第4章 どこかでお会いしたことがありますか
隣の葉山静香も、さすがに息を呑んだ。まさかここで黒崎恒一に鉢合わせるなんて。しかも彼の視線は、ずっと桜井瑞希に貼りついたまま。――気づかれたら、どうする。
しばらくして、黒崎恒一がようやく口を開いた。相変わらず、氷のように硬い声。
「どこかで会ったことがあるか?」
その問いを聞いた瞬間、桜井瑞希は内心でほぼ確信した。黒崎恒一は、自分だと気づいていない。
今の自分は、四年前の「冴えない女」とは雲泥の差だ。冷静にさえしていれば、見破られるはずがない。
そもそも、あれだけ長く一緒にいても、彼はほとんど自分に関心を向けなかった。
瑞希は目尻をわずかに吊り上げ、清冽な瞳に薄い嘲りを滲ませる。
「外で女に声かけるの、そんな古臭い手口なんですか? さっきまで『うちのシステムをハックしただろ』って詰めておいて、次の瞬間には『どこかで会った?』。年寄りなんだから、せめて招くらい変えたらどうです?」
その言葉に、鈴木謙介が即座に噛みついた。
「黒崎社長を年寄り呼ばわりだと? F市で生きていけると思うなよ!」
瑞希は一歩も引かず、淡々と言い返す。
「三十過ぎの男でしょ。年寄りじゃないの?」
「お前……!」
「謙介、黙れ」
黒崎恒一の瞳が、底冷えするほど暗く光った。
瑞希はここで時間を食う気はなかった。さっさと子どもを連れて離れたい。黒崎恒一が自分を見抜けなくても、颯太と由衣を見れば話は別だ。
「静香、行くよ!」
葉山静香の手を掴んで歩き出した、その瞬間――鈴木謙介たちが前に回り込み、道を塞いだ。
「申し訳ありません。黒崎社長が調べ終えるまで、お二人にはお帰りいただけません」
葉山静香が瑞希の袖をそっと引く。緊張で顔がこわばっていた。黒崎恒一の強引さと手段は、噂で聞いたことがある。目的を果たすまで引かない男だ。
瑞希は静香の手首を握り返し、落ち着かせる。
「大丈夫。私が片づける」
再び顔を上げる。瞳は凍てつく刃のように冴えた。
「私が御社のシステムをハックしたって言うなら、証拠は? 証拠もないのに足止めするなら、謝罪してもらいます」
鈴木謙介は鼻で笑った。
「調べて関係なかったら謝りますよ」
瑞希は小さく眉を上げる。
「謝るなら、彼が直接」
そう言って、背後の――背筋を伸ばし、陰鬱な顔をした男を指差した。
黒崎恒一は意外そうに目を細めた。ここまで図々しい女は珍しい。
――いや、一人だけいた。離婚直前、薬を盛ってまで自分を組み敷いた元妻。
さっき一瞬、背中と声が似すぎていて、戻ってきたのかと思った。
だが顔は別人。それなのに、なぜか妙に馴染む。
鈴木謙介は青ざめた顔で叫ぶ。
「死にたいのか! 黒崎社長に謝れだと? 自分を何様だと思ってる!」
瑞希は挑むように黒崎恒一を見た。恐れは欠片もない。
「人を疑っておいて、謝れないんですか?」
黒崎恒一は瑞希の前へ歩み寄り、低く響く声で言った。
「その手で俺を釣るつもりか。……目的は何だ」
