

「風希さん……こちら、私の上司です。藤原承弦」

一拍、間を置いてから、さらりと続けた。

「頭が回らない時があるし、気も短いんです。……いろいろ、目をつぶってあげてください」

少し離れたところに立っていた藤原承弦が、それを耳にして固まった。次いで、喉の奥で笑う。

頭が回らない?

藤原承弦――藤原グループの後継。商界の連中が名を聞いただけで背...

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