第2章
退院の日、松尾修が迎えに来てくれた。
手術のせいで少し重くなった身体を引きずりながら、病院の玄関先に停められた見慣れた黒いセダンへと向かう。私は無意識に、助手席のドアを開けた。
その瞬間、私は凍りついた。
助手席には、襟元をわずかに乱し、淡い微笑みを浮かべた椎名由衣が座っていた。
彼女の視線が私と交わった時、その挑発的な眼差しに胃の腑がぎゅっと締めつけられるような痛みを覚えた。
「美緒さんごめんなさい、わざとじゃないんです」
彼女はそう囁いた。口調は申し訳なさそうだったが、眼差しは全く逆だった。
松尾修が運転席から身を乗り出し、慌てて説明する。
「由衣の髪が俺の腕時計に絡まっちゃって、さっき解いてやってたんだ」
彼は嘘をついていない。いつだって彼は、隠し事をしない人だった。
結婚する前でさえ、大学時代に忘れられない恋をしたが、結局は別々の道を歩み、相手は海外へ渡ったと、彼は私に正直に打ち明けてくれた。
「心に少し引っかかっているけれど、もう過去のことだ」
彼はあの時、私の手を握って言った。
「君と結婚したら、全身全霊で君を大切にする。過去の感情が俺たちの未来に影響することはない、保証するよ」
その時の彼の瞳は澄みきっており、口調は固く、私はその誠意を信じた。
では、今は? 本当に何の影響もないと?
私は椎名由衣を一瞥し、言った。
「二人きりで話がしたいの。他の人にはいてほしくない」
椎名由衣はすぐに立ち去る素振りを見せた。
「じゃあ、私、先に行きますね」
口ではそう言いながらも、彼女の動作はひどく緩慢で、明らかに松尾修の出方を待っているのがわかった。
「一人で帰れるか?」
松尾修が彼女に尋ねる。その声に含まれた気遣いに、私は吐き気を覚えた。
「大丈夫です、平気ですから」
椎名由衣は無理に笑顔を作った。
松尾修は思わずといった様子で私の方を見た。
彼が私に何かを言ってほしいのだとわかった。例えば、彼女は足を怪我しているのだから先に送ってから家に帰って話そう、とか。例えば、彼女は他人じゃないのだから、彼女を避けて話す必要はない、とか。
彼はすでに椎名由衣のために私をないがしろにしているのに、どうして私がこれ以上、自分をないがしろにしなくてはならないのだろう?
「タクシー乗り場はすぐそこよ。便利でしょう」
私は椎名由衣の目をまっすぐに見て、冷たく、そしてきっぱりと言い放った。
彼女はついに、不承不承といった様子で車を降りた。
車内には私たち二人だけが残り、空気がまるで凝固したかのようだ。
「美緒、俺のことで彼女を八つ当たりしないでくれ。俺はただ医者として彼女を診てやっただけなんだ」
松尾修が先に口火を切った。
「昨日、ステージで転倒して、足首が少し腫れて痛むって言うから」
彼女の転倒が私の手術より重要だというの、と喉まで出かかったが、その言葉を口にする直前、ふとひどい疲労感に襲われた。
問い詰めるのは疲れる。彼の答えを期待するのも疲れる。彼が心変わりするのを待つ、その時間こそがもっと疲れる。
私は彼の釈明には応えず、ただ前方を見据えたまま、静かに言った。
「松尾修、離婚しましょう」
彼は急ブレーキを踏み、車は道路の真ん中で停止した。
「椎名由衣のせいか?」
彼は信じられないというように尋ねた。
「ええ、椎名由衣のせいよ」
私ははっきりと答えた。
車は再び進み始め、交差点を通り過ぎる時、私は椎名由衣が一番目立つ場所に立ち、突然「アクシデント」で地面に転ぶのを見た。その動きはまるで舞台演劇のように大げさだった。
「椎名さんが転んだわよ。見に行かなくていいの?」
私は冷笑を浮かべて尋ねた。
松尾修はハンドルを強く握りしめ、前方を睨みつける。
「お前が離婚するって言ってるのに、俺が他人のことなんか気にかける余裕あると思うか?」
今になって、彼は椎名由衣を他人だと思うらしい。
私たちの住む高層マンションに戻っても、雰囲気は氷のように冷たいままだった。
一緒に飼っている猫が異常な空気を察したのか、私たちの間を行ったり来たりして擦り寄ってくる。
松尾修は猫を抱き上げ、場の空気を和らげようと試みた。
「柚子、ママがパパと喧嘩しちゃったんだ。ママにパパを許してあげてって言ってくれるかい?」
この手は、彼が何度も使ってきたものだった。私たちが口論するたび、彼はいつも柚子を抱いて可哀想なふりをし、そうすると私は決まって心が和らいでしまうのだ。
私が何の反応も示さないのを見て、彼の顔から次第に笑みが消えていった。
沈黙が私たちの間に広がる。
「あの日は村上に頼んで痛み止めを出してもらったけど、飲んだか? 少しは楽になったか?」
彼は話題を変え、その口調には恐る恐るといった探りがあった。
「あなたが彼に頼んでくれたの?」
「もちろんだ。本当に君を放っておいたわけじゃない」
松尾修の声には安堵の色が混じっていた。まるで、ついに突破口を見つけたとでも言うように。
松尾修は柚子を下ろし、私の背後に回ると、両腕で私の腰を抱き、その腕の中に私を閉じ込めた。薄い服地を通して彼の体温が伝わってくる。彼の顔が私の首筋に近づき、頬に口づけようとする。しかし私は本能的に顔を背けてそれを避けた。彼の唇は私の髪をかすめただけだった。
「こんなことしないでくれ。離婚なんて、やめよう、な?」
彼の声には今までにない懇願の色が滲んでいたが、腕の力はむしろ強まった。
私はその場に立ち尽くし、彼の感触を受け止めながらも、心の中には越えられない高い壁が築かれていくのを感じていた。
嫌だ。
少しも良くない。
私たちの間は、もう元には戻れない。
