第2章
「ウェディングドレスのお店から聞かれたんだけど、コサージュは白バラとシャンパンローズ、どっちがいいかな」
電話の向こうから、セリーナの柔らかい笑い声が聞こえてくる。
「君が決めればいいさ。君の好きな色にしよう」
「じゃあ、シャンパンローズにしようかな」
彼女は少し言葉を区切り、こう続けた。
「そういえば、リアはまだ怒ってるのかな。私たちの結婚式が彼女の卒業式と同じ日になっちゃったこと。やっぱり、数日ずらそうか?」
イーサンの顔が途端に険しくなった。
「あいつのために式を延期する義理なんてない。その日はずっと前から決まっていたんだ。あいつの卒業式と重なるなんて、誰が予想できた?」
私は傍らにふわりと浮かびながら、彼がその狂った女の肩を持ち、私を罵倒するのを聞いていた。彼女から離れてと、必死に伝えようとした。でも、彼は聞いてくれない。昔からずっと、私の言葉には耳を貸さないのだ。
「そんな言い方、しないでよ……」
「いいんだ、君があいつを庇う必要なんてないさ」
イーサンの口調は和らぎ、先ほどとは別人のようになった。
「君は結婚式の準備だけを楽しんでくれればいい。他のことは気にしなくていいから」
「じゃあ、ちゃんとご飯食べてね。また胃が痛くならないように」
「分かってる」
電話を切った後も、イーサンの口元には微かな笑みが残っていた。しかし、振り返って歩き出そうとした瞬間、二歩ほど先でアリステアがじっとこちらを見つめているのに気づき、その笑みをすっと引っ込めた。
イーサンは再び手袋をはめ、解剖台の前に歩み寄った。身を屈めてその焼死体の四肢を調べ、視線を上から下へと這わせる。炭化した皮膚はひび割れ、その下から赤黒い筋肉組織が覗いていた。
彼の視線が、私の右手首でピタリと止まった。
イーサンは眉をひそめ、その環状の痕跡の上に指を浮かせたまま、触れようとはしなかった。
あの傷跡を、私が忘れるはずもない。
五年前のあの夜、薬物中毒の男が私の手首を鎖で縛り上げ、燃え盛る炎の中へと引きずり込んだ。鎖が肉に食い込み、手首から血が滴り落ちていた。
その時、猛火に飛び込み、私を引っ張り出してくれたのがイーサンだった。私を抱きかかえて外へ逃げる間、痛みに泣き叫ぶ私に向かって、彼は走りながら「もう大丈夫だ、兄ちゃんがいるからな」と何度も繰り返していた。
私の心臓が大きく跳ねた。
ついに、私だと気付いてくれたの?
私は彼の顔を凝視し、その表情が変わるのを待ちわびた。
しかし、彼はただ首を横に振り、手を引っ込めると、何かをボソッと呟き、反対側の腕を調べ始めた。
彼は、もう覚えていないのだ。
夜になるまで、彼は私の遺体を調べ続けたが、それが私であることには全く気付いていなかった。
イーサンのスマートフォンが鳴った。手袋を外し、画面を一瞥した彼の眉間には、さらに深い皺が刻まれた。
「誰だ?」
アリステアが尋ねる。
「マーガレット叔母さんだ」
イーサンは電話に出ると、冷ややかな声で言った。
「何の用?」
受話器からマーガレット叔母さんの金切り声が響き渡り、傍らにいる私にまで丸聞こえだった。
「あんたたち二人とも、一日中家に帰ってこないで、一体どういうつもり!?」
イーサンはスマートフォンを耳から少し遠ざけた。
「仕事中だ」
「仕事仕事って、あんたはそればっかり!リアもリアよ、一昨日の夜から姿を見せないし、連絡の一つもよこさないんだから。ルーカスの面倒を少し見てって頼むのが、そんなに難しいことなの?あの子はやんちゃだけど、リアの弟でもあるでしょうが!」
「あいつ、家にいないのか?」
イーサンが問い返す。
「家にいるなら、わざわざあんたに電話なんてしないわよ!」
叔母の声はさらに甲高くなった。
「あんたたちの両親が死んでから、私がずっと面倒を見てきたっていうのに。その恩返しがこれ!?」
イーサンは無言のまま、スマートフォンを床に置いた。
明らかに、この手の小言には慣れっこになっている。
「リアに伝えておきなさい。今夜も帰ってこないなら、もう二度と敷居をまたがせないってね。うちは穀潰しを養う余裕なんてないんだから」
「わかった、もういいだろ」
イーサンは通話を切り、スマートフォンをポケットに突っ込んだ。
アリステアが彼を見る。
「リアは家にいないのか?」
「どこにいるかなんて知るか」
イーサンは再び手袋をはめた。
「どうせまたどこかに隠れて、拗ねてるだけだ。みんなに探してほしいんだろ。構えば構うほど調子に乗るんだからな」
「心配じゃないのか?」
「何を心配するんだ?あいつのこんな手口、今に始まったことじゃない」
イーサンは俯き、遺体の検査を再開した。
「これまで、俺があいつのためにどれだけ犠牲になってきたと思ってる?学生の頃はあいつのせいで部活にも入れなかった。働き始めてからも、マーガレット叔母さんから度々金を無心される始末だ。俺がやっと結婚するって時に、わざわざ俺の結婚式と同じ日に卒業しようとするなんて、一体どういうつもりなんだ」
アリステアは何かを言いかけたが、結局口をつぐんだ。
解剖室が数秒ほど静まり返った。
その時、外から突然騒々しい物音が聞こえてきた。誰かの怒鳴り声や、物がなぎ倒されるような音がする。
イーサンが顔を上げる。
「外で何があった?」
助手が様子を見に外へ飛び出し、戻ってきて報告した。
「被害届を出しに来た人がいて、かなり興奮しているみたいです」
イーサンは手袋を外して部屋を出た。私も彼の後をついていく。
警察署のロビーには、二十代の青年が立っていた。顔は涙の痕でぐしゃぐしゃになり、服には埃がこびりついていて、必死に走ってきたことが窺える。彼は当直の警察官の袖を掴み、切羽詰まった嗄れ声で訴えていた。
「お願いです、妹を探してください——」
「まずは落ち着いて、ゆっくり話してください」
当直の警察官は、青年の手を宥めるように引き剥がそうとしていた。
「落ち着いてなんかいられるか!」
青年の声が裏返った。
「妹を驚かせようと思って、わざわざ遠方から帰ってきたんです。あの子のアパートで一日中待ってたのに、全然帰ってこなくて——」
「電話をかけても、メッセージを送っても、何の返事もないんです」
青年の目から再び涙が溢れ出した。
「あの子がこんなことするはずない。お願いです、妹を探してください——」
私はロビーの片隅で、その青年の震える肩を見つめていた。
私が死んだ日から数えて、もう三日が経っている。
それなのに、私の兄は先ほどまで、私を身勝手だと罵り、気を引くためにわざと隠れているのだと言い放っていた。
私は振り返り、イーサンに視線を向けた。
彼こそが、私の失踪に一番早く気付いてくれる人だと、そう思っていたのに。
でも、今ならわかる。彼は私を探そうとなんてしない。
なぜなら彼の心の中で、私はとうの昔に、どうでもいい存在になっていたのだから。
