第4章
電話を切ると、沈村川人は音楽アプリを開いた。ランキング1位。曲名は『自分で傘をさす』。
再生ボタンを押した瞬間、部屋に聞き慣れたメロディが流れ出す。
横に立っていた沈村深がすぐに気づいた。
「これ、安田歌子の新曲?! 曲はまったく同じだよ。歌詞だけ差し替えてる!」
言えば言うほど腹が立つのか、声が尖っていく。
「本当は遥の曲だったのに! 先に出されるなんて……ひどすぎる!」
沈村川人の表情は沈んだまま。初めて聴いたときから、これは必ず当たる――そう確信していた。遥が賞を取ったときに着るドレスの発注にまで、もう手をつけていたほどだ。
それを途中で安田歌子にかっさらわれた。怒りが込み上げないはずがない。
「川人お兄さん」
沈村深はスマホで情報を追いながら言う。「この曲、どの配信サイトでもずっと1位。安田歌子の名前もトレンド入りしてる」
沈村深の顔に不安が滲む。
「このままだと、安田歌子……この曲で最優秀新人賞まで行くかもしれない。そうなったら、いい仕事が向こうに集まるし……遥の歌手としての立場、超えられたりしない?」
「たかが一曲だ。慌てるな」
沈村川人は沈村深より落ち着いていた。「それより『完美假期』はどうだ? 必ず遥をねじ込め。注目度が高い番組だ。遥の人気には大きな追い風になる」
その番組は沈村深が長い間交渉してきた。名の知れた監督が手がける大型企画で、出たい芸能人が山ほどいる。競争は苛烈だった。
沈村深はうなずく。
「もう一回電話してくる」
それから間もなく、沈村深はさらに険しい顔で戻ってきた。
「あり得ない……制作側がさっき言ってきた。今の確定リストに、陸原吉弘だけじゃなく……安田歌子まで入ってるって!」
その言葉を聞いた沈村遥は拳をぎゅっと握りしめた。安田歌子――あの女。新曲を奪っただけじゃない。今度はバラエティの枠まで奪うつもり?
許せるわけがない。
「川人お兄さん、深お兄さん」
沈村遥はうつむき、いかにも悔しそうに唇を噛む。「お姉さん、本当に怒ってるのかな……だから私たちに意地悪してくるんだよね。全部、私が悪い……」
「お前のせいじゃない」
沈村川人は、遥のように優しくて我慢強い女の子が傷つくのが耐えられなかった。
「俺が直に監督と話す。遥、この番組は必ずお前を出す。安田歌子に思い知らせてやる――沈村家に逆らえば、痛い目を見るってな」
そう言い終えた頃、『自分で傘をさす』はちょうどサビに差しかかっていた。
安田歌子の独特な声が、ゆっくりと部屋に満ちていく。
「薄っぺらい家族なんて 風に吹かれりゃほどけて消えて
ひとりであがいて 凍えた壁を抜け出して
この手で空を支えるの 私の晴れを――」
一語一語が、安田歌子の感情そのものだった。聴けば聴くほど、沈村川人の顔色は悪くなる。
苛立ちに任せてスマホの再生を止めた。
この手で空を支える、だと?
あいつの栄光の飾りは、すべて沈村家が与えたもののくせに。
数日後、『完美假期』の発表会がネットで生配信されることになった。ゲストの全ラインナップは、その場で公開される。
安田歌子は早めに会場へ入り、まず監督側に挨拶を済ませた。スタッフは皆、口をそろえて彼女の新曲を褒めたたえる。
とりわけ監督は熱が入っていた。
「あの曲はね、失意の底に落ちた女の子が、そこから立ち上がる物語をきちんと歌っている。胸を打つよ。君を呼んだ最大の理由だ」
監督との面会を終えた安田歌子が廊下を歩いていると、沈村遥と沈村景に鉢合わせた。
沈村景は沈村家の五男。俳優業も歌も手を広げていて、目を引く容姿でファンの人気も高い。
安田歌子は眉をひそめる。沈村景ほどの知名度なら、こういうバラエティの収録など最初から眼中にないはずだ。
――そう思った矢先、沈村遥が見せびらかすように口を開いた。
「お姉さん、偶然だね。お姉さんも招待されたんだ? 私、誘われたときすごく緊張しちゃって……バラエティ出たことないから。景お兄さんが一緒に出てくれるって言ってくれたから、私も来る勇気が出たの」
言いながら、沈村遥は当たり前のように沈村景の腕に絡む。仲のいい兄妹を強調する仕草だ。
「へえ」
安田歌子は鼻で笑う。「私が聞いた話だと、沈村景のほうから番組に参加したいって言い出して、条件が『遥も一緒に』だったから、監督がOKしたんじゃなかった?」
ついさっき監督本人が口にしていた内容だ。沈村景の人気は高い。番組側としても彼が出るなら旨味がある。いわば抱き合わせでの了承だった。
沈村遥の頬が、ばつの悪さで赤く染まる。
「遥は俺の妹だ」
沈村景が沈村遥をかばうように言った。「妹のために動くのは当然だろ」
そして、付け足すように視線を安田歌子へ向ける。
「お前もちゃんと大人しくしてくれるなら、俺だって力になる」
だが、彼女は自分から火に油を注いだ。たかが一曲のことで、皆と喧嘩をして――。
「結構」
安田歌子は軽く眉をつり上げ、見下すように言い切った。「人の曲を奪ってのし上がろうとする三流歌手と、顔だけで売ってる小物のタレント。自分の看板守るので精一杯でしょ。助ける? 自意識過剰も大概にして」
「……っ!」
沈村遥は悔しさに足を踏み鳴らした。
収録が始まったら、絶対に視聴者に見せつけてやる。安田歌子の本性を。
徹底的に嫌われ者にしてやる。どんなにいい曲を書いても、誰も聴きたくなくなるくらいに。
