第5章

白川凰姫はまつげを伏せ、静かに答えた。

「……分かりました、おばあさま」

祖母はその従順さに小さく息をつくと、今度はいたずらっぽく目を細め、声を潜める。

「あなたたちね、ちゃんと本音で向き合わないと。そうすれば暮らしはうまく回るわ。二人が仲良くしてくれたら、私も早くひ孫を抱けるでしょう? ね?」

祖母はくすくす笑いながら畳みかける。

「ほら見て。髪も真っ白よ。四世代そろって食卓を囲むのが夢なの。凰姫も巡哉も、少し急ぎなさい。あんまり待たせないでね」

白川凰姫の頬が「かっ」と熱く染まり、胸の奥がきゅっと痛んだ。

——そうだ。もう三年。なのに、お腹には何の気配もない。

それに、芳丸巡哉が自分に真心の愛をくれるだなんて、彼女は一度だって想像できなかった。

祖母と少し話してから、白川凰姫は運転手に白川家へ向かうよう告げた。

白川家の別荘は、どこもかしこも豪奢すぎて、金の匂いが鼻につく。見せびらかさなければ気が済まない——そんな焦りが、壁の隅まで染みついているようだった。

その焦りは、養母の温水鈴花にもそのまま宿っていた。

白川凰姫がリビングへ足を踏み入れた瞬間、黒いタブレットが風を切って飛んできた。

「ドンッ」

羊毛の絨毯に叩きつけられ、画面には下品で目に痛い見出しが踊る。

【芳丸奥さん、初恋相手と密会 謎の若手御曹司が既婚者を狙う?】

【昔の恋人が帰還 高嶺の花はなおも咲く】

添えられたのは、角度のいやらしい盗撮写真。相良沢弥が彼女の手首をつかむ場面、カフェで指輪を差し出して求婚する場面。

白川凰姫は俯き、相良沢弥は切実そうな顔——それだけで、メディアは勝手に「悲恋」に仕立て上げる。

「見なさいよ、あなたのやったこと!」

温水鈴花がソファにふんぞり返り、吐き捨てた。

「外がどれだけ騒いでると思ってるの? 白川家の顔に泥を塗ったのよ!」

手入れの行き届いた顔には凶気が張りつき、昂いシャネルのセットアップに、派手なネイル。

その指先が白川凰姫をまっすぐ指し、かすかに震えている。

白川凰姫は画面から視線を外し、淡々と温水鈴花を見た。弁解もしない。うろたえもしない。

その平然さが、かえって温水鈴花の癇に障った。

「その態度、何? 口がきけないの?」

温水鈴花は立ち上がり、胸を大きく上下させる。

「今すぐ相良沢弥に電話しなさい! 二度と近づくなって! 白川家に余計な手を出すなって! あんな狂った男に逆恨みされたら、うちは持たないのよ!」

白川凰姫は唇の端だけをわずかに上げた。冷えた弧。

——相良沢弥がその気になれば、白川家では確かに太刀打ちできない。だから、家に押しかけられただけでここまで怯えるのだ。

「電話したら、連絡先は全部ブロック。きっぱり切るの!」

温水鈴花は早口になる。

「それから芳丸家へ戻って、巡哉に謝れ! 土下座でも何でもいい! 一時の気の迷いで、あの貧乏坊主に騙されて会っただけだって言いなさい!」

「貧乏坊主……?」

白川凰姫は静かに復唱し、可笑しさに喉が引きつった。

「今の彼は、もう違うわ」

「違うも何もあるもんですか!」

温水鈴花は声を荒げる。

「芳丸家より強いの? え?」

白川家が過去に相良沢弥へしたことを思い出したのか、温水鈴花の顔色が一瞬で強張った。白川凰姫が少しでも庇う素振りを見せると、すぐにヒステリックに跳ねる。

「白川凰姫、忘れないで。あなたは芳丸奥さん! あんたが早く子どもを産まないから、元彼ひとりに引っ掻き回されるのよ! 一男半女でも産んでしまえば——」

言いかけたところで、温水鈴花はふいに横へ目配せした。

すぐに使用人が、黒い磁器の碗を運んでくる。

途端に、濃くて妙な薬臭が部屋へ広がった。苦く、渋く、土の匂いまで混ざって鼻を刺す。

碗の中は底の見えない黒。どろりと粘つき、三日三晩煮詰めた瀝青みたいだった。

温水鈴花は碗を受け取り、強引に白川凰姫の前へ突き出す。

歪んだ「心配」の笑みを浮かべながら。

「ツテで手に入れた秘方よ。よく効くの。飲めばすぐ授かる。女は子どもがいてこそ地位が固まるのよ」

白川凰姫は碗を見つめ、胃の奥がひっくり返りそうになる。

——幼いころ。温水鈴花が手ずからスープを作ってくれたことがあった。

あの頃の温水鈴花は妊娠中で、白川凰姫を養女に迎えたから幸運が巡ってきたのだと信じていた。ほんの少し、真心があった。

「凰姫、たくさん飲んで。大きくなりなさい」

けれど弟の白川逸也が生まれた瞬間、その温かさは消えた。

彼女はショーケースに飾られる陶器になり、やがて——取引される。

今、目の前の黒い碗も目的は露骨だ。

彼女の身体を案じているのではない。早く「結果」を出させ、白川家の利益を増やすためだけ。

「飲まない」

白川凰姫はきっぱり拒んだ。

「飲むのよ!」

温水鈴花の堪忍袋が切れる。ずかずかと踏み寄り、白川凰姫の顎をつかんで無理やり碗を口元へ寄せた。

「自分が誰だと思ってるの? あんたは白川家が飼ってる犬でしょ! ご主人に媚びろって言ってるのに、何を選り好みしてんの!」

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