第2章
優子視点
翌朝、カーテンの隙間から台所へと陽光が差し込んでいた。パリッとしたシャツに身を包んだ純一が朝食の支度をしている。すべてが完璧なまでに普段通りだった。
「おはよう」彼は振り返って私に微笑みかけた。「昨夜はよく眠れた? 朝ごはんを作ったよ」
私は彼の手がかりを探そうと、その表情を慎重に観察した。瞳は澄んでおり、顔には何ら変わった様子はない。それどころか、満ち足りたような満足感さえ漂わせていた。
「純一……」私の声は枯れていた。「昨日の夜、寝室に来た?」
彼は迷わず頷いた。「もちろんさ。俺たちは……」彼は言葉を切り、照れくさそうな笑みを浮かべた。「覚えてないのかい?」
心臓が早鐘を打った。認めるの?
「じゃあ、どうしてソファで寝ていたの?」
「午前二時頃、会社から緊急のメールが入ったんだ。急にトラブルがあってね」純一はご飯をお椀に乗せながら説明した。「寝室でキーボードを叩くと、君や絵麻を起こしてしまうと思って、居間で片付けることにしたんだ。明け方までかかって、そのままソファで寝落ちしてしまったよ」
彼の説明は筋が通っていて、どこにも綻びがなかった。
「純一、昨日の夜のあなたは……いつもと全然違っていたわ」私は慎重に探りを入れた。
彼は片眉を上げた。「どう違っていたんだい?」
「すごく……激しかった。それに声も……」
純一は数秒沈黙した後、低く笑った。「仕事のストレスのせいで、君との時間をいつも以上に愛おしく感じたのかもしれないな」
彼は私の方へ歩み寄ると、耳元に顔を寄せ、声を潜めた。「ああいうのは、嫌いかい?」
この声……昨夜の男と同じだ。
だが、よく耳を澄ませば、それは間違いなく純一の声だった。
目眩がした。現実と夢の境界線が完全に曖昧になっていく。
「さあ、朝食を食べて」純一は私の額にキスをした。「最近、神経が張り詰めているみたいだ。一度、医者に診てもらったほうがいいかもしれないね」
彼は絵麻の様子を見るために二階へ上がっていった。私は朝ごはんを前に一人取り残され、心は嵐のように乱れていた。
二階からは、子供をあやす純一の優しい声が聞こえてくる。「よしよし、お父さんはここだよ……いい子だ、泣かないで……」
その声は春風のように温かく、私が長年知っている夫そのものだった。
私は拳を固く握りしめた。爪が掌に深く食い込み、その痛みが、私が目覚めていることを証明していた。
真実が何であれ、絶対に突き止めなければならない。
正午、私は心を込めて作ったお弁当を持って、純一が勤める保険会社のビルへと足を踏み入れた。
ここ二日間の疑念が私を落ち着かなくさせていた。私は行動を起こすことにしたのだ。彼の職場環境になら、何か手がかりがあるかもしれない。
「優子さん? どうしたの、こんなところまで」受付デスクにいた今井早苗が驚いた顔を見せた。
「純一にお弁当を届けに来たの。最近、働きすぎみたいだから」私は作り笑いを浮かべた。「彼は事務所にいる?」
「あら、たった今、クライアントとの打ち合わせに出たところよ。一時間くらいで戻ると思うわ」今井早苗は温かい口調で言った。「事務室で待ってていいわよ。案内するわ」
私は彼女の後について純一の事務室へと向かった。そこは明るい部屋で、壁には私たちの結婚写真や絵麻の写真が飾られており、家庭的でごく普通の空間に見えた。
「ここで待ってて。コーヒーを入れてくるわね」そう言い残して、彼女は部屋を出て行った。
私は事務室に一人佇み、見慣れた調度品に視線を彷徨わせた。お弁当を置こうとしたその時、純一のパソコンの横にある小さなメモが目に入った。そこには数字が書かれていた。
「午後12時、部屋番号234」
その文字の羅列に私は困惑した。「午後12時」は今夜の午前零時のことだろう。だが、「部屋番号234」とは何のことだ?
私は周囲を見回して誰もいないことを確認すると、そっとマウスを動かしてスリープ状態を解除した。
パソコンにパスワードロックはかかっていなかった。純一はいつだって私を信頼していたからだ。ブラウザを開き、最近の閲覧履歴を確認する。大半は仕事関連のサイトだったが、いくつかのリンクが私の注意を引いた。
『深夜配信』、『アダルトライブ配信サイト』、『プライベート配信』……。
動悸が激しくなり始めた。なぜ純一がこんなサイトを見ているの?
私はその中の一つをクリックした。それはアダルト系のライブ配信プラットフォームで、ホームページには露出度の高い女性たちの画像が溢れていた。私は検索バーに、メモにあった「部屋番号234」と打ち込んだ。
ページが読み込まれた瞬間、私は一生忘れられないであろう画像を目にした。
ライブ配信ルームのカバー写真には、横たわっている一人の女性が写っていた。その女性は、私だった。
