第3章 不安
真相をはっきりさせるため、来栖琴音は提案した。
「心優、お願い。SNSに上げた人を探してくれない? その男女の正面、写ってる写真がないか聞いてほしいの」
「任せて。言われなくても聞くよ」
伊藤心優は「もう遅いから、明日の朝に聞くね」と言い、来栖琴音を落ち着かせる言葉をあれこれ並べてから電話を切り、休むよう促した。
翌日。
来栖琴音は川島治を送り出し、子どもを幼稚園へ送ると、すぐさま伊藤心優に電話をかけた。待ち合わせ場所は公園。
伊藤心優は来栖琴音の中学・高校時代の同級生で、二人ともJ市出身。大学は別々になったものの連絡は途切れず、何でも話せる親友だった。
来栖琴音が着くと、伊藤心優は二人がよくお茶をする茶館の奥、ひっそりした席にもう座っていた。白いノートPCを開き、細く白い指でカタカタと打ち続けている。
来栖琴音を見つけると、伊藤心優が軽く手を振った。
来栖琴音は大股で近づいて席に着くなり、からかうように言った。
「朝から忙しそうだね?」
「誰かさんみたいに、恵まれてる大ヒマ人じゃないの」
来栖琴音は眉を上げ、思わず白目をむく。
「私が好きで暇してると思ってる? 家庭のために犠牲になる人が必要で、私が引き受けただけ」
伊藤心優は最後の数文字を打ち終えると、パタンとPCを閉じて親指を立てた。
「偉い偉い。あんたは偉いよ」
そう言って茶をひと口すすり、急に真面目な顔になる。
「でも琴音。女が家のことだけ回してるの、危ないからね。自分の仕事がないと、そのうち社会に置いていかれる。最後には男にも捨てられるよ」
正論だと、来栖琴音もわかっている。
「SNSの人に聞いたよ!」
その一言に、来栖琴音は身を乗り出した。
「どうだった? 正面、撮れてた?」
伊藤心優は親友の顔を見て、心配そうに眉を寄せる。
「……その必死さ。心の底ではもう、あの背中が川島治だって決めてる?」
「決めてない……」
言い訳しようとした、そのとき。伊藤心優のスマホが鳴った。
「え……今? そこで待ってて。動かないで、すぐ行く!」
伊藤心優は椅子を蹴る勢いで立ち上がり、ノートPCを鞄に突っ込みながら言う。
「琴音、ごめん! 急用! また電話する!」
そう言い残して、伊藤心優は茶館を飛び出していった。
置き去りにされた来栖琴音は、疑問だけを抱えたまま帰宅した。心優に送ったメッセージも、既読にならない。
SNSを上げた人は、あの男女の正面を撮っていたのか。
それだけが知りたかった。
心ここにあらずで、子どもの迎えは遅れるし、料理も失敗ばかり。
しかも今日は、川島治が川島千晶を連れて夕食を食べに来た。
川島千晶は家に入るなり、まるで自分の家みたいに振る舞った。自分のスリッパに履き替え、バッグをソファへ放り投げ、女主人のようにテーブルへ近づくと、料理を値踏みするように言い放つ。
「これ、おかゆ? っていうか、ほとんど水じゃん。あと焦げてるし。兄さん、一日働いて疲れてるのに、こんなの食べさせるの?」
こういう物言いを何度もされるうちに、来栖琴音は生理的に受け付けなくなっていた。
怒りを飲み込み、できるだけ柔らかい声で説明する。
「お兄さん、先週の健診で血糖と脂質が高いって言われたの。なるべくあっさりしたものにしてって」
「だからって、毎日野菜ばっかとか無理でしょ? 誰だってキツいって」
千晶はテーブルにある唯一の肉料理を、嫌いだからという理由で露骨に無視した上、まだ足りないと言わんばかりに厚かましく続ける。
「ねえ、他にないの?」
来栖琴音は耐えきれず言い放った。
「ない。食べたいなら自分で買って」
「なに、その態度」
来栖琴音も間髪入れずに返す。
「態度? 私、あなたのご飯係じゃないから。うちの旦那は何も言ってないのに、来てごちそうになってる立場で文句ばっかり。どういう躾されてきたの?」
「……っ」
その騒ぎに気づいたのか、着替え中だった川島治が慌てて出てきた。
「千晶、どうした。……また義姉さん怒らせたのか? 来る前に何て約束した?」
千晶は委屈そうに叫ぶ。
「私、何も……」
「今すぐ謝れ。じゃなきゃ今後、うちで飯は食わせない」
「お兄ちゃん!」
川島治は板を踏んだように譲らない。
「甘えても無駄だ。謝るか、二度と来ないか。選べ」
千晶は兄の性格を知っている。唇を尖らせ、しぶしぶ言った。
「……義姉さん、ごめんなさい」
夫が味方してくれたことに、来栖琴音は淡々とだけ返す。
「……もういい」
来栖琴音の様子が良くないと感じたのか、川島治は彼女の腰のエプロンを外し、気遣うように言った。
「琴音、子ども見てて。俺、あと二品作るよ」
すると千晶が、待ってましたとばかりに媚びる。
「お兄ちゃんの料理が一番好き! 私、手伝う! ねえお兄ちゃんってほんと最高。こんな人知ったら、他の男なんて見えなくなるよ?」
川島治は即座に眉をひそめた。
「くだらないこと言うな。続けるなら出ていけ」
「はいはい、言わない! 野菜ちぎるね!」
千晶が川島治にべたべたするのが耐えられず、来栖琴音はリビングで子どもとテレビを見た。
しばらくしてスマホが鳴る。伊藤心優からだった。
来栖琴音は立ち上がり、寝室へ移動する。
「ようやく落ち着いた?」
「ごめん。午前中、ちょっと急用があってさ」
「いいよ」
写真の件が喉まで出かかるのを抑えつつ、来栖琴音は親友を気遣う。
「片付いたの?」
「だいたいね」
伊藤心優はテレビ局の司会者で、芸能関係の空気にも触れている。言えない事情があるのはわかる。来栖琴音も深追いはしなかった。
疲れの滲む声に胸が痛んで、来栖琴音は言った。
「無理しすぎないで」
「無理しなきゃ上に行けないの。私はあんたみたいに恵まれてないし、あんたの旦那みたいな頼れる人もいない。自分で這い上がるしかないでしょ」
かすれた声でため息をつき、すぐ本題に戻る。
「写真の件、聞いたよ。正面は撮れてないって」
来栖琴音の胸がすっと冷える。
「……そう。ないの?」
「え、待って」心優の声が跳ねた。
「その言い方……まさか、正面が川島治であってほしいとか思ってる?」
「違う違う」
来栖琴音は乾いた笑いを漏らした。
川島治は夫だ。そんなことになってほしいわけがない。
ただ、もし正面が別人なら、夫は嘘をついていない、裏切っていないと証明できた。全部が偶然で、自分が疑いすぎだったと笑えたのに。
「でもね」伊藤心優が続ける。
「友達は撮ってなかったけど、あの店、その日イベントやってて、テレビ局が収録入ってたらしいんだ。知り合いに当たれる。もしかしたら客の映像、残ってるかも」
