第2章
世界が、止まった。
彼の言葉が、脳に届かない。聞き間違いだ。そうに違いない。こんな場所で、こんな時に、こんな形で、そんなはずがない。
「何……ですって?」
私の声は、かろうじて絞り出した囁きだった。
「離婚したい、と言ったんだ。この金で俺は新しい人生を始める。もう過去の間違いに縛られたくはない」
『間違い?』
その言葉は、見えない平手打ちとなって私の頬を打った。十七年間の結婚生活。二人の可愛い子供たち。そのすべてが——間違い、だったと?
「貴志、あなた何を言ってるの」ドリーがショックを隠せない顔で一歩前に出た。「悪い冗談はやめなさいよ」
「冗談じゃない」
貴志はそう言い捨てると、私たちの区画の端に停められた、見慣れない真っ赤なスポーツカーへと歩いていく。カマロだ。
「俺の新しい彼女を紹介する」
車のドアが開き、ミュージックビデオから抜け出してきたような金髪の女が降りてきた。年は二十二、三といったところか。身体の線を強調するジーンズに、腹を覗かせたクロップトップ。その全身が『あんたより若くてイケてるのよ』と雄弁に語っている。
「みなさん、こんにちは」
女は作り物の笑顔を浮かべ、まるで受賞スピーチでもするかのように大げさに手を振った。
「レイヴンです」
『嘘……こんなの、嘘よ』
足が震え、立っているのがやっとだった。集まった隣人たちの顔が、同じように気まずい衝撃を浮かべたまま、ぐにゃりと滲んで見えた。
「レイヴンは、俺の野心を理解してくれるんだ」
貴志は女の細い腰に腕を回し、得意げに言った。
「野心?」自分の声が、遠くから聞こえる他人のもののように響いた。「貴志、あなたはただの車の修理工でしょ。何の野心があるって言うの?」
周りにいた数人が、気まずそうにゴクリと息を呑んだ。
「ほらな、そこが問題なんだよ。お前にはビジョンがない。いつも考えが小さい」
レイヴンが一歩前に出て、これ見よがしに左手を差し出した。薬指には、巨大なダイヤモンドの指輪が鈍い光を放っている。
「素敵でしょ? 貴志が今日、選んでくれたの」
『今日?』
「……そのお金はどこから?」
「宝くじの当選金からだよ」貴志はさも当然のように言った。
「それは、私たちのお金よ」
私の声に、ようやく力が戻る。
「いや」彼はポケットから宝くじをひらひらと振ってみせた。「これは俺のチケットだ。俺の金で買った。だから厳密に言えば、俺の金だ」
「おい、そりゃないだろ」ゲイリーが吐き捨てるように言った。「あんたたち、夫婦じゃないか」
「それも、もうすぐ終わりだ」貴志の声は氷のように冷たかった。「由紀子、弁護士にはもう連絡してある。すぐに書類が届くはずだ」
私は必死に子供たちの姿を探した。
「咲良と遥斗はどこ?」
「咲良なら、荷造りしてるよ」貴志はこともなげに言った。「あの子は、俺たちと一緒に行く」
「なんですって?」
「あの子はもう十五歳だ。自分で決められる。俺がこれから用意してやれる豊かな生活を、あの子は選んだんだよ」
まるでその言葉に呼び出されたかのように、トレーラーハウスから咲良がバックパックを肩にかけて現れた。私の可愛い娘。私の最初の子。その足は、まっすぐに見知らぬ女の方へと向かっていく。
「咲良?」私はよろめきながら一歩踏み出した。「ねえ、何してるの?」
娘は、私と目を合わせようとしない。
「しばらく、パパと一緒に住む」
「どうして?」
「だって……」彼女は一瞬ためらい、それから挑戦的に顎を上げた。「もう貧乏な生活は嫌なの、ママ。学校でトレーラーパークに住んでるって馬鹿にされるのも、もう嫌。古着ばっかり着て、欲しいものも我慢して、いつも言い訳ばかり聞かされるのにも、もう疲れたの」
その一言一言が、鋭いナイフのように私の心を抉った。『愛があれば大丈夫だと思ってた。家族が一緒にいれば、それだけで幸せだって信じてた』
「家族ですって? ママたちの選択のツケを、私がずっと払わされてきた気分だよ」
娘は、一度も振り返ることなくカマロに乗り込んだ。
「遥斗は?」
私は最後の望みをかけて尋ねた。
「あいつはまだ八歳だ。お前と一緒だよ。今のところはな」
『今のところ?』それは、どういう意味だ。
「ああ、それと由紀子」貴志の声は、ほとんど陽気ですらあった。「明日の夜までに、このトレーラーハウスから出て行け。賃貸契約は俺の名義だし、家賃も俺が払ってきたからな」
「ここは、私の家よ」
「お前の家だった、だろ」彼は肩をすくめた。「ウォルマートの給料があれば、どこかいいアパートくらい借りられるだろ」
無理だと知っていて、彼はそう言った。自分が何をしているのかを、正確に理解した上で。
真っ赤な車が、私の娘と、私の未来を乗せて走り去っていく。残された隣人たちは、気まずそうに目を伏せ、そそくさと自分たちの荷物をまとめ始めた。
数分後。パーティーの飾りつけと、食べ残しのハンバーガーが散乱する中、私は世界で一番哀れな馬鹿みたいに、たった一人で立ち尽くしていた。
「由紀子」ドリーが優しく肩に触れた。「遥斗の様子を見てきてあげて。ここは私が片付けておくから」
私は無言で頷き、ゼリーのように重い足を引きずってトレーラーハウスへ向かった。ドアを開けると、ソファの隅でテディベアを抱きしめている遥斗の小さな背中が見えた。
「ママ?」彼の声は、か細く震えていた。「パパとねえね、どうしたの?」
私は彼の隣に崩れるように座り、その小さな身体を腕の中に引き寄せた。堰を切ったように、涙が溢れ出した。
『二時間前、私は妻であり、二人の子の母で、家と未来を持つ女だった。今の私は、一体、何?』
「分からないの、遥斗」私は息子の髪に顔を埋めて囁いた。「ママにも、分からないの」
ドリーの家のソファで目を覚ますと、首がひどくこわばっていた。隣では、遥斗が小さなコアラのように丸まって眠っている。三秒ほど、自分がどこにいて、なぜ背中が痛いのかを忘れていた。そして、すべてが濁流のように押し寄せてきた。
これは悪夢じゃない。これが、私の新しい現実なのだ。
「少しは眠れた?」
ドリーが小声で尋ねながら、温かいコーヒーを差し出してくれた。彼女の声は優しかったが、その目には隠しきれない憐憫の色が浮かんでいた。
眠れたものか。これがすべて歪んだ夢であってほしいと願いながら、一時間おきに目が覚めた。そのたびに、見慣れた我が家の木目調の壁ではなく、ドリーの家の花柄の壁紙が目に入り、冷たい現実が何度も私を打ちのめした。
携帯が震えた。貴志からのメッセージだった。
『午後六時までだ。残されたものはすべて寄付する』
『寄付』。まるで私たちの十七年間の結婚生活が、ガラクタ同然のチャリティーグッズだとでも言うように。
かつて私の家だった場所へ戻る道は、まるで処刑台への階段を上るようだった。玄関の前に立ち、鍵を持つ手が震える。ここに属する者としてこのドアをくぐるのは、これが最後になる。
「ママ、どうしてもうここには住めないの?」
遥斗が、私のシャツの裾を不安げに引っ張った。
「パパが、一人になりたいんだって」
声に出して、自分がどれほど情けない嘘をついているのかを思い知る。
中は、昨日と何も変わらないように見えて、すべてが違って感じられた。壁に飾られた家族写真は、今は死んだ人生の博物館の展示物だ。一緒に映画を観たソファも、何千回も食事をしたキッチンテーブルも、すべてが汚されてしまったように思えた。
ドリーから借りたスーツケースに、私は無心で物を詰め始めた。服、洗面用具、遥斗のお気に入りの玩具をいくつか。二つの鞄に収めなければならないとなると、私たちの人生がいかに貧しく、ちっぽけなものだったかを突きつけられ、惨めな気持ちになった。
「僕のゲーム機は?」遥斗が不安そうに部屋を見回す。
「ええと……お店で直してもらってるのよ」
また嘘をついた。本当は、貴志が金目のものはすべて『自分のもの』として持ち去ってしまったのだろう。
そのとき、携帯が鳴った。プレストン小学校からだった。
「渡辺さんでいらっしゃいますか? 咲良さんの転校の件でお電話いたしました」
「転校?」
「はい、今朝お父様からご連絡がありまして。本日付けで、アカデミーの方へ転校なさるとのことです」
アカデミー。私たちが十年貯金をしても、到底通わせることのできない高級私立学校。
『彼は、私たちの人生そのものを消し去ろうとしている』。新しい学校、新しい家、新しい女。そして私はただ、黙って消えろと?
「いつ彼が——いえ、何でもありません。お知らせいただき、ありがとうございます」
電話を切って、私は自分の携帯を見つめた。咲良に電話すべきだろうか。私に、まだそんな権利があるのだろうか。
迷いを振り払うように、私は番号をダイヤルした。









