第6章 黒崎恒一は彼女に気づいたのか?
黒崎恒一は車に乗り込むなり、眉間に冷たい陰を落とした。
「中にいた女の身辺を洗え。些細なことまで全部だ」
鈴木謙介が頷く。
「はい」
なぜだろう。あの女を見た瞬間から、桜井瑞希の影がやけに脳裏を掠める。
正直、前に瑞希が離婚を口にしたときも、そこまで気にしていなかった。どうせ意地を張っているだけだと決めつけていたのだ。水野優奈が戻ってくる――それが分かっていて、瑞希が心穏やかでいられるはずがない。
ところが、あの日を境に瑞希は二度と姿を見せなかった。
まるで、蒸発したみたいに。
探らせもした。だが何一つ出てこない。どこへ行ったのかさえ掴めない。……そして何より、彼のプライドが、自分から探しに行くことを許さなかった。
そんな思考を断ち切ったのは、ズボンのポケットで震えたスマホだった。
水野優奈からの着信。
「どうした」
声は冷たいまま、ほんの少しだけ柔らかい。いつもの刺々しさが薄れている。
「恒一……なんだか変なの。胸がすごく痛くて、苦しい……」
電話越しの声は弱々しく、甘ったるいほど儚い。顔を見ていなくても、声だけで庇ってやりたくなる類の女だ。
黒崎恒一は短く言った。
「家で待ってろ。今行く」
「うん……待ってる」
一方その頃。
桜井瑞希は黒崎恒一たちが店を出たのを見届けた途端、膝から力が抜け、椅子にへたり込んだ。葉山静香も青い顔のまま、それでも必死に瑞希を落ち着かせる。
「大丈夫。もう行った。あの子たちも見つからなくてよかった」
瑞希はすぐに立ち上がり、隣の席へ駆けた。
「颯太、由衣……!」
「ママ、ここだよ」
由衣が首を伸ばして真っ先に返事をする。
中へ入ると、二人はソファに並んでスイーツを頬張っていた。口の周りにはクリームがべったり。
瑞希の顔色がさっと白くなる。彼女は二人を強く抱きしめた。胸の奥で恐怖が膨れ上がる。もし黒崎恒一に見つかっていたら――。
今の瑞希にとって、この子たちは命そのものだ。誰にも奪わせない。
息を整えた瑞希は、今度は表情を引き締めて二人を見据えた。
「……あなたたち。まさか、他人の会社のシステムに侵入したの?」
由衣はびくっと肩を震わせ、首をすくめる。普段、ママは滅多に怒らない。だからこそ怖い。
「ママ……」
その甘えた声に心が揺れかけた。けれど瑞希は堪える。黒崎恒一が父親だと知ったら、あの男は手段を選ばず奪いに来る。余計な火種は増やせない。
そのとき颯太が、由衣を庇うように一歩前へ出た。黒崎恒一に似た顔立ち。とくに目――冷えた光まで似ている。
「ママ。僕がやった。由衣は関係ない」
そして、まっすぐに言い切った。
「パパとママに、もう一回一緒になってほしかったんだ」
瑞希の胸がひゅっと鳴る。葉山静香も目を見開いた。
「颯太、教えて。どうしてあの人がパパだって分かったの?」
瑞希の性格なら、こんな話を子どもにするはずがない。
颯太は自信満々に胸を張った。
「簡単だよ。パソコンで照合すればいい。僕の指紋を取って、内部ネットワークに入って自動照合。それだけ」
葉山静香は口をあんぐり開けた。
「F市の内部ネットワークに侵入したの!? うそでしょ……それ、破れるの……?」
瑞希が肘で静香を小突く。
「今の反応、褒めるところじゃないでしょ。違法なことするなって叱るところ!」
静香は興奮したまま言い返す。
「だって瑞希! 見てよ、この子たちの頭の良さ。黒崎恒一のあのクズ男にそっくりじゃない? 天才すぎるって! しかも内部ネットワークに入ってバレてないとか……もし黒崎恒一が知ったら、絶対に奪いに来るよ。二人とも、あの男にとっては喉から手が出るほどの宝なんだから」
