第2章 事務的な夫

中村七海は驚愕に目を見開いた。

心臓にぽっかりと大穴が開き、冷たい風が吹き抜けていくかのようだ。

病室には暖房が効いているはずなのに、中村七海は全身が凍えるような寒さを感じていた。

彼女は震えながら中村健を見つめる。

その言葉よりも、彼の眼差しのほうがずっと冷たかった。

「どうして? 空港から連れて帰ってきた、あの女の人のせい?」

中村七海はほとんど全身の力を振り絞って、そう問いかけた。

自ら屈辱を招くだけだと、わかっていたのに。

結婚して五年、中村健がこんなにも優しく一人の女性に接するのを、彼女は一度だって見たことがなかった。

よくよく考えてみれば、二人の間に唯一温もりが通う瞬間があったとすれば、それはベッドの上だけだった。

中村健は彼女を見下ろし、その墨色の瞳は昏い翳りを帯びていた。

「離婚協議書がどこにあるかは知っているだろう。帰ってサインしたら、俺のところに持ってこい」

布団の下に隠された中村七海の手は、すでに固く拳を握りしめていた。

二人が結婚したその日から、離婚協議書はずっとベッドサイドテーブルの中にあった。

中村健はとっくに署名を済ませており、あとは彼女のサインを待つだけだったのだ。

中村七海は、自分が耐え続ければ、いつかはこの氷塊のような彼を溶かすことができると、頑なに信じてきた。

ほとんど卑屈なほどに、自分の真心を彼に捧げてきた。

だが中村健は一片の憐れみも見せず、それどころか躊躇なく踏みつけて砕いた。

中村七海は深く息を吸い込み、まだ諦めきれない気持ちで口を開く。「本当に、もうやり直す機会はないの?」

中村健は眉をわずかにひそめた。それは彼が苛立ち始める前兆だった。

「彼女が戻ってきた。だから、お前はその場所を明け渡せ」

またしても、容赦ない一刀。

中村七海は今や、無理に浮かべていた笑みさえも作ることができなかった。

その女が誰なのか、彼女には問いただす勇気がなかった。

中村健の心の中にずっと好きな人がいることは、とうの昔から知っていた。

その相手が戻ってきたのだから、自分は追い出される。

「離婚は受け入れます。でも、絶対に退職はしません。秘書の仕事は、私が自分の努力で手に入れたものですから」

胸の刺すような痛みを必死にこらえ、中村七海は声の平静を保とうと努めた。

中村健は淡々と「ああ」とだけ応じた。

彼は手首を上げ、ちらりと時間を確認する。「今日は病欠で休みだ。今月の休暇から一日引いておく」

どこまでも事務的な口調だった。

中村七海はほとんど歯を食いしばるようにして、声を絞り出した。「わかりました」

返事を得ると、中村健はためらうことなく踵を返し、立ち去った。

最初から最後まで、彼が中村七海の身を案じる言葉は一言もなかった。

中村七海は強く目を閉じた。この五年という歳月が、途方もなく滑稽なものに思えてきた。

自分は良き妻として務めを果たしてきたつもりだった。

中村健は味の好みがうるさく、胃も弱かった。彼の体を気遣うため、彼女はわざわざ料理を習い、一日三食、心を込めて献立を考えた。

中村健が社長に就任したばかりの頃、社内の内紛は深刻だった。

彼の叔父や従兄弟たちが、躍起になって彼を社長の座から引きずり下ろそうとする中、彼女は必死に会社のために契約を取り、営業に奔走した。

最も過酷だったのは、あるクライアントが彼女の前に一本の赤ワインを置いた時だ。

これを飲み干せば、契約は我々のものになる、と。

中村七海はほとんど迷うことなく、その一本を空にした。

無事に契約を勝ち取った後、彼女は病院に運ばれ胃洗浄を受け、丸三日間意識を失った。

胸の痛みが、ますます鋭くなっていく。

中村七海は身を起こしてベッドから降り、鏡に映る青白く疲れ切った女の顔を見て、ふと我を忘れた。

これは本当に自分なのだろうか?

中村七海は元々美しい顔立ちをしていた。特にその瞳は、浅い瑠璃色の光彩を放ち、まるで澄んだ秋の水のようだ。

手のひらほどの小さな顔に、すっと通った鼻筋、そしてほんのり桜色をした唇はひときわ豊かだった。

ただ、その瞳の奥には今、哀しみと疲労が色濃く刻まれている。

本当に、疲れた。

中村七海は病院で一日中点滴を受けていたが、その夜も中村健は帰ってこなかった。

翌日、彼女は疲弊した体を引きずって会社へ向かった。

中村健の補佐役兼秘書として、彼女が処理すべき仕事は山ほどある。各提携先やプロジェクトの進捗管理だけでなく、中村健のスケジュール調整、研修の手配、そして彼の体調管理まで、すべてをこなさなければならない。

たった一日、会社を休んだだけだというのに。

中村七海のデスクの上には、書類が小山のように積み上がっていた。

彼女はすぐに気持ちを切り替え、その中から急ぎで処理すべき書類を数件選び出すと、社長室のドアをノックした。

「中村社長」

彼にもっと近づきたい一心で、彼女はこの仕事を選んだのだった。

「入れ!」

中村健の冷たい声が響く。

中村七海がドアを開けて中に入ると、そこには彼女の胸をさらに締め付ける光景が広がっていた。手にしていた書類さえ、危うく床に落としそうになる。

中村健は執務椅子に座り、そしてその膝の上には、一人の女が腰かけていた。

彼女は中村七海に背を向けており、顔は見えない。

しかし、ミニスカートに長い巻き髪という出で立ちから、容姿も悪くないことが窺えた。

「健さん、会社にいる時ってこんなに冷たいのね。やっぱり笑ってるほうが素敵よ」

甘えたようなその声に、中村七海はおとといの夜の電話を瞬時に思い出した。

空港で盗撮された動画は不鮮明で、女の顔までははっきりと見えなかった。

だが、こうして間近で接してみると、なぜか奇妙な既視感を覚える。

中村健は困ったような、それでいて優しい眼差しで彼女を見つめた。「仕事中なんだ」

「でも、そんな怖い顔してると、すっごく恐いんだもん」

女は甘えながら、中村健のネクタイに手を伸ばした。

「今日のネクタイ、全然似合ってない。言い忘れてたけど、私、ネクタイの結び方、覚えたの。これからはこの役目、私に任せてくれていいからね」

言うほうに悪気はなくとも、聞くほうには棘となる。

中村七海はかつて五年もの間、中村健のネクタイを結んでやった。

それは本来、妻と夫の間のささやかな幸せであるはずの行為。

だが、女がこう言うのは、主権を宣言しているのと何が違うというのか。

もっと言えば、これは遠回しでありながらも、あからさまに中村七海へ、お前はもう用済みだと通告しているようなものだった。

中村七海は手の中の書類を静かに握りしめ、その視線をじっと中村健に注いだ。

彼は口元に終始淡い笑みを浮かべ、ただただ愛おしそうに女のわがままを見守っている。

その眼差しに宿る優しさと愛情は、中村七海がこれまで一度も与えられたことのないものだった。

「お前は毎日寝坊ばかりだろう。その時、俺は誰にネクタイを結んでもらえばいいんだ?」

女は唇を尖らせ、甘えた声でふんと鼻を鳴らした。「それなら、毎晩寝る前に結んであげる。そうすれば、朝起きてそのまま会社に行けるでしょ」

中村健の目元の笑みが一層深まり、頷いて応じる。「わかった」

二人はまるで誰もいないかのように睦み合い、その光景は一本一本見えない針となって中村七海の眼球に突き刺さった。

中村健は人に対しても物事に対しても、常に公私混同を嫌うスタイルを貫いてきた。

彼が最も嫌うのはオフィスでいちゃつくことだったはずなのに、結果は……。

中村七海は喉の奥に込み上げる酸っぱいものをぐっと飲み込んだ。「中村社長、こちらが処理をお願いしたい書類です」

彼女は勇気を奮って一歩前に出た。そして、その女が振り返った瞬間、中村七海の手から書類がばさりと床に落ちた。

彼女は信じられないといった様子で目を見開き、自分と五分も似たその顔を見つめた。

それは他の誰でもない。

父の隠し子、鈴木南だった。

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