第3章
養子縁組の手続きを終えた翌日から、私は武の体系的な改造に着手した。
「今日からお前は神谷武、神谷家唯一の跡継ぎだ」
私は神谷家の書斎の椅子に腰掛け、目の前の分厚い資料の山を前に言った。
「これは神谷財閥の資料、こっちは上流社会における礼儀作法、それからこれは……」
私はテーブルの上の写真を指差す。
「これは豪が幼かった頃の写真と動画だ。お前はあいつの全ての習慣を熟知する必要がある」
八歳の武は、まるで大人のような真剣な眼差しでそれらの資料を見つめていた。
「覚えておけ。これは演技じゃない。お前自身が、神谷家のひとり息子になるんだ。神谷豪の過去なんてもう重要じゃない」
「本当に、これでいいんでしょうか」
武は少し躊躇いがちに尋ねた。
「なんだか、あの人たちの気持ちを騙しているみたいで」
私は冷ややかに彼を見つめる。
「気持ち? もし神谷豪が帰ってきたら、お前があの人たちにまだ必要とされると思うか? かけがえのない存在になって初めて、お前はこの全てを守り抜くことができるんだ」
その言葉は、彼の急所を的確に貫いた。武は長いこと黙り込み、やがてこくりと頷いた。
それから数年間、私は武が孤児院の子供から、完璧な神谷家の跡継ぎへと少しずつ変貌していく様をその目で見てきた。
彼は優雅なテーブルマナーを身につけ、ビジネスの場でいかにそつなく会話するかを学び、様々な社交の集いで最も魅力的な笑顔を見せる術を会得した。
神谷おじ様とおば様は、日に日に彼に満足していくようだった。
「武は本当に聞き分けがいい。豪の子供の頃よりもずっと素直だ」
神谷家の主人はよく妻にそう話していた。
「ええ、そうね。きっとこれが運命の采配だったのよ」
神谷家の奥様はいつも慈愛に満ちた表情で武を見つめていた。
十二歳になった年、私は武を芸能界に接触させ始めた。
最初のオーディションは、東京最大手の芸能事務所——スターライト・エンターテイメントで行われた。
「神谷武、十二歳、神谷財閥のご子息か」
オーディション担当のディレクターは資料に目を通すと、すぐに興味の光を宿した。
武のパフォーマンスは完璧と呼ぶにふさわしかった。歌声は清らかで心を打ち、ダンスは流れるように力強く、演技は真に迫り自然だった。
しかし……。
「どうせ顔だけの養子だろ。名門の父がいればアイドルになれるとでも思ってんのか?」
休憩室で、何人かの同年代の練習生がわざと武に聞こえるように大声で話していた。
「だよな。本当に実力があるやつはバックなんていらねえし」
「しかも実子じゃないんだって? 孤児院出身なんて、ろくなもんじゃねえだろ」
武が拳を握りしめるのが見えた。だが彼は怒りを押し殺し、平然と応じた。
「実力で証明してみせます」
このような排斥と悪意は、芸能界では日常茶飯事だ。とっくに予期していたことだった。
「芸能界は涙を信じない。価値だけを信じる」
私は武の肩を叩く。
「本当の実力というものを見せてやれ」
私は雪野家の人脈とリソースを使い始めた。
一ヶ月後、武を嘲笑っていた練習生たちは全員、事務所から契約を解除された。
そして武は、スターライト・エンターテイメントの重点育成対象となった。
「神谷様のご子息は実に素晴らしい素質をお持ちです。弊社としても重点的に育成させていただきたい」
事務所の幹部はそう言った。
「いつも助けてくれてありがとう。でも、俺は自分の努力で成功したい」武が私にそう言った。
私は笑った。
「これも、お前自身の努力だよ。私はただ、公平な環境を整えてやったに過ぎない」
本当の転機は、武が十五歳になった年に訪れた。
その日、彼が神谷家のプライベートスタジオで新曲を練習しているのを、私はこっそりと録画し、いくつかのSNSプラットフォームに投稿した。
まさか、その動画が一夜にして爆発的に拡散するとは。
『この新人誰!? 顔面偏差値も実力もヤバすぎ!』
『神谷武? 聞いたことないけど、もう推す!』
『この声、まさに天上の響き!』
再生回数は二十四時間で千万回を突破し、武のフォロワー数は爆発的に増加した。
各ブランドが次々とコンタクトを取り、彼に広告モデルを依頼してきた。映画やドラマのオファーもひっきりなしに舞い込んでくる。
「見たか? これが俺たちの努力の成果だ」
私は興奮して武に言った。
「今のお前は、もう豪よりも価値のある存在になった」
武は画面に並ぶ熱狂的なファンのコメントを眺め、その目に悟りのような光がよぎった。
「あなたの言っていたことが、少しわかってきました。この世界では、成功だけが自分の欲しいものを守れるんですね」
おじ様とおば様は彼の成功を誇りに思った。
「武が我々神谷家の名を高めてくれた。もし豪が生きていたら……弟を誇りに思っただろう」
神谷家の主人は誇らしげに言った。
「武は私たちの本当の息子よ。何の違いもないわ」
奥様が付け加える。
その言葉を聞いた瞬間、私の心は大きな満足感で満たされた。
計画は想像以上に順調に進んでいた。
時は瞬く間に過ぎ、二〇二二年。
十八歳になった神谷武は、もはや芸能界において誰もが認めるトップスターとなっていた。
彼のコンサートチケットは入手困難を極め、その商業的価値は同年代のあらゆるタレントを凌駕していた。さらに重要なのは、彼が神谷財閥の経営判断に関与し始め、驚くべきビジネスの才能を発揮し始めたことだ。
「神谷武! 私たちは永遠にあなたを愛してる!」
コンサート会場で、十万人のファンが声を揃えて叫ぶ。
ステージ上の武は、完全に変貌を遂げていた。背は高く、目鼻立ちは深く、その一挙手一投足からは成熟した男の色気が漂っている。
「応援してくださる全ての人に感謝します。皆さんの期待を裏切らないよう、これからも努力し続けます」
彼の低く磁性を帯びた声が、客席のファンを熱狂の渦に叩き込んだ。
私は舞台裏からその全てを眺め、今までにないほどの達成感に包まれていた。
やった。本当に、やり遂げたのだ。
「お前は、俺が当初抱いていた全ての期待を超えた」
公演後、私は武にそう告げた。
今の彼は、もはやあの頃のおどおどした孤児院の少年ではなかった。十八歳の神谷武は成熟し自信に満ち、その瞳には野心の光が爛々と輝いていた。
「これはまだ始まりに過ぎない」
彼は私を深く見つめる。
「何かを証明するためじゃない。ただ、頂点に立つ感覚が好きなんだ。この世界の、誰よりも上に」
翌日の役員会で、神谷家の主人は正式に宣言した。
「武のビジネスにおける慧眼には目を見張るものがある。彼こそが神谷家の未来だ」
全ての役員が賛成票を投じた。神谷武は、正式に神谷財閥の後継者となった。
夜、私と武は神谷家の屋上で話していた。
「初めて会った時の約束を覚えているか?」
私は彼に尋ねた。
「十年後、お前は今日の決断に感謝する、と」
武は振り返り、その両目が月光を浴びてきらりと光った。
「あなたに感謝するだけじゃない。あなたと共に、もっと大きな奇跡を創り上げたい」
彼の言葉に、私の心臓が速鐘を打つ。この十年間、彼が少年から男へと成長し、私の指導に依存する存在から対等なパートナーへと変わっていく様を、私はこの目で見てきた。
私たちの関係もまた、静かに変化していた。
まさにその時、私のスマートフォンが鳴った。
ニュースのプッシュ通知だった。
『警察、十年前に失踪した児童と思われる有力な手がかりを発見。現在、詳細を調査中……』
私はそのニュースに目をやり、口の端に冷笑を浮かべた。
そろそろ時間だ。お前の出番が来たようだな、神谷豪。
私はスマートフォンを閉じ、武に告げた。
「準備はいいか? 俺たちの十年にわたる作品が、いよいよ最終審査を受ける時だ」
武は私の手を握った。
「どんな時でも、俺はあなたの側にいます」
そうだ。十年の歳月をかけて、私は完璧な身代わりを育て上げただけではない。もっと重要なのは……。
彼の心を、手に入れたことだ。
神谷豪、おかえり。
自分が完全に取って代わられたと知った時、お前がどんな顔をするのか、見せてみろ。
