第56章 世界で最も幸せな女性

松本霞澄なら、いつもの調子なら――緒方廷治のからかいには沈黙で返したはずだ。

けれど今日は、過去に別れを告げに来た日だ。これ以上、みっともなく取り繕うつもりはない。霞澄はわざと声を張り、さっきの言葉をもう一度ぶつけた。

「私が松本希実に似てないって言うなら……どうして昔、私に向かって『希実』って呼んだの?」

刺さるほど鋭い問いだった。緒方廷治の口元から、笑みがすっと消える。

答えはない。無表情のまま腕に力を込め、霞澄を逃げ場のないほど強く抱き締めた。

周囲で見ていた者は少なくない。皆、ぽかんと固まった。噂では聞いていた――松本霞澄と緒方廷治の関係が「きれいじゃない」と。だが、こうし...

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