第6章
林田朔夜はその口調に思わず笑ってしまい、二人の空気がふっとほどけた。
藤原承弦の視線は、少し先で燃えるように目立つ赤に縫い留められたまま。
周防島一。――知っている。
周防家のなかでも常識外れで名の知れた後継者。今夜の宴の主役でもある男だ。なぜ林田朔夜と一緒にいる?
林田朔夜が周防島一に笑みを向けるたび、藤原承弦の胸に正体のない火が噴き上がる。彼女の「星空」の揉め事を片づけるために来たはずなのに、当の本人は焦りの色ひとつ見せない。それどころか、他の男と談笑する余裕まである。
問題を解決しに来たのか。それとも男でも釣りに?
「藤原さん?」
相馬晴は、彼の腕の筋が硬く張ったのを感じ取り、視線の先を追った。赤いドレスがひときわ目を引く林田朔夜の姿が、すぐに目に入る。
瞳の奥に嫉妬が走る。だが次の瞬間には、ちょうどいい驚きへ塗り替えた。
「あれ、朔夜さんじゃないですか? 招待状もないのに、どうやって入ったんだろ……まさか、男を吊ろうとして……」
言い切らず、想像の余地だけを残す。
藤原承弦は唇をきつく結んだ。
こちらはあれだけ目立つ入場だったのに、林田朔夜は最初から最後まで一度も、弁解するような視線すら寄こさない。
ただ微かに顎を上げ、周防島一の話に耳を傾けている。そのほんのわずかな「集中」が、藤原承弦にはやけに目障りだった。
藤原承弦はふいに、相馬晴に腕を絡められていた手を引き抜く。
「先に、好きに回ってろ」
低い声。
相馬晴の笑みが固まる。
「藤原さん……?」
藤原承弦は答えない。林田朔夜と周防島一のほうへ真っ直ぐ歩き出し、背中越しに言い捨てる。
「ついてくるな」
相馬晴はその場で立ち尽くし、爪を掌に食い込ませた。――また林田朔夜。この、どこまでも付きまとう女。
深く息を吸い、彼女は人混みへ溶け込む。甘い笑みを貼りつけたまま、頭の中ではすでに算段を組み立てていた。
ほどなくして周囲の令嬢や奥方たちは、相馬晴の「何気ない」世間話から噂を仕入れる。
――林田朔夜は招待もないのに、不名誉な手段で潜り込み、権力者に取り入ろうとしているらしい。
藤原承弦が林田朔夜の近くまで来た時、脇で太った中年男が二人、声を潜めて話しているのが耳に入った。視線は下卑たまま、赤いドレスへ向けられている。
「赤いドレスの女、見たか? 新顔だ。たまんねえな」
「見た見た。周防殿のそばにいるだろ。だからお前、さっき近寄れなかったんだろ?」
「周防島一もすぐ飽きるさ。少ししたら探って――へへ。あの身体と顔なら、一晩この額でも安い」
指で金額を示し、二人は汚い笑いを漏らした。
藤原承弦の足が止まる。
横目で二人を見た。氷みたいな視線。建材で成り上がった成金――顔は知っている。
「太田社長、木下社長」
声は大きくない。それでも二人の顔には瞬時に媚びた笑みが貼りつく。
「藤原社長! いやぁ、偶然で……」
「藤原社長、ぜひ一度ご一緒に――」
藤原承弦はお世辞を聞き流し、淡々と告げた。
「二人とも、さっき楽しそうだったな」
二人がきょとんとする。
「だが」
天気の話でもするように、平坦な声。
「藤原グループ傘下の今後すべての会社は、二人との協業を一切しない。契約解除通知は明日、法務が送る」
二人の顔色が一気に白くなる。
「藤原社長! な、なぜです? 誤解では……!」
「誤解じゃない」
藤原承弦は遮り、冷酷に言い切った。
「お前たちの品性は、藤原グループの協業リストに値しない」
そう言い捨て、二人を置いて歩き去る。
だが――林田朔夜がいない。周防島一も見当たらなかった。
胸の火がさらに燃え上がる。あんな連中に好き放題言われるほど、彼女は目立っているのに――当の本人はどこへ消えた?
藤原承弦はスマホを取り出し、林田朔夜へ電話をかけた。
廊下の奥。二階の露台へ上がる階段、その踊り場。
林田朔夜のクラッチバッグの中でスマホが震える。表示された名前を一瞥し、そのまま切った。サイレントに切り替える。
周防島一はそんな小さな動作など気にも留めず、顎で上を示した。
「上がって左のテラス。エレンはだいたいこの時間に葉巻だ。急げよ、あの頑固ジジイは我慢が短い」
林田朔夜は頷き、階段を上った。
テラスには夜風がひんやりと流れていた。白髪の、身なりの整った外国人の老人が背を向けて立ち、指先の雪茄から煙をゆらりと漂わせている。
「エレンさん。突然、失礼します」
林田朔夜は距離を詰め、要点から入った。
「藤原グループ『星空』の責任者、林田朔夜です。貴社に届いた重大な欠陥のある最終稿について――」
「デザイナー?」
エレンが遮り、赤いドレスと化粧に一瞬視線を止めた。すぐに、露骨な嫌悪と嘲り。
「ふん。藤原グループの責任者は、そんな手段で注目を集める必要があるほど落ちたのか?」
林田朔夜の胸が沈む。だが表情は崩さない。
「エレンさん、意図が分かりません。私は設計そのものの専門的な問題について説明と――」
「専門?」
エレンはホールで耳に入った噂を思い出したのか、鼻で笑い、雪茄を灰皿に乱暴に押しつけた。
「不名誉な手で宴に潜り込み、目的が透けてる女が?」
蔑みが目に満ちる。
「君の設計に興味はない。汚い心の人間と時間を無駄にしたくもない。警備!」
声を張ると、近くで待機していた警備員がすぐ寄ってきて、林田朔夜へ退去を促す。
「エレンさん、誤解があります」
林田朔夜は冷静に言いかけたが、警備員が腕を取ろうとした。
「おいおい、待った待った」
だるそうで、笑い混じりの声が割り込む。
周防島一がいつの間にかテラスへ上がってきていた。ポケットに手を突っ込んだまま、のんびり歩いてくる。まるで自宅の庭を散歩するみたいに。
彼はまず林田朔夜に軽くウィンクして落ち着かせ、それから不機嫌なエレンへ向き直る。
「じいさん、そんなカッカするなよ」
周防島一は気安くエレンの肩を叩いた。手慣れた距離感。
エレンは彼を見ると、厳しい表情が明らかに揺れる。
「スオウ? なぜ君が……」
「なぜって?」
周防島一は笑みを崩さない。
「林田朔夜さんは俺の友人だ。――その、誰かに手を加えられたかもしれない設計稿に、弁明の機会をやってくれ」
軽い口調のまま、ほんの少しだけ重さを足す。
「俺の顔を立てるってことで。どう?」
