第6章

「雲海ヴィラエリア、到着です」

機械的なアナウンスに、知意は我に返った。

知意は無表情のまま、人の流れに紛れてバスを降りた。

足を下ろした途端、豆粒のような雨が前触れもなく叩きつけ、頭の先から足元まで容赦なく冷たく濡らした。

夜風が氷雨を運び、知意の身体を震わせる。

くしゃみが一つ漏れ、足早に灯りのともる屋敷へと向かった。

神谷家の飾り鉄門を押し開ける。ずぶ濡れの靴が大理石の床を踏み、瞬く間に水たまりを広げた。

皓はソファにだらしなく凭れかかり、ゲームをしている。スピーカーからは爆音が響いていた。

気配に気づいた皓が横目でこちらを見た。水浸しで無様な姿を鼻で笑ったが、いつものようにすぐ絡んではこない。

どうやら勝負どころらしく、悪態をつきながらキャラクターを操作している。

知意はただ早く部屋に戻り、この冷え切った服を脱ぎたかった。

俯き、そっとリビングを迂回して階段へ向かう。

ソファの脇を通り過ぎ、キッチンへ続く廊下に差し掛かったとき、知意は急に足を止めた。

細長い何かが、ソファの下から勢いよく飛び出し、知意の足首へ一直線に襲いかかってきたのだ。

「きゃああっ——!」

恐怖で魂が抜けそうになり、本能的に身を引く。だが濡れた靴底は完全に滑り、バランスを失った身体は重力に引かれて後ろへ倒れ込んだ。

ドンッ!

背中と尻に激痛が走り、尾てい骨が割れるかと思った。

床に座り込み、無意識に腹を庇いながら、恐怖でその蛇を凝視する。

皓が飼っているペットだった。

「はははははは!」

皓が得意げな大笑いを爆発させ、コントローラーを放り投げてソファから跳ね起きた。知意を指差して腹を抱える。

「見ろよそのビビり面! 蛇一匹でそのザマかよ! ははっ、笑える! 知意、お前、蛇にすら嫌われてんだな。見た瞬間逃げ出す——いや、噛みつきたくなるのか! はははは!」

悪意に満ちた嘲笑がリビングに響き渡り、ひどく耳を刺す。

知意は全身の痛みに耐え、もがくように立ち上がろうとした。だが床が滑って何度も失敗し、いっそう惨めな姿を晒す。

そのとき、玄関の扉が開く音がした。

蓮が高級なオーダーメイドのスーツ姿で入ってくる。

床に広がる水たまりと、ずぶ濡れでへたり込む知意を見て、蓮の歩みが一瞬だけ止まり、視線が走った。

知意は顔を上げた。視線が交差した瞬間、心の奥底でなぜか微かな期待が燃え上がった。

だが蓮の目は、一秒も満たないうちに無表情のまま逸らされ、彼はまっすぐ階段へと向かった。

「兄貴! おかえり!」

皓はすぐさまへらへらとした笑みを浮かべる。

「ずっと待ってたんだぜ! 今夜、清香さんの祝いに行くって約束だろ?」

蓮は「ああ」とだけ応え、足を止めることなく二階へ上がっていった。

知意は半身を起こした姿勢のまま、その場に凍りついた。

ほどなくして、蓮が少しカジュアルな服に着替えて降りてきた。手には車の鍵を握っている。

皓が慌てて後を追う。

「兄貴、俺も行く」

知意のそばを通り過ぎる際、皓はわざと意地の悪い笑みを向け、そのまま足早に去っていった。

広い屋敷は、再び死んだような静寂に包まれた。

知意は床にしばらく座り込み、痛みが少し引くのを待ってから、ようやく苦労して立ち上がった。

ゆっくりと寝室へ戻り、汚水にまみれた服を脱ぐ。熱いシャワーを浴びて、乾いた柔らかなパジャマに着替えると、ようやく身体の芯の寒気が和らいだ。

胃が強烈な空虚感を訴え、長いことまともに食事をしていないことを思い出させる。

そっと扉を開け、キッチンへ向かった。

卵を二つと青菜を少し取り出し、あっさりとした温かい麺を作る。

食べ終えて器を片づけ、まだ鈍く痛む身体を引きずるようにして部屋へ戻り、柔らかなベッドに倒れ込んだ。

窓の外の雨音は弱まり、しとしとと降り続いている。

スマホを取り出し、SNSを開くと、五分前に皓が投稿したばかりの画面が目に入った。

【清香さんの新作、大ヒットの予祝! 兄貴が才能に惚れ込んで、直々にパーティー開催!】

その下には九枚の写真と、短い動画が添えられている。

喧騒の音楽、眩い照明、高級クラブの空気。

人だかりの中心にいるのは、他でもない清香だった。

シャンパン色のドレスに身を包み、長い髪をゆるく巻き、完璧なメイクを施している。手には数枚の書類を持ち、少し恥じらうような表情を浮かべていた。

動画が数秒進むと、清香がファイルから数枚の紙を抜き出し、蓮の前に差し出しながら何かを囁いた。

蓮がそれを受け取り、少し目を落とす。カメラはすぐに逸れたが、知意は彼の瞳に一瞬だけ走った微かな光を見逃さなかった。面白いものを見つけたような、そんな光。

動画の中から、取り巻きたちの称賛の声が聞こえてくる。

「清香は本当に才色兼備だな! この脚本の枠組み、数行読んだだけでテーマもキャラ設定も刺さるよ!」

「若いのになんて筆力だ、貴重すぎる! 神谷社長、どこでこんな逸材を掘り当てたんですか?」

カメラが蓮へ向く。

主役の席に座り、皆に持ち上げられる清香を見つめながら、称賛の言葉に口元をわずかに動かした。

「清香には確かに才がある」

その声は、清香への肯定に満ちていた。

「この脚本は、初見で伸びしろを感じる」

清香はすぐにうつむき、柔らかな声で言った。

「蓮が機会をくれて、試させてくれたから……」

動画が終わる。

知意の胸が、酸っぱく膨れ上がった。

彼の会社にいて、四年。

その四年間、彼女は数え切れないほどの脚本を書いてきたが、彼に一度たりとも見てもらえる機会はなかった。

なのに清香は、たった一つ脚本を出すだけで、いとも簡単に彼の称賛を得て、直々のパーティーまで開いてもらえる。

知意はスマホを閉じた。心に残っていた最後の火種も、暗闇に完全に飲み込まれていく。

四年間の我慢は、徹頭徹尾、滑稽な笑い話だった。

布団に潜り込む。全身が冷え切り、歯の震えが止まらない。

暗闇の中でどれほど目を開けたまま固まっていたか分からない。極度の心身の疲労が、ようやく彼女を浅い眠りへと引きずり込んだ。

夢はひどく混乱していた。顔に叩きつけられる蓮の書類、脚本を手に皆から褒めそやされる清香の笑顔、SNSの写真……。

ドンッ!

雷のような破裂音が耳元で弾けた。

知意は恐怖で跳ね起き、怯えきった目で扉の方を振り返る。

廊下には、暴力的な気配を纏った影が立っていた。

蓮だ。全身から濃烈な怒りを放ち、知意を死神のように睨みつけている。

「知意」

その声は氷よりも冷たかった。

「お前は本当に……何度も何度も、俺の底線を踏みにじる」

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