第3章
九条雅視点
Y市の太陽は凶暴で、まるで私を丸焼きにでもするかのようだった。私はテニスクラブの外に立ち、白いアスレチックスカートを直した。太ももを惜しげもなく見せつける短い丈、そして胸の谷間をちょうどよく覗かせる深いVネックのトップス。白いスニーカーとベースボールキャップを合わせれば、スポーティーでありながら抗いがたい魅力があるように見えるはずだ。
「スポーツエージェント」たるもの、プロフェッショナルでありながら、決して無視できない存在感を放つ――そのバランス感覚が重要だった。
中に入ると、クラブの空調がありがたかった。受付の女性は笑顔で練習コートのほうを指差してくれた。
リズミカルで、それでいて猛々しい打球音が響いていた。――バシッ。その音をたどった先に、彼がいた。
――とんでもない。
覚悟はしていたのに、冴島颯斗を目の当たりにして、一瞬動きが止まった。顔立ちは冴島京介と瓜二つだというのに、纏う雰囲気はまるで昼と夜だった。冴島京介が氷なら、冴島颯斗は野火だ。
彼はサーブを打っていた。一振り一振りが、怒りの爆発そのものだった。汗が彫刻のような胸筋を伝い、太陽の下で筋肉が艶めかしく光っている。黒いアスレチックショーツが太ももに張り付き、完璧な曲線を縁取っていた。
くそっ、また心臓が速くなってる。
「クソッ!」
冴島颯斗はボールをスマッシュし、コートの外へと弾き飛ばした。彼は髪をかきむしり、「またしくじった!」と唸った。
絶好の機会だ。私は深呼吸を一つすると、転がっていたテニスボールを拾い上げ、コートの端へと悠然と歩み寄った。
「冴島颯斗さん、ですよね?」
私は微笑みながら言った。
「新しいスポンサーをお探しだと伺いましたけど……」
冴島颯斗が振り向く。冴島京介と同じ色の灰色の瞳が、私を射抜いた。
彼の視線は数秒間、私の体の曲線、特に胸元をさまよった。私は無垢を装ったが、心の中ではほくそ笑んでいた。
「誰だ?」
彼はラケットを下ろし、タオルで汗を拭った。
「昇星スポーツエージェンシーの九条雅です」
偽造した名刺を渡しながら、わざと指先を彼に触れさせた。
「真の可能性を持つアスリートを代理しています」
彼は乾いた笑いとともに名刺を受け取った。
「また俺と契約したいってエージェントか。俺のランキング、知ってんだろ?」
「47位」
私は間髪入れずに答え、一歩近づいた。
「この三ヶ月で22位も順位を落としています」
距離が縮まる。彼の汗と、混じり気のない男の色気が混ざった匂いが届くほどに。
彼の表情が険しくなる。
「だったら、なんで俺なんかに構う?」
「数字ではなく、可能性を見ているからです」
私は軽く彼の腕に触れた。力こぶがぴくりと動くのを感じる。
「チームなき天才は、ただの失敗者とは違います」
彼は一瞬固まったが、やがて笑い出した。山口里音が彼に執着する理由がわかるような、明るく屈託のない笑顔だった。
「面白いな。他の奴らはみんな『リセット』しろだの『一からやり直せ』だの言うのに。君は、俺がただサポートを失っただけだ、と」
「事実ですから」
私は肩をすくめた。
「山口里音があなたのチームを引き抜いて、マスコミであなたをこき下ろした。あなたの責任じゃありません」
山口里音の名前が出た途端、彼の目が硬くなった。
「あのイカれた女のこと、知ってんのか?」
「それなりには」
私は効果を狙って間を置いた。
「私も、似たような経験をしましたから」
「どういう意味だ?」
私は深呼吸を一つして、演技に入る準備をした。
「昔、愛した人がいました。全てを捧げたんです」
私は声を震わせながら言った。
「でも、彼は私の愛を重荷だと、檻だと感じていた。拒絶された時、私は正気を失いかけました」
冴島颯斗の眼差しが和らいだ。
「でも、学びました。愛は求めるものではなく、相手を高めるものだって。山口里音は、それがわかっていなかったんでしょうね」
「じゃあ、俺があいつを許すべきだと?」と彼は訊いた。
「いいえ」
私は彼と視線を合わせた。
「成功すべきだと思います――彼女が自分の愚かさを後悔するほど、圧倒的に」
彼はしばらくの間じっと私を見つめ、それからニヤリと笑った。
「君、面白いな」
「思ったままを口にするからですか?」
「強気に見えるけど、その目には痛みが宿ってる」
彼はさらに距離を詰めた。
「さっき言ってた男――よっぽど酷い目に遭わされたんだろ?」
ちっ、思ったより鋭い男だ。
「強さなんて、時にはただの鎧でしかないですから……」
私は俯き、声を潜めた。
「でも、人生は続くし、仕事も待ってくれない」
「だから、他人の夢を追いかける手伝いをしてるのか?」
「そんなところです」
私は彼の視線を受け止めた。
「そうしていると、自分にも価値があるって思えるんです」
彼の瞳に、痛みを分かち合うような揺らぎが走った。完璧だ。彼はもう、私の術中にいる。
「俺が本当は何でできてるか、見たいか?」
彼が不意に訊ねた。
「ええ、ぜひ」
それからの一時間、私は冴島颯斗の真の才能が輝くのを目の当たりにした。怒りやプレッシャーから解放された彼のプレーは、純粋な芸術だった。力強く、優雅で、全ての返球が正確無比。
「すごい」
私は近づきながらタオルを手渡し、心からの称賛を口にした。
「あなたみたいな才能を手放すなんて、山口里音は本当に馬鹿ですね」
冴島颯斗は動きを止めた。顔は紅潮していたが、その瞳には今まで見なかった火花が宿っていた。
「そんなこと言ってくれる奴、久しぶりだ」
「みんな、見る目がないだけです」
私たちはクラブのレストランへと歩いた。ビーチを見渡せるオープンテラスだ。私は夕日が完璧に見える席を選んだ。
「あんたは本気で、俺が返り咲けると思ってるのか?」
冴島颯斗は赤ワインのボトルを注文しながら訊いた。
「思っているだけじゃありません。私が、それを実現させる手伝いをします」
私はグラスを掲げ、彼の腕に自分の腕を軽く触れさせた。
「疑っている連中全員に、間違っていたと証明するために」
「新しい始まりに」
彼は私のグラスにカチンと当てた。
私たちは何時間も語り合った。テニスのこと、プレッシャーのこと、家族からの期待のこと。私は時折、話の要点を強調するように、彼のももに手を置き、その感触に彼が緊張するのを感じていた。
冴島颯斗は私が予想していたよりも鋭く、繊細だったが、同時に私の仕草に対してより脆かった。触れるたびに、彼の呼吸がわずかに乱れる。
「お兄さんもテニスを?」
私は何気ないふりをして、彼のももに円を描きながら尋ねた。
「兄が?」
彼の声が強張る。
「あいつは役員室での戦いのほうが好きみたいだ。昔から俺たちは違った。あいつは支配を求め、俺は自由を求める」
「仲がいいんですね」
「大抵はな」
彼の表情が複雑になる。
「でも時々……過保護っていうか。助けを必要としてるって、あいつは思ってるみたいだ」
絶好の隙だ。
「お兄さんなんて、そんなものかもしれませんね」
私は言った。
「彼女はいるんですか?」
「最近、新しい相手ができたみたいだ」
冴島颯斗はワインを一口飲んだ。
「けど、お互い忙しすぎて近況報告もままならない。そういう話を俺にはしないしな」
私は安堵を隠した。
「あなたは?彼女はいるんですか?」
彼の顔が曇った。
「いたよ。でもそいつは……」
彼は言葉を止めた。
「『負け犬』との未来は見えないってさ」
「彼女が損をしただけです」
私は声を和らげた。
「本当にあなたを知る女性なら、そんな表面的なことで判断したりしません」
彼は私の手元に視線を落とし、それから私を見上げた。夕日の輝きの中で、彼の瞳は深く、温かい色に変わっていた。
「雅さん……」
「ん?」
私は身を乗り出し、胸の谷間がはっきりと見えるようにした。
彼の顔が赤くなり、慌てて視線を逸らした。
「明日、大事な試合があるんだ……自分を証明するチャンスが」
彼はためらい、そして私の目を見た。
「応援に来てほしい。君がいると……やれるって気がするんだ」
内心、私はほくそ笑んだ。子供みたいに、ちょろい。
でも私は、感動したような微笑みを彼に向けた。
「もちろん、行きますよ」
夜が訪れ、頭上には星が瞬いていた。冴島颯斗はホテルまで送ると言ってきかなかった。
エントランスで、彼は立ち止まった。
「雅、ありがとう」
彼は真剣な声で言った。
「こんなふうに俺を信じてくれる人なんて、本当に久しぶりなんだ」
「お礼なんていいんです」
私はつま先立ちになり、彼に体を寄せ、頬にキスをした。
「ゆっくり休んで。明日、最高のプレーを見せて」
彼の顔が真っ赤になった。
「おやすみ」
彼はかすれた声でそう呟くと、足早に去っていった。
遠ざかる彼の背中を見送りながら、私の唇には冷たい笑みが浮かんでいた。
明日の試合は、彼をさらに引き寄せるための好機になる。
そしてあなた、私の愛しい獲物は、まんまと私の罠に歩み寄っているのよ。
