第3章

和泉静留の言葉はきっぱりとしていて、病室は一瞬で静まり返った。

江原信也が我に返った途端、顔色がさっと変わる。怒鳴り散らそうとした、その瞬間――和泉静留はスマホを取り上げ、通報の準備に入った。

「みなさん、勝手に母の病室に押し入って、しかもろくでもないことを企んだ。言い分があるなら、警察にどうぞ」

和泉の父がそれを許すはずもない。手を伸ばし、ひったくるようにスマホを奪おうとする。

和泉静留は身をひるがえしてかわし、冷えた目で父を見据えた。たったそれだけで、なぜか彼の背筋がひやりとした。

今日のことは、絶対に外へ漏らせない。そんなことになれば、和泉の株価は間違いなく揺れる。

「静留……」

父は無理に笑みを作った。

「誤解だ。今日は急に話を聞いたから、様子を見に来ただけでね」

「お前の母親に危害なんて、加えるわけがないだろう?」

和泉静留は指先を発信ボタンの上に止めたまま、表情一つ変えない。

「見たなら帰って。今すぐ、出ていって」

入ってきたとき、薬剤は床に落ちて割れてしまった。警察を呼んだところで決定的な証拠にはならず、せいぜい揉め事として処理されるだけだろう。

しかも和泉家と江原家の権勢が相手なら、拘留すらされないかもしれない。

和泉の父は顔を歪めたが、今日は手出しできないと悟ったのか、部下を連れてしぶしぶ引き上げる。すれ違いざま、和泉静留を見る目がいっそう陰った。

連中が出ていくや否や、和泉静留は小村に指示する。

「小村、今から退院の手続きしてくる。あなたは急いで荷物まとめて」

和泉国見たちが、これで引くはずがない。

林原梅子は五年前、母を殺して正妻の座に収まることに失敗した。だからこそ今度は、もっと狂ったように仕掛けてくる。

小村と母が療養院にいるのは、連中の目の前に餌を置いているのと同じだ。和泉静留は、今すぐ連れ帰らなければ安心できなかった。

「えっ、はい!」

小村は勢いよくうなずいた。

和泉静留の動きは早かった。往復しても三十分ほどで退院手続きを終え、小村と一緒に荷物もまとめる。

帰り道――突然、翔太から電話が入った。受話口の向こうの声は切羽詰まっている。

『ママ、早く帰って! 家に悪い人が入ってきた!』

目の前がすっと暗くなる。だが和泉静留は声を落ち着かせた。

「翔太、怖がらないで。妹と一緒に隠れて。ママがすぐ帰って助けるから」

通話を切ると、和泉静留は運転手に声を荒げる。

「スピード上げて。今すぐ!」

必死に戻った家は、ひどい有様だった。

散らかった小さな庭。翔太と華蓮のために作ったブランコは倒され、干していた薬草は踏み荒らされて、あちこちに散っている。

室内からは、華蓮の怯えた泣き声。

「ママ、ママ……!」

胸がきゅっと縮む。和泉静留は駆け込んで、ちょうど男が棒を持ち、華蓮に近づいていくところを見た。

翔太と華蓮は互いに抱き合い、隅で小さく丸くなっている。

和泉静留の目が血走った。玄関脇の木の棒をつかむと、男の背中へ容赦なく叩きつける。

ドンッ。

男は痛みに呻いて前のめりに倒れ、手から棍棒が滑り落ちた。跳ね起きたところで、和泉静留は気づく。――顔に、ネズミ捕りが噛みついたままだ。

そして翔太と華蓮はというと、さっきまで震えていたはずが、もう目を輝かせて立ち上がり、和泉静留へ駆けてきた。

「ママ、帰ってきた!」

小さな体が左右から太ももにしがみつく。怯えなどどこにもない。

和泉静留は息を吐いた。自分こそ慌てすぎたらしい。

この二人の破壊力なら、心配すべきは相手のほうだ。

「大丈夫? ケガしてない? 怖かった?」

そう言いながらもしゃがみこみ、二人の体を確かめる。

華蓮はぶんぶん首を振り、心配する和泉静留の頭を両手で抱えて、ちゅっと大きくキスをした。

「ママ、だいじょうぶ。おにいちゃんが、華蓮まもった!」

翔太も力いっぱい頷く。

「ぼく、うちの男子漢だから! 妹まもる!」

本当に平気そうだと分かって、ようやく胸の奥がほどけた――その瞬間。

背後から、ブンッと風を切る音。

和泉静留は反射的に手近な木の棒をつかみ、後ろへ強く突き出す。

男が「ぐっ」と息を詰め、よろめいて倒れた。

騒ぎに呼応するように、散っていた連中が庭へ集まってくる。先頭に立っていた男の顔を見て、和泉静留の目が細くなる。

江原信也の手下。大崎弘人。

以前、江原信也のそばにいた頃。こいつは真っ先に自分を見下し、嘲り、陰で足を引っ張ってきた男だ。

「和泉静留? 今、こんなに綺麗になってんじゃん」

大崎弘人は値踏みするように舐め回し、いやらしく笑う。

「でもさぁ、相変わらず飢えてんのな。家に男隠してるとか」

「そいつ、死にかけじゃん。満足できねぇだろ? だったら――俺に替えろよ」

「ハハハハ!」

庭に下卑た笑いが広がる。

翔太と華蓮は顔を真っ赤にした。

「うるさい! 悪い人! 出ていけ!」

「ここ、ぼくたちの家だぞ!」

大崎弘人は鼻で笑う。

「おっ、これが例の私生子か。しかも双子かよ。白子姉さんの言う通り、ほんと恥知らずだな」

「私生子まで産むとか」

和泉静留は、むしろ落ち着いた声で返した。

「江原信也は自分じゃ来られないの? だから犬を寄越して吠えさせてるわけ」

大崎弘人の顔が引きつる。

「このクソ女、今なんつった?」

「犬だって言ったの」

和泉静留は淡々と繰り返す。

「もう一回言ってほしい?」

大崎弘人は汚い罵声を吐き、手を振り下ろした。

「やれ! 今日ここで、この女ぶっ殺すぞ!」

和泉静留が棍を握り直し、迎え撃つ構えを取る。

その横で、翔太と華蓮がパチン、とゴムを弾いた。二人はどこからか取り出したパチンコで、顔面を狙って次々に撃ち抜く。

「悪い人、出ていけ!」

「出ていかないなら、大黄出すぞ!」

「今日はぼくが、やっつける!」

ビシッ、ビシッ、と容赦なく当たり、連中は「いてぇ!」と悲鳴を上げる。だが子どもの腕力では、痛くても耐えられてしまう。

歯を剥いて突っ込んでくる連中に向かって、和泉静留はさっと縄を引いた。

ガラガラガラ――。

頭上から無数の鋼球が転がり落ちる。

大崎弘人たちは不意を突かれ、足を取られて派手にすべり、まとめて地面に転がった。

和泉静留は間髪入れず踏み込み、棍を叩き込む。数発で、連中は痛みにのたうち回った。

「和泉静留、てめぇやめろ!」

「くそ、痛ぇ痛ぇ痛ぇ! やめねぇと殺すぞ!」

「おい! 何ぼさっとしてんだ! 早く行け!」

小さな庭に、呻きと怒号が充満する。

その騒ぎは二階まで響き、昏睡していた男の意識を引き戻した。

平岩空人はぼんやりと目を開ける。

――だが、視界が真っ黒だった。

何も、見えない。

心臓がきゅっと縮み、神経が一気に張りつめる。

どういうことだ……?

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