第2章
「萌々!」
プリンは眉間を寄せ、慌てて追いかけながらスマートウォッチをタップした。
「ママ、萌々がいなくなった」
出口付近。
スーツ姿の男が足早に現れた。眉をわずかに寄せ、いかにも急いでいる様子だ。
萌々は一直線に突っ込み、つま先立ちで男の脚にしがみついた。ぺた、と頬まで押しつける。
神崎司が見下ろすと、見えるのはふわふわの頭だけ。
表情が沈み、脚を引き抜こうとしながら淡々と言った。
「離せ」
だが萌々は怯むどころか、さらにぎゅっと抱きつく。男の脚に引きずられ、ずる、と一歩分だけ前へ。
後ろのボディガードが青ざめて駆け寄り、抱き上げようとした。
その瞬間、萌々は焦ったように「がぶっ」と噛みつく。ボディガードの手からたちまち血がにじんだ。
神崎司の顔が氷のように冷える。
彼は萌々の襟を掴み、ひょいと持ち上げ、そのまま腕に乗せた。
どこの子だ。こんな乱暴を平然とやるとは。
萌々は澄んだ黒い瞳を上げ、警戒する様子もなく両腕で彼の首にしがみついた。
甘い匂いがふわりと鼻先をくすぐり、神崎司の硬い心が、なぜか一気にほどけていく。
「名前は? 保護者はどこだ」
自分でも気づかないほど、声が柔らかい。
萌々は答えず、ぱちぱちと瞬きをして彼を見つめるだけ。
桐生初夏とプリンは人混みをかき分け、ようやく萌々の姿を見つけて息を切らしながら駆け寄った。
桐生初夏が抱き取ろうとするが、小さな塊はするりと避け、神崎司にしがみつく。
桐生初夏は空を掴み、咄嗟に男の手首を掴んだ。
長く白い指、浮き出た血管。――一瞬、意識が遠のく。
五年前のあの夜も、こんな手に押さえつけられて……。
神崎司が低く咳払いをした。
桐生初夏ははっと我に返る。
「すみません。私の不注意で、子どもが空港で走り回ってしまって……ご迷惑をおかけしました。お怪我はありませんでしたか?」
「ない」
その返事と同時に、腕の中の重みがすっと消えた。
胸に、説明のつかない空洞ができた気がした。
桐生初夏は萌々を護るように抱きしめ、まだ動悸が収まらない。
「もう、ママ心臓止まるかと思った……次は走っちゃダメ、危ないでしょ!」
驚きと焦りのなか、彼女の視線は思わず目の前の男の顔へ落ちた。
深い目元、すっと通った鼻梁。近寄るなと全身で言っているような冷たさ。
桐生初夏のこめかみがぴくりと跳ねた。
馴染みのある感覚が再び湧き上がる。
――この顔、どこかで見たことがあるような……。
「では、失礼します!」
桐生初夏は萌々を抱いて立ち去ったが、胸の内は驚きでざわついていた。
萌々は普段、他人に近づかない。母親の呼びかけにさえ反応が薄いのに。
それが今日、見知らぬ男の脚に自ら抱きついたなんて!
萌々は桐生初夏の肩に頬を寄せ、波ひとつない瞳だけがわずかに赤い。視線はなおも男の顔に縫い付けられたまま――ぽつりと、呟いた。
「……パパ」
