第3章
翌朝、母さんが私の寝室のドアをノックした。
「紅葉」ドア越しに母さんの声がする。「スタジオで新しいデザイン、見に来ない?」
その声色で分かった。母さんはデザインを見せたいわけじゃない。美玲に聞かれない場所で話がしたかったんだ。
「五分待って」と私は言った。
二十分後、私たちは星川町西区にある母さんのデザインスタジオへと車を走らせていた。道中、どちらも口を開かなかったが、母さんから放たれる緊張感がひしひしと伝わってきた。
母さんのスタジオは、彼女の聖域だった。床から天井まである窓、布のサンプルやスケッチで覆われた白い壁、最新作をまとったマネキンたち。ここで母さんは自分の帝国を築き上げたのだ。
私たちの後ろでドアを閉めると、母さんは鍵をかけた。
「紅葉」と母さんは言った。その顔には疲労の色が浮かんでいた。肉体的な疲れではない。精神的な消耗だ。「正直に教えてほしいの。あの美玲って子……頭、どこかおかしいんじゃないの?」
やっぱり.......私は深く息を吸った。やっとだ。正しい問いを投げかけてくれる人が現れた。
「母さん、あの美玲って、何をしてるかなんて、心理学の学位がなくても分かるでしょ。鳳城を支配したいのよ。私たち全員から、彼を切り離そうとしてる」
「でも、どうして?」
「お金。この家。私たちが持ってるもの全部よ」
母さんはゆっくりと頷いた。「やっぱりそう。霧谷美香は誰かの下着を洗ったりはしない。それが自分の娘でもない限りはね」
この二日間で、私は初めて微笑んだ。
「あの子は私たちの家族の形を壊そうとしてるの」私は続けた。「私たちが問題なんだって鳳城に思わせて、私たちより自分を選ばせるために」
「そして、それは上手くいっている」母さんはデスクチェアにどさりと腰を下ろした。「鳳城ってバカ、本気で考えてるわ」
「彼は若くて愚かなだけ。そして、あの子はこういうのが上手いの。保証するけど、私たちが最初の標的じゃないわ」
母さんはスマホを取り出した。「あの子が言ったこと、いくつか録音してあるの。後で証拠が必要になるかと思って」
母さんは昨日のボイスメモを再生した。美玲の声がはっきりと聞こえてくる。『鳳城にもう家族は必要ないの。私がいれば、それで十分。みんな彼の足手まといなだけよ』
「あなたがお茶を淹れにキッチンへ行ってる間に言ってたわ」と母さんが説明した。
「他には?」
母さんはさらにいくつかの録音をスクロールした。家全体をどう模様替えするつもりか語る美玲。鳳城の家族が彼に「影響を与えすぎている」と不満を言う美玲。「古い世代」が身を引くのが待ちきれないと言う美玲。
「勝ったつもりでいるのね」と私は言った。
「違うの?」
私が答える前に、外の駐車場に父さんの車の音が聞こえた。母さんは困惑した顔つきだ。
「会社にいるはずなのに」
一分後、父さんが険しい表情で戸口に現れた。
「様子を見に帰ってきたんだ」と父さんは言った。「美玲から、私たちの寝室に引っ越したから、お前たちは別の部屋を探せと言われた」
私と母さんは顔を見合わせた。
「なんですって?」と母さんが尋ねた。
「私たちの寝室だ。彼女が言うには、『この家の主役である夫婦』にはそっちの方がふさわしいそうだ」父さんの顎がこわばっている。「絶対に駄目だと言ったら、泣き出して鳳城を呼び始めた」
「当ててあげようか」と私は言った。「鳳城ってバカは彼女の味方をした」
「私が理不尽だと言っていた。この移行期間中は、もっと『柔軟に』対応すべきだと」
父さんは私たちの向かいに腰を下ろした。その目に、私は初めて本物の怒りを見た。
「美香と結婚して三十年だ。あの家に住んで二十八年。それが、二日前に会ったばかりの娘に、自分たちの寝室から追い出されるとはな」
「それで、どうするの?」と母さんが尋ねた。
私は両親の顔を見た。二人とも、成功した聡明な人間だ。キャリアを築き、子供を育て、人生を通して厄介な人々を相手にしてきた。
だが、美玲のような人間を相手にした経験はなかった。
「計画が必要よ」と私は言った。「それから、助けも」
「どんな助けだ?」と父さんが訊いた。
「まず、親族を巻き込む必要があるわ。母さんの姉さんたち、父さんの兄弟たち。ここで何が起きているのか、みんなに知ってもらわないと」
「それから?」
「それから、専門家の助けがいる。あの子の正体を暴けるような誰かが」
母さんが身を乗り出した。「それって、探偵みたいな?」
「それもね。でも私が考えてるのは、もっと専門的に彼女の行動を分析できる人。鳳城に、私たちが見ているものを見せられるような」
「心理学者ということか」と父さんが言った。
「資格のある人。鳳城が耳を貸さざるを得ないような誰かよ」
それから一時間、私たちはリストを作り、役割を分担した。母さんは友達とファッション業界の友人に電話する。父さんは探偵を雇って美玲の身元を調査する。私は自分の人脈に連絡を取る。
「慎重にやらないとダメよ」私は釘を刺した。「もし美玲が私たちの動きに気づいたら、鳳城を操って、私たちとの関係を完全に断ち切らせるだけだから」
「だから、すべてが正常なふりをするのね」と母さんは言った。
「その通り。私たちが情報と同盟者を集めている間、彼女には勝っていると思わせておくの」
父さんが腕時計を確認した。「そろそろ戻った方がいい。あまり長く留守にすると怪しまれる」
帰り道、私たちは来た時よりもずっと気分が良かった。計画があるというのはいいものだ。味方がいるというのは、さらに心強い。
しかし、家に入ると、リビングで美玲が腕を組んで待ち構えていた。
「どこへ行っていたの?」彼女は非難がましく尋ねた。
「紅葉に新しいコレクションを見せていたのよ」母さんは滑らかに言った。「専門家としての相談」
美玲はわずかに目を細めたが、その説明にケチをつけることはできなかったようだ。
「さて、鳳城と私からお知らせがあるの」と彼女は言った。「明日、ウェディングドレスを買いに行くわ。二人だけでね。彼の選択に、外部の意見が影響するのは嫌だから」
「もちろんよ」と母さんが言った。「とてもロマンチックだわ」
「それに、たぶん一日中出かけることになると思う。もしかしたら、街で一泊するかも。鳳城は、家族の義務よりも私たちの関係を優先し始める必要があるの」
やれやれ......まただ。計画的な孤立化。
美玲は私たちの顔をうかがい、抵抗の兆候を探していた。それが見つからないと、満足したようだった。
「お互い理解できたようで嬉しいわ」と彼女は言った。
彼女が部屋を出て行った後、私たち三人は顔を見合わせた。私たちもお互いを完璧に理解していた。
美玲は大きな過ちを犯した。計画を実行するための丸一日を、私たちに与えてくれたのだ。
詳細を話し合うためにリビングに腰を落ち着けようとしたその時、キッチンで鳳城のスマホが鳴った。
彼が電話に出るのが聞こえる。
「もしもし?」一瞬の間があった。そして、彼の声が完全に変わった。
「え?億万?」
私たちは皆、顔を見合わせた。
