第4章
「美月、いったい何を言ってるんだ。俺と美咲がどんな関係だって?」
「……美咲は、おまえの妹じゃないのか」
「俺はずっと、妹として見てきたんだ」
「妹?」
美月は鼻で笑った。蓮がここまで恥知らずに、平然と言い逃れするとは思わなかった。
「蓮、よくそんなこと言えるよね
『妹が怖い』の一言で、高熱出して寝込んでた彼女を置いて、妹のところへ行った。しかも一晩付き添ったんでしょ?
あ、忘れてた。付き添いがいつの間にか同じベッドってこともあったっけ。『毛布かけて、ただ話してただけ』? よく言うわ
それから、私の限定チェロ弓。美咲が『欲しい』って言った瞬間、何も言わずに私から持っていったよね。で、私が嫌がったら『ケチだ』『妹に譲れないのか』って責めた
いい? 実の娘は私。美咲は、運がよかっただけの――他人よ
それに今回の首席考査。あれは私の夢なの。何年も必死で積み上げてきた。あんたの軽い一言で『譲れ』って?
どれだけ面の皮が厚いの
そんなに妹が可哀想なら、陸家の株でも全部くれてやれば? ……できない? そりゃそうよね。他人のものを差し出すのは得意でも、自分のものは切れない
挙げ句の果てに、私に美咲の世話までしろって? 彼氏の親に気を遣うだけじゃなくて、浮気相手の介護までセットってわけ?」
言葉は一つひとつ、狙い澄まして心臓を抉ってくる。
蓮はさすがに動揺したのか、声がわずかに上ずった。
「美月、それは誤解だ……! 美咲はあのとき、自分の身の上を知ったばかりで不安定だった。兄として、少し支えただけだろ?」
「弓だって、もっといいのを買ってやるつもりだった。ただ、間に合わなかっただけだ」
「首席だって……美咲のほうが必要だと思ったんだ。身体も弱いし、うつ病で……落ちたら崩れてしまう」
――ほら。
美月が突きつけた事実に、蓮は一瞬だけ慌てた。けれど次の瞬間には、用意していた言い訳を淀みなく並べ立てる。
普段から心の中で、ずっと都合のいい理屈を組み立てていたのだろう。だから、こんなにも早い。
前世の美月は、こんな説明すらもらえなかった。
馬鹿みたいだ、と喉の奥が苦くなる。
結局、蓮にとって自分は、説明する価値すらない相手だったのだ。孤児院育ちの美月には。
「じゃあ私は、犠牲になって当然?」
美月は遮った。声は氷みたいに冷たい。
「蓮。人を馬鹿にするのもいい加減にして」
「うつ病かどうかは、あんたの口が診断書になるわけじゃない。うつ病を見たことないの?」
「美咲みたいに元気いっぱいの人間がうつ病? 笑わせないで。あんたがうつ病になっても、あの女はならない」
受話口の向こうが、死んだように静まり返った。
やがて、蓮の声が重く落ちてくる。
「美月……おまえ、どうかしたのか? 一ノ瀬家と揉めて、頭が――」
信じる気などない。美月が感情的になって暴言を吐いているだけだと決めつけている。
美月は冷笑した。
「いい。もう話すのも無駄」
「寝たふりしてるなら、私が頬を叩いたって起きないでしょ」
「別れる。今日から、私たちは無関係」
「やめろ。そんなに意地張るなよ」
蓮の声に苛立ちが混じる。
「気が立ってるのは分かる。でも美咲に八つ当たりするな。別れるだの何だの、俺を脅すな」
「美咲は優しくて、聞き分けがよくて、奪う気なんて一度も――」
「少しは大人になれ。理性的になれ」
「……分かった。美咲が一歩引くっていうなら、謝らなくてもいい。首席だけ譲れ。それでいい」
美月は、怒りで逆に笑いそうになった。
首席を譲るだけでいい?
まるで美咲が謝罪を免除してやったのが、大恩恵みたいな言い草。
「耳が遠いの? それとも頭が悪いの?」
「分かれって言ってるの。あんたと美咲が兄妹だろうが、恋人同士だろうが、星を眺めて人生語ってようが、ベッドの上だろうが――私には関係ない!」
言い切ると同時に、美月は通話を切った。
聞くだけ無駄だ。
それにしても、蓮は才能がある。ここまで厚かましく居座れる才能。
前世は、その手口に骨までしゃぶられた。だが、今は違う。俯瞰して見れば、やってることなんてたかが知れている。
――前世の自分が抜け出せなかったのは。
美月は、苦く笑った。
期待していたからだ。まだ、愛される可能性を捨て切れなかったから。
美月は連絡先を開き、蓮の名前を迷いなく削除した。
続けてLINEも開く。ブロック、削除。流れるように終わらせる。
終えた瞬間、肩の荷がどさりと落ちた気がした。
今世は、二度と同じ結末を辿らない。
これからは、自分のためだけに生きる。
――一方で。
蓮は通話終了の画面を睨み、顔を青くした。
美月が別れを口にして、しかも電話を切るなど想像していなかった。
「……美月、最近ますますワガママだな」
歯を食いしばり、怒りが滲む。
従順だったはずの恋人が、なぜこんなふうに変わったのか理解できない。
一ノ瀬家とも決裂し、別れまで口にし、美咲を中傷する言葉まで吐いた。
きっと今日、一ノ瀬家に責められて悔しくて、その鬱憤を自分と美咲にぶつけているだけだ――そう結論づける。
蓮は深呼吸して落ち着こうとし、掛け直そうとした。
だが、自分の番号はブロックされている。
LINEもブロック。
胸がひゅっと冷えた。ほんの少しの焦りが、初めて湧く。
――今回は、本気なのか?
すぐに首を振る。
ありえない。
美月が自分を捨てられるはずがない。孤児院育ちの彼女にとって、自分は唯一の拠り所なのだから。
今は怒っているだけ。冷静になれば戻ってくる。
しばらく距離を置いて、頭を冷やさせればいい。
そう思い直し、蓮は美咲に電話をかけた。
すぐに繋がる。
「蓮さん……」
「美咲、大丈夫か?」
蓮は眉を寄せ、本気の心配を浮かべる。
「美月がおまえと揉めて、押したって聞いた。怪我は?」
「私は大丈夫……」
美咲はすすり泣きながら言う。
「全部私が悪いの。私が首席を争わなければ、お姉ちゃんも怒らなかったし、家とも揉めなかった。蓮さん、私を叱って……」
「馬鹿。おまえのせいじゃない」
その聞き分けの良さに触れ、蓮の中で比較が走る。
美月も美咲みたいに思いやりがあれば、皆に好かれるのに――。
「美月が子どもなんだ。気にするな。ちゃんと治して、首席考査の準備をしろ」
「落ち着いたら、俺が話してやる」
「……うん」
美咲は素直に返事をする。だが目の奥には、得意げな光が揺れた。
――一方で。
美月が病院へ向かって歩いていると、悲鳴が耳に飛び込んできた。
「人が倒れた!」
「119番! 誰か呼んで!」
「お医者さんいませんか! 助けて!」
