第3章
浅川月は一瞬きょとんとして、慌てて言った。
「沈村蓮、お願いだから衝動的にネットで言い合いなんてしないで。こっちは本当に、ちゃんと手を打って――」
最後まで言わせない。
沈村蓮は通話を切った。
背筋を起こし、指を走らせる。カタカタカタ、とキーボードが乾いた音を立て、モニターの画面は次々と別のページへ切り替わっていった。
浅川月が焦ってかけ直してくる。沈村蓮は選ぶように無視する。
三度目の着信が鳴っている最中、沈村蓮はエンターキーを叩いた。
画面に、一本の動画が立ち上がる。
葉山家のリビング――あのときの監視カメラ映像だ。
葉山家の監視システムは性能が良くない。映像はそこそこ鮮明だが、音声はぼやけている。
……問題ない。直せる。
あの変な女のツイッターアカウントを思い出し、沈村蓮はログインする。動画を投下し、ついでにネットの掃除も軽く済ませると、さっさとログアウトした。
そして何事もなかったみたいに、元々やるつもりだった作業へ戻った。
……
沈村蓮が電話に出ないせいで、浅川月は気が狂いそうだった。
少し前、盛川の上層部が沈村蓮に田山監督のバラエティ枠を用意してくれたとき、浅川月はようやく会社が沈村蓮を育てる気になったのだと信じた。沈村蓮と何日も、興奮気味に未来の話をしたほどだ。
なのに、たった一度の発表会で、沈村蓮はまた「全方位から叩かれる人間」に逆戻り。
それでも浅川月は諦めたくなかった。誰よりも近くで見てきたからだ。沈村蓮は本当に努力している。ネットで言われているような人間じゃない。
だからこの二日間、浅川月は走り回った。頭を下げ、伝手を探し、どうにかできないかと手を尽くした。
ようやく少し光が見えた矢先――今日は葉山詩音の「入院」トレンドが出たうえ、本人まで意味深な投稿で沈村蓮のせいだと匂わせてきた。
浅川月は怒りで頭が沸騰しそうになりながら、裏ではサブ垢でアンチと殴り合い、表では社内で沈村蓮のために理詰めで食い下がった。だが今回は、上層部が本気で契約解除に動いていた。
押し切れない。
浅川月は肩を落とし、せめて沈村蓮を落ち着かせてから、もう一度上を説得しようと電話をかけた。
ところが沈村蓮は「自分がやる」と言った。
過去に、沈村蓮が三日三晩アンチとやり合って、結果的にもっと燃えた――あの悪夢が脳裏をよぎる。浅川月は必死で止めた。
なのに沈村蓮は切った。しかも、その後も電話に出ない。
浅川月は社内をぐるぐる歩き回り、落ち着きなくスマホを握りしめていた。
そのとき、突然「上が呼んでる」と言われた。
胸がひゅっと縮む。
会議室へ通されると、そこには幹部が何人も揃っていた。全員が険しい顔で、空気がどこか妙に張りつめている。
浅川月は勢いよく口を開く。
「部長、沈村蓮の件は彼女のせいじゃありません! 彼女は葉山詩音と張り合うつもりなんて一度も――そもそも葉山詩音が……!」
部長は手を上げて制し、微妙な口調で言った。
「沈村蓮は確かに、伸びしろのある新人だ。君は担当として、広報と連携して今回の火消しに全力で当たれ。それと、育成プランを具体的に提出してくれ。必要なリソースは出す」
「――葉山詩音がずっと彼女を狙って……」
解約通告が来ると思い込んでいた浅川月は、言葉が喉で詰まった。
「……え? な、何ですか?」
呆けたままの浅川月の横で、タブレットを持っていた秘書が急に声を上げた。
「部長、ネットの沈村蓮トレンドが……変わりました!」
浅川月の背筋が冷える。
まさか沈村蓮がアンチに噛みついて、さらに炎上したんじゃ――。
せっかく転がり込んだチャンスだ。ここで逃すわけにはいかない。
浅川月は幹部がまだいるのも忘れ、スマホを取り出して通知を開いた。そこに出てきた見出しに、思わず固まる。
【衝撃! 新進気鋭の女神・葉山詩音の裏の顔】
恐る恐るタップすると、沈村蓮のツイッターアカウントの投稿が表示されていた。添付は動画。
幹部たちも同じ画面を覗き込み、再生を押す。
豪奢な内装のヴィラのリビング。沈村蓮と葉山詩音が同じ空間にいる。沈村蓮はカメラに背を向け、葉山詩音は正面を向いていた。
葉山詩音が嘲るように言う。
「トレンドのせいで、あんた田山監督の番組、たぶん無理でしょ。今ここで土下座して謝ったら、許してあげるか考えてもいいけど?」
沈村蓮の声は怒りで震えている。
「ふざけないで! あの記者、あんたがわざと呼んだんでしょ。私を嵌めたんだ!」
葉山詩音は舌打ちした。
「だから何? あんた、私を叩いたのは事実じゃん。バカだからだよ」
言い争いが続き、沈村蓮が感情に煽られて手を上げる――が、寸前で止まる。急に苦しそうに身を強張らせた。
葉山詩音が一瞬、目を見開く。
次の瞬間。
葉山詩音は自分で自分の頬を叩き、さらにテーブルの角へぶつかるように倒れ込んだ。
そこで動画は終わった。
ネットは騒然。
【え、なにこれ……発表会の件、葉山詩音が仕組んだってこと?!】
【今回の入院も自作自演??】
【葉山詩音ってこんな人だったの……見る目なかった】
【いやいや、こんなの絶対フェイク! 詩音ちゃんがこんなことするわけない!】
【沈村蓮が加工したんでしょ。洗えなくなったから泥を塗っただけ】
【詩音ちゃんに無理やり言わせた可能性もある! 詩音ちゃん優しいから、沈村蓮が叩かれすぎて見てられなくて……】
【同意。いつまで詩音ちゃんの熱量に寄生してんの。沈村蓮、国内の芸能界から消えて】
葉山詩音のファンが一斉に突撃し、沈村蓮のコメント欄は瞬く間に埋め尽くされた。
「ファンの分析が正しい」と言い出す者もいれば、信じない者もいる。さらに葉山詩音のアンチ寄りの層が沈村蓮を擁護し、火に油を注いだ。
議論は一気に跳ね上がり、トレンドはあっという間に1位へ。
盛川の幹部たちは、さっきまでの苦い顔を引っ込めると即座に指示を飛ばした。
「広報を動かせ。世論誘導とコメント管理だ。沈村蓮叩きが再燃しないように、ここで流れを固めろ!」
そして浅川月を見る。
「こんな映像があるなら、なぜもっと早く出さなかった?」
浅川月は完全に固まっていた。
……私だって知らない。
でも沈村蓮を守れる。契約解除も回避できる。
浅川月は胸の奥が熱くなり、急いで広報部へ走った。
その頃、ネットでは技術者が検証スレを立てていた。
沈村蓮が投稿した動画に合成の痕跡はない――正真正銘の原本だ、と。
その人物は業界でも名の通った権威で、葉山詩音のファンは言葉を失った。対立側のファンはここぞとばかりに叩きに回る。
それでもなお、葉山詩音のファンの一部は食い下がる。
【どうせ沈村蓮が雇った工作員だろ】
対立側どころか、通りすがりの人間にまで笑われた。
【いや、葉山詩音のファンって教養なさすぎない?】
【その人、本物の大御所だよ。踊ってるだけの『お嬢様妖精』とは格が違う】
検証者本人も容赦がなかった。受賞歴や実績を貼りつけ、葉山詩音とそのファンへ真正面から反論する。
それで葉山詩音のファンは黙り込んだ。
しかし、もう遅い。
火をつけた相手が多すぎた。鍋が吹きこぼれるみたいに人が押し寄せ、葉山詩音のアカウントのコメント欄は罵倒と糾弾で埋まっていく。擁護はごく少数、必死に踏ん張っているだけ。
そこへ、別の声が割り込んだ。
【でもさ、沈村蓮が昔やったこと忘れたの? 葉山詩音は被害者なんだから、反撃したっていいでしょ】
その一言で、葉山詩音のファンは我に返った。
そうだ、過去の「沈村蓮が葉山詩音をいじめた」報道がある――それを掘り返せばいい。
彼女たちは慌てて検索し、過去記事を探し回った。
だが。
どれだけ探しても、出てこない。
以前沈村蓮を叩いていた大手アカウントの投稿に飛んでも、該当の内容が見当たらない。
信じられず、一度ログアウトして検索し直す者までいた。
そして気づく。
同じ時間に「祭り」を見ていた連中が、次々と同じことを言い出したのだ。
――沈村蓮を黒くしていた過去の投稿が、全部消えている。
跡形もなく。
きれいさっぱりと。
