第4章

パンパンと乾いた音が響き、近藤時弥の顔が赤く腫れ上がる。

周防浅奈は痛む右手を振りながら、少し後悔していた。左右交互に打てばよかった。そうすれば片手だけ痛むこともなかったのに。

「周防浅奈!」

近藤時弥は歯ぎしりして彼女を睨む。

「よくもぶったな?」

「あんたが嵌めようとするからよ!」

周防浅奈は髪を払い、足元の契約書を蹴り飛ばし、その上を踏みつけた。

「この契約書、株式と経営権を全部あんたに譲渡する内容じゃない。会社を乗っ取る気?」

近藤時弥は頬を押さえたまま呆然とした。なぜ周防浅奈がそんなことを理解できる?

彼は目を細めて周防浅奈の顔に綻びを探そうとした。

だが、その顔はあまりにも吐き気を催すもので、表情どころか目さえよく見えない。

首のキスマークを見て、近藤時弥の瞳が暗く沈む。

周防浅奈が普段、契約書など読むはずがない。契約書の問題を指摘できるのは、近藤永一が入れ知恵したからに違いない。

「奈々、わざとじゃないのはわかってる。僕が守ってやれなかったから辛いんだろ」

彼は周防浅奈の手を取ろうと近づいたが、悪鬼のような顔を見て、やはり踏みとどまった。

「前から言ってるだろ、近藤永一は善人じゃない。僕と会わせないのも、君を信じさせないのも、全部周防グループを潰すためなんだ」

まだサインしていないことを思い出し、彼は慌てて契約書を拾い上げた。

「奈々、辛いのはわかるけど、世界中で君を心から想っているのは僕だけだ。サインさえすれば会社は守れる。ご両親にも顔向けできるだろ?」

彼は嫌悪感を隠すように、周防浅奈の上着でペンの汚れを拭った。

「奈々、サインしてくれ。近藤永一に周防グループを飲み込まれてからじゃ遅いんだ」

近藤時弥の嫌悪に満ちた目を見て、周防浅奈は前世の自分を嘲笑った。こんなにわかりやすく嫌われているのに、なぜ気づかなかったのか。

目の前の見慣れた、しかし他人のような顔を見て、周防浅奈は微かに笑った。

口紅が耳の下まで裂けるように描かれているため、少し動くだけで、今にも近藤時弥の喉笛に食らいつきそうに見える。

近藤時弥は後ずさりしたい衝動を抑え、体を強張らせて言った。

「奈々、僕を信じて。サインさえすれば、必ず周防家を救ってみせる。近藤永一なんかに周防グループを壊させたりしない」

パチン!

周防浅奈は我慢できず、また平手打ちを見舞った。

近藤時弥が反射的にやり返そうとしたが、目の前の鬼のような顔が笑っているのを見て止まった。

「近藤永一は誰? 私の婚約者よ。二度と彼の悪口を言ったら、母親でも見分けがつかないくらいボコボコにしてやるから!」

近藤永一はただの婚約者ではない。前世で命を賭して彼女を救おうとした人だ。

そして彼を侮辱する資格が最もないのは、この近藤時弥だ!

近藤時弥は怒りをこらえ、吐き気を抑え込んで周防浅奈の手を掴んだ。

「奈々、レイプされてPTSDになってるんだろ。こんなことするのも、僕を巻き込みたくないからだろ。でも僕は平気だ」

手に入りかけた周防グループを思い、彼の言葉には幾分かの本気が混じった。

「奈々、今すぐ逃げよう。運転手が外で待ってる。命に代えても、あの悪魔から君を連れ出してやる」

これがプランBだ。

本来ならサインさえさせれば、正当に周防グループを乗っ取れた。

だがこの周防浅奈は手強い。まずは連れ出すしかない。

手元にさえ置けば、サインさせる手段などいくらでもある。

その時、二階のバルコニーの木陰から、近藤永一が冷ややかにこちらを見下ろしていた。

傍らの秘書、遠藤正志は心臓が口から飛び出しそうだった。

この周防お嬢様は本当に厄介だ。もし近藤時弥と駆け落ちでもしようものなら、今日ここにいる全員が罰を受ける。

ボスの冷酷さを思い出し、遠藤正志は震えた。

彼が神に祈っていると、下から近藤時弥の悲鳴が聞こえた。

周防浅奈は右手を掴まれて動けないため、近藤時弥の股間を思い切り蹴り上げたのだ。彼はそのまま地面に倒れ込んだ。

「周防浅奈!」

近藤時弥は我慢の限界を超え、怒号を上げた。

周防浅奈がさらに蹴りかかろうとするのを見て、慌てて転がって避ける。

その無様な姿に周防浅奈は満足げに鼻を鳴らし、近藤時弥に触れられた右手を服で拭った。

「婚約者の家にいるのに、なんであんたと逃げなきゃいけないの? 家系図で言えば、あんたは近藤永一のことを従兄さんと呼ぶべき立場でしょ?」

彼女は地面の近藤時弥を見下ろした。

今の近藤時弥は、整髪料で固めた髪に土や草がつき、高級スーツは乱れ、片手で股間を押さえながら、もう片方の手で身体を起こそうとしている。

周防浅奈はその手を踏みつけた。前世の記憶が蘇り、この悪魔を殺してやりたい衝動に駆られる。

「あんた何様のつもり? 私と駆け落ち?」

「周防浅奈、近藤永一に洗脳されたのか? あいつは……ぐあっ!」

近藤時弥の苦痛に満ちた叫びが響き渡る。周防浅奈は足に力を込め、瞳の奥は氷のように冷たい。

「近藤永一はあんたより一万倍マシよ。二度と彼の悪口を言ったら、子孫を残せなくしてやる!」

そう言って足を上げると、近藤時弥は怯えて転がり、ようやく攻撃範囲から逃れた。

周防浅奈は鼻で笑い、背を向けた。

近藤時弥は散らばった契約書を見つめ、歯を食いしばって立ち上がった。

「奈々、PTSDなんだろ。君を責めないよ、守れなかった僕が悪いんだ」

周防浅奈は呆れて笑った。まだ深情けな男を演じる気か?

振り返って嘲笑したが、メイクが濃すぎて、近藤時弥には彼女がまた血盆のような口を開けたようにしか見えなかった。

近藤時弥は唾を飲み込み、心にもないことを続けた。

「駆け落ちしよう。周防グループのプロジェクトはもうすぐ止まる。近藤永一が周防グループを存続させるわけがない」

「君を支配するために、頼れるものをなくそうとしてるんだ。まだわからないのか? 彼は君からすべてを奪うつもりだ」

周防浅奈の顔の笑みは深くなったが、瞳は悲しみに満ちていた。

前世、彼女は近藤時弥のこの言葉を信じ、一生近藤永一と敵対した。

だが最後に真心を見せてくれたのは近藤永一だけだった。

「彼が私のすべてを奪って何が悪いの? 未来の夫よ」

周防浅奈は冷笑した。

「それよりあんた、周防家から随分といろんなものを持ち出したわよね。三日あげる。私から奪ったもの全部返して。さもないと警察に通報して、一生刑務所にぶち込んでやるから!」

言い捨てて、周防浅奈は振り返りもせずに去った。心の中で自分を罵りながら。以前の私は本当に救いようのない馬鹿だったと。

近藤時弥は周防家のものを「二、三日借りる」と言って持ち出し、結局返さなかった。彼女はそれをプレゼントだと思っていた。

今思えば、恩知らずを飼っていたことが悲劇の始まりだったのだ。

二階の近藤永一は、周防浅奈の華奢な背中をじっと見つめていた。手の中の万年筆は真っ二つに折れていたが、その表情は異常なほど晴れやかだった。

近藤永一は折れた万年筆をゴミ箱に投げ捨てた。

「遠藤、門の外の運転手の家族は見逃してやれ」

「はっ、近藤社長の慈悲に感謝します」

遠藤正志は安堵のため息をつき、同情の眼差しを門の方へ向けた。

近藤時弥が連れてきた運転手は、明日の朝日を拝めないだろう。

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