第1章

 チームがまた勝利をもぎ取った夜、アリーナの歓声は天井をひっくり返しそうな勢いだった。

 リンクの上では、キャプテンが新入りのチアリーダーを抱き寄せ、照明の下でくるりと回りながら滑っている。スケート刃が氷を裂き、きれいな弧を描いた。仲間たちは口笛を鳴らして囃し立て、「告白しろ!」と叫ぶ声もあれば、スマホを構えて撮影するやつもいる。

 みんなが待っているのは、私の登場だ。

 泣きながらリンクへ飛び込み、膝をついて彼に縋りつき、振り向いてくれと懇願する――いつもみたいに、みじめで滑稽な私を。

 けれど誰も知らない。

 その瞬間の私は、更衣室のいちばん奥、用具の収納スペースで、冷たい金属ロッカーに押しつけられていた。

 普段は寡黙な控え選手が、私のうなじを掴んだまま、抑えた声を震わせる。

「……本当に、後悔しないのか」

 私はつま先立ちになり、答えの代わりに唇を重ねた。

 ブレイク・ハートウェルが、あのチアリーダーに告白する――そんな段取りを、チーム全員が知っていた。ブレイクはわざわざ仲間に釘を刺していたらしい。私の耳に入れるな、と。

 でも、世の中に完全な秘密なんてない。面白がりたい誰かが、我慢できずに私へ知らせてきた。

 みんな、私が壊れるところを見たがっている。

 当然だ。長い間、私はブレイクの後ろを追いかけ続けた。その姿を、彼らは嫌というほど見てきたのだから。中学から今まで、私は尻尾みたいに彼にくっついて、バッグを持ってやり、朝食を買ってやり、観客席から彼のゴール一つ一つに歓声を送った。

 だから彼らは決めつけている。私がリンクへ駆け込み、泣いて、どうして捨てるのかと詰め寄るのだと。

 けれど――今回は違う。

 私はアリーナの入口に立ち、ガラス越しに氷上の二人を見た。ブレイクの腕はブルックの腰を抱き、滑りは優雅で、見せつけるように派手だ。彼は生まれつきの主役で、喝采も視線も、最初から欠いたことがない。

 そこへコーチがリンク脇から歩いてきて、眉をひそめた。

「行って止めてこい。やりすぎるな。明日も練習だぞ」

 私は手にしていたスポーツドリンクを見下ろし、そのままゴミ箱へ放り込んだ。

「もう、知らない」

 踵を返して歩き出す。

 背後で、呆気にとられた沈黙が落ちた。続いてひそひそ声が広がる。「何する気?」という声も聞こえたし、ブレイクの滑走音がふっと止まる気配もした。

 振り返らなくても、想像はつく。眉を寄せ、気に入らないものを見るような、あの陰った顔。

 出口へ向かう途中、私はふいに足を止めた。

 背中越しに、議論が一気に膨らむのがわかる。

「ほら、言っただろ!」

「結局、我慢できないんだよ!」

 私は向きを変え、リンク脇へ戻った。ブレイクの口元に、得意げな弧が浮かぶ。ブルックを離し、フェンス際まで滑ってきて、上から見下ろす。

 泣くのを待ってる。縋りつくのを待ってる。

 私は何も言わず、ただ手首を持ち上げた。そして皆の前で、編み込みのブレスレットを解く。

 彼が十六歳の誕生日に、自分の手で編んでくれたもの。三年間、一度も外したことがなかった。

「返す」

 フェンス越しに差し出す。

 ブレイクは受け取らず、鼻で笑った。

「俺はゴミ回収じゃない」

 私は頷いて笑った。肩の力が抜けるような、解放されるような笑いだった。

 それから背を向け、ブレスレットをリンク脇のゴミ箱へ投げ入れる。

 振り返らないままアリーナの扉を押し開け、夜の闇へ歩き出した。

 扉が閉まると同時に、背後のどよめきは遮断された。足を止めない。振り返らない。

 私が去ったあと、リンクには短い沈黙が落ちた。

 仲間たちは顔を見合わせる。ブレイクの顔色は最悪で、視線は凍りつくほど冷たい。

 やがて誰かが沈黙を破った。

「どうせ芝居だろ。気を引きたいだけ」

「女ってそういうもんだしな。今夜中に謝罪メッセ送ってくるに決まってる」

「入口の外で泣いてたりして」

 その慰めを聞いて、ブレイクの表情は少しだけ緩んだ。私と彼は八歳からの付き合いだ。私が「怒って出ていく」真似を何度してきた? 結局いつも、泣きながら戻ってきて、「ごめんなさい」と言って、「拗ねた私が悪かった」と頭を下げた。

 彼は私を知り尽くしているつもりだった。

 ――彼がいなければ、私は何者でもない。そう信じている。

 そう思うと、ブレイクは口角を上げ、ブルックの肩を抱き寄せた。彼女の耳元で何か囁くと、ブルックが照れたように軽く押し返す。仲間たちはまた囃し立て、祝勝の熱はすぐに戻っていった。

 誰も気づかない。

 ゴミ箱の中で、古いブレスレットが空き缶に挟まれ、静かに横たわっていることに。二度と、拾い上げられることもなく。

 アリーナを出たとき、空から細い雨が落ち始めていた。

 傘はない。でも取りに戻る気もしない。雨が髪と服を濡らし、ひやりとした冷たさを運んでくる。その冷たさが、頭の中を妙に冴えさせた。

 キャンパスは静かだった。遠くのアリーナから、かすかな歓声だけが届く。私は人気のない道をゆっくり歩き、雨脚が強くなるのに身を任せた。

 脳裏に、前の人生の光景が何度もフラッシュバックする。

 同じ夜。勝利の祝勝会。あのときの私はリンクへ飛び込み、皆の前で膝をつき、ブレイクに泣いて縋った。離れないで、と。

 彼の目は氷みたいに冷たかった。みっともない、見苦しい、気持ち悪い――そう言った。

 仲間たちは腹を抱えて笑い、ブルックは彼の腕に絡みつき、哀れむような目で私を見下ろした。

 そのあと私は学校から退学を勧告された。ブレイクの家も、もう私を助けなくなった。無一文で路上に放り出され、土砂降りの夜、路地裏で倒れた。

 死ぬ間際に、ただ一人だけ私を見つけた人がいる。

 普段は口数が少なくて、控え席のいちばん端にいるような男の子だった。

 彼は上着を脱いで私にかけ、私を抱きかかえたまま雨の中を走った。何度も何度も、私の名前を叫び続けた。

 けれどその頃の私は、もう聞こえていなかった。意識が滲む直前に覚えているのは、彼の熱い涙が私の頬に落ち、冷たい雨に混じっていったことだけ。

 私は立ち止まり、夜空を見上げた。雨が視界をぼやけさせる。それでも、今の私は前よりずっとはっきりしている。

 神様が、やり直す機会をくれたのだ。

 今度こそ、運命を、自分勝手で冷たい男の手に預けたりしない。私を一度も大切にしなかった相手のために、尊厳を捨てたりしない。

 今度は、目を覚ましたまま生きる。

 もっと身勝手に。

 自分のために。

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