第1章
豪雨が叩きつける。
白石知意は車内の手すりを握りしめ、震える声で訴えた。
「蓮、お願い……信じて。清香を傷つけたチンピラたち、私が手配したんじゃない……!」
「証拠が揃ってる。まだ言い逃れするのか」
神谷蓮は冷酷な目で白石知意を射抜き、分厚い写真の束を乱暴に投げつけた。
舞い散る写真には、白石知意が金で人を雇う“過程”が切り取られていた。
「ち、違う……」白石知意は首を振る。「私じゃない。私は彼女のことなんて知らないし、どうして害する必要が……」
言い終える前に、大きな手が伸びてきて、神谷蓮が顎を乱暴につかんだ。
「俺も知りたいね。どうしてだ? 俺の目に留まったからか? だから俺のそばに女が現れるのが許せない。挙句、男三人に襲わせて——清香の純潔を潰そうとした?」
「違う……本当に違うの……!」
「違う?」
神谷蓮が鼻で笑い、白石知意の顔を乱暴に放り投げるように突き放した。声はさらに凍りつく。
「清香は大学を出たばかりだぞ。よくそんなことができたな。……その上で母親ヅラするつもりか?」
その一言で、白石知意の最後の防壁が崩れ落ちた。
彼女は狂ったように首を振る。
「違う……蓮、お願い、一度だけでいい、信じて!」
だが神谷蓮の眼差しは、ますます鋭くなるばかり。
次の瞬間、彼の手が白石知意の襟元をつかみ上げた。白石知意が反応する間もなく——
ビリッ!
胸元がひやりとした。マタニティ用の上着が引き裂かれ、薄い色の下着と高くせり出した妊娠腹が露わになる。
白石知意は恐怖で体を丸め、両腕で必死に自分を隠した。
「服がなくなる気分はどうだ?」
神谷蓮の声は氷のようだった。
「清香が見つかったときも、そうだった。お前が彼女にしたことを——俺はお前に返す」
言い終えるや否や、車のドアが開き、神谷蓮は白石知意をそのまま外へ突き飛ばした。
「きゃっ!」
雨の中に無様に転がり、膝と肘に鋭い痛みが走る。
言葉を発する間もなく、ロールスロイスは水しぶきを上げて走り去った。
雨はさらに激しくなり、豆粒のような水滴が肌を叩いて痛い。
白石知意は必死に起き上がり、絶望のまま周囲を見回す。こんな場所、タクシーなど捕まるはずがない。歩いて戻るしかない。
片手で腹を守り、もう片方の手で破れた襟を押さえながら、ふらふらと屋敷の方へ向かった。
頭の中には、この三年間が否応なく蘇ってくる。
神谷蓮との結婚は、取引から始まった。
三年前、映画一筋だった父は投資に失敗し、一夜にして白髪になった。
神谷源一郎は、かつて白石家が自分を救った恩を持ち出して援助を差し伸べた。その条件が、両家の縁組。
当時、神谷家の後継者である神谷蓮には、家族信託の掌握をめぐって“結婚”が必要だった。
そして白石知意は、憧れを抱いて神谷家に嫁いだ。ずっと神谷蓮が好きだったからだ。
だが彼が向けたのは、嫌悪だけ。
彼の中で白石知意は、妬み深く残酷な女として固定されている。
この子でさえ、白石知意が薬を盛って彼の寝床に潜り込んで得たものだと信じている。
違うのに。
けれど今日もそうだ。関係ないのに、彼は当然のように白石知意を犯人にした。
涙が、切れた珠のようにぽろぽろ落ちる。歩きながら拭い、拭いながら歩く。
一時間近くかかって、ようやく屋敷の灯りが見えた。
雨はとっくに全身を浸し、歯がカチカチ鳴るほど冷える。
玄関を押し開けると、けたたましい音楽が飛び込んできた。
リビングでは神谷蓮の弟、神谷皓がソファにだらしなく凭れ、ゲームをしている。空き缶が床に散らばっていた。
白石知意を見ると、神谷皓は口角を吊り上げ、声を張った。
「腹減った。なんか作れ。さっさとしろ!」
まるで使用人への命令だ。
白石知意は腹の奥の鈍い痛みを押さえ、無視して階段へ向かった。
「白石知意!」
神谷皓がスマホを叩きつけた。
数歩で詰め寄って腕をつかむ。
「俺の話聞こえねぇのか? 耳腐ってんの?」
酒臭い息が顔にかかる。視線は彼女の膨らんだ腹に落ち、目が陰険に細まった。
「調子乗ってんじゃねぇよ。家が潰れて、うちの爺さんが可哀想だから拾ってやっただけのくせに。神谷の奥様のつもりか? 兄貴がお前なんて相手にしたか?」
「俺の世話をサボったら、兄貴に言って即離婚させるぞ」
悪意の言葉が、麻痺した神経に針のように刺さる。
白石知意は腕を振りほどき、黙って階段を上がった。
背後から、さらに下品な罵声が飛んでくる。
寝室に戻ると、白石知意は鍵をかけ、扉にもたれてずるずると床に座り込んだ。体が勝手に震える。
結婚してからずっと、良い妻になろうと努力してきた。けれど得たものは何だろう。
腹に手を当て、かすれ声で呟く。
「……赤ちゃん。ママ、最初から間違ってたのかな……」
そのとき、スマホが鳴った。
白石知意が通話を取る。
「白石知意様でいらっしゃいますか?」
電話の向こうは穏やかな女性の声だった。
「シャドウ・ピクチャーズの監督です。先月お送りいただいた『インディゴ・シティ』の脚本がカンヌ国際映画祭の選考に残り、出資者も付きました。映画化が決定です。二か月後、撮影に参加していただけますか?」
白石知意はしばらく、現実感が持てなかった。
あの脚本は、神谷蓮に否定され続けた夜、書斎の隅で膝を抱えながら書いたものだ。
相手は返答を待っている。
白石知意は、暗くなりかけた画面を見つめた。死んだ灰の底で、ふっと火の粉が跳ねる。
「……できます」
白石知意は言い、少しだけ声を強めた。
「二か月後、現場に入ります」
通話を切り、窓辺へ向かう。夜の街は煌めいていた。掌を腹に当てる。
道は、まだ完全には塞がっていない。試してみるべきだ。
濃い夜。寝室の外から足音が近づく。
神谷蓮が扉を開けて入ってきた。顔色は暗い。
白石知意は思わず身を震わせ、立ったまま動けなかった。
神谷蓮が冷たく目を走らせる。
「……お前は運が良かったな。清香は助かった。でなければ——」
空気がさらに冷える。
白石知意は半歩退きかけ、踏みとどまった。悔しい。何もしていないのに。
息を吸い、白石知意は言う。
「……本当に、私じゃ——」
「黙れ!」
神谷蓮が怒声で遮った。振り返った目は毒を塗ったように冷たい。
「今後、俺の前で二度とそんなことを言うな」
白石知意は唇を噛み、口を閉ざした。
神谷蓮の嫌悪は深まり、彼の視線は白石知意の顔から外れ、膨らんだ腹に止まる。
目を細め、氷の声で言った。
「結婚してもうすぐ四年だな。……そろそろ時間だ」
