第2章

山崎絵麻の視点

朝の光は冷たい。私はリビングの窓際にある肘掛け椅子に座り、手の中のコーヒーはぬるくなっていく。あまり眠れていない。目を閉じるたびに、あの思考が蘇ってくる。拓也の思考。彼がけっして口にしなかった言葉たち。

『三年間、自分を苦しめ続けてきた』

その言葉は、頭から離れない歌のようにループする。

窓の外をじっと見つめていると、ふいに思い出していた。わかったつもりでいたこと。今となっては違って見え始めたこと。

去年の夏。夜の十時ごろ、スポーツブラとレギンス姿で地下のジムへ下りていった。ランニングマシンはまだ温かかった。手すりには湿ったタオルが放り投げられている。棚にはウォーターボトル。彼が出ていったばかりだった。

翌朝、午前六時。もう一度試してみた。同じこと。器具は温かい。彼のコロンの微かな香りが空気に漂っている。

あの頃は、彼が私を避けているのだと思っていた。今となっては、彼が誘惑を避けていたのではないかと思う。

それから、去年のクリスマスの慈善ガラ。ある投資家が私の腰に手を回し、指が低すぎる位置まで滑り込んできたとき、拓也はどこからともなく現れた。

「帰ります。絵麻の具合が悪いので」

彼の声は氷のようだった。車の中、ハンドルを握る彼の指の関節は白くなり、顎は固く食いしばられていた。家までの道中、一言も口をきかない。私は、彼が私のせいで人脈作りの機会を台無しにされたと怒っているのだと思って座っていた。

でも、あれは怒りじゃなかった。嫉妬だった。

そして、あの夜々。私たちの寝室は二階の両端にある。毎晩十一時、彼のドアが閉まる。時計仕掛けのように。私の部屋からでも聞こえる、あのラッチの柔らかなカチリという音。

ある夜、たぶん午前二時ごろ、水を飲みに起きた。彼のドアの下から光が漏れていた。廊下に立ち、その黄色い光の筋を、あまりにも長い時間見つめていた。

結局、私はベッドに戻った。

三年の距離。三年の丁寧な礼儀正しさ。彼は、ずっと我慢していたのだろうか?

階段を上る足音。彼が起きた。

私はコーヒーカップを置き、立ち上がる。心臓はすでに速度を上げ始めている。

拓也が紺色のスリーピーススーツで階段を下りてくる。髪はシャワーを浴びたばかりでまだ湿っている。でも、ネクタイは曲がっていて、明らかに急いで締めたものだ。

考えるより先に、私は階段の方へ歩み寄っていた。

「ネクタイ、ぐちゃぐちゃよ」

拓也は歩みを止める。彼の手が襟元にいき、瞳にはパニックのようなものがよぎる。

「自分でやる」

「じっとしてて」

私はもう彼の前にいて、手を伸ばしている。私の指が彼の襟元のシルクに触れると、彼は完全に動きを止めた。凍りついたように。

こんなに近いと、彼の匂いがする。何か清潔な、たぶん彼の石鹸の匂い。コーヒーの微かな香り。

『彼女が俺に触れている。絵麻が俺の襟元に触れている。彼女の指が、すぐそこに、俺の首筋を掠めている。落ち着け。落ち着け。これは普通のことだ。普通の妻の振る舞いだ。でも彼女は普通の妻じゃない、彼女は……ジャスミンだ。あれはジャスミンか?それともクチナシ?彼女の首筋に顔を埋めたい。だめだだめだだめだ。彼女に気味の悪い変態だと思われる。俺は気味の悪い変態だ。自制しろ。もうすぐ終わる。彼女はすぐに手を離す。頼むから手を離してくれ。頼むから手を離さないでくれ』

私の手はゆっくりと動き、必要以上に丁寧にネクタイを直していく。そして、私の指が彼の喉を掠めた。わざとじゃない。完全にわざとだ。

彼の喉仏がごくりと大きく動く。彼の呼吸が重くなる。

私は彼を見上げ、声を軽く保ったまま言った。「心臓、すごいことになってるわよ」

「俺は……」彼の声は張り詰めていた。「遅刻する」

『気づかれた。彼女は俺の心臓の鼓動を感じている。彼女は……いや。考えるな。取締役会!四半期報告書!株式市場の動向!でも彼女の睫毛。なんで彼女の睫毛はこんなに長いんだ?そして彼女は下唇を噛んでいる。クソ。なんで彼女は唇を噛むんだ?それがどれほどセクシーか彼女はわかっているのか?いや、わかっていない。彼女はただ緊張しているだけだ。俺が彼女を怖がらせている。俺はクズだ』

私は手を離し、一歩下がる。彼の耳は赤い。彼はまだ呼吸が整っていない。

「ああ。どうも」

そして彼はブリーフケースを掴むと、ほとんど駆け出すようにしてドアに向かった。ドアは彼の背後でバタンと閉まり、静かな家の中に大きく響いた。

私はそのドアを見つめて立ち尽くす。脈が激しく打っている。

午前十時までには、私は自宅の書斎で仕事をするふりをしていた。コンピューターは開いているが、一言も読んでいない。ただ拓也の反応について考え続けている。私が触れた時の彼の喉の動き。あの赤い耳。彼の頭の中の声、完全に乱れていた。

一度触れただけで彼がああなるなら、もっと踏み込んだらどうなるだろう?

時間を確認する。彼は今、オフィスにいる。山崎株式会社。私は一度も行ったことがない。三年間、一度も。

今日が初めてになるかもしれない。

私は着替えるために階段を上がる。セーターとジーンズを通り過ぎ、クリーム色のラップドレスを引っ張り出す。ウエストで結ぶタイプで、見せるべきところをちゃんと見せてくれる、あのドレスを。

鏡の中の私は、プロフェッショナルに見えるけれど、間違いなく女性だ。髪は肩までゆるやかに流れ、ブラウンの瞳は落ち着いている。

口実が必要だ。これが意図的だと彼に知られてはいけない。

山崎のビルは金融街にそびえるガラスと鉄骨の建物だ。四十階建て。私はロビーのドアを押し開け、受付カウンターへと歩いていく。

カウンターの向こうの女性が瞬きした。「山崎夫人!ご予約はございますか?」

私は微笑み、家から掴んできたファイルを掲げて見せる。拓也にはもう必要のない古い契約書だ。「主人の忘れ物を届けに来ただけです」

若いアシスタントが拓也の部屋のドアをノックし、押し開ける。「山崎さん、奥様がお見えです」

拓也は巨大なデスクの向こうで、書類を前に広げている。彼は顔を上げ、眼鏡を外す。完全に驚いた顔だ。

「絵麻?」彼は素早く立ち上がる。「何かあったのか?」

『彼女がここにいる。俺のオフィスに。三年間で初めてだ。何か問題があったに違いない。彼女のお父さんのことか?彼女が病気なのか?でも、彼女は大丈夫そうだ。大丈夫どころじゃない。あのコート。ウエストがきゅっと締まっている。じろじろ見るな。彼女は仕事で来ているんだ。プロフェッショナルであれ。でも、なぜ彼女はここに?彼女は……彼女は今、離婚を切り出すつもりなのか?俺のオフィスで?ああ、神様、彼女はここでそれをやるつもりだ』

私は中に入り、背後でドアを閉める。彼が握っているペンの周りで指が固く締まるのが見えた。

「今朝、これを忘れていったわ」私はファイルを差し出す。

彼がそれを受け取ると、私たちの指が触れ合った。彼は火傷でもしたかのように手を引っこめた。

『彼女の指。なんて冷たいんだ。彼女は緊張しているのか?なぜ彼女が緊張する必要がある?まさか……いや、彼女はただ書類を届けに来ただけだ。普通のこと。プロフェッショナルなこと。でも彼女は帰らない。なぜ帰らないんだ?何か言うつもりなのか?頼むから言わないでくれ。頼むから離婚は切り出さないでくれ。俺はまだ準備ができていない。一生準備なんてできないだろう』

「忙しい?また来るわ」

私は部屋の隅にある黒い革のソファまで歩いていき、腰を下ろす。脚を組む。

拓也はただそこに立っているだけで、どこを見ていいのか完全にわからなくなっている。

『彼女があのソファに座っている。あのソファ。昨夜、俺はあのソファで、彼女が俺のデスクの上にいる夢を見た。このデスクの上に。まさにここで。クソ、考えるな!でも彼女の脚。あの脚。彼女の内太ももにあるホクロを覚えている。去年の夏、プールサイドで見た。俺は彼女の体の細部まで全て覚えている。そばかすの一つ一つ。曲線の一つ一つ。俺は変態だ。ストーカーだ。俺は基本的に頭の中で彼女にセクハラをしている。もし彼女が今俺の考えていることを知ったら、怒るのだろう』

私は彼を見る。声を柔らかく保つ。「夕食、何がいい?」

拓也は、私が別の言語を話したかのように私をじっと見つめる。私たちはお互いにこんなことを尋ねたことがない。三年間、一度も。

「君は……」彼はかろうじて言葉を絞り出している。「そんなことしなくていい……」

『なぜ彼女はこんなことを聞くんだ?これは何かのテストなのか?それとも……爆弾を落とす前に優しくしようとしているのか?処刑前の最後の晩餐みたいな?でも彼女の目。彼女はあんな目で俺を見ている。彼女を見るな。何か普通なことを言え。変な奴になるな』

私は立ち上がる。「何か作っておくわ。家に向かうときにメールして」

私は彼の横を通り過ぎてドアへ向かう。彼は石に変えられたかのように立ち尽くしている。

私は駐車場の車の中にいて、まだエンジンをかけていない。ただシートに頭を預け、全てを再生している。

『俺はあのソファで、彼女が俺のデスクの上にいる夢を見た。俺は彼女の体の細部まで全て覚えている。俺は基本的に頭の中で彼女にセクハラをしている』

顔が燃えるように熱い。羞恥心と、何か別のものが絡み合っている。興奮、かもしれない。どちらが強いのかわからない。

山崎拓也。氷のように冷徹な金融の天才。B市で最も理性的な投資家。そして彼の頭の中は私のことでいっぱい。私についての汚い考えでいっぱい。

私は携帯電話を取り出し、私たちのメッセージのスレッドを開く。ビジネスメールのような三年間分の会話。「今夜は遅くなる」「了解」。それだけ。

私は打ち込み始める。

「カレー作ったわ。冷蔵庫に入ってる。帰ったら温めて」

送信。

私は画面を見つめる。待っている。

一分。二分。五分。

携帯が震える。

「そんなことしなくてよかったのに……」

メッセージは三点リーダーがついたままそこで止まっている。彼がためらっているようだ。そして、もう一つメッセージが届く。

「ありがとう。それは……本当に嬉しい」

私はその二つのメッセージを見つめ、顔に広がる笑みを止められない。

本当に嬉しい。彼は「本当に嬉しい」という言葉を使った。

私は車を発進させ、駐車場を出る。B市の夕空は紫色に染まり、街灯が一つ、また一つと灯り始めている。

でも、私は家には向かわない。代わりに高級ショッピング街の方へハンドルを切る。

もし拓也の頭の中のあの思考が本物なら、もし彼が本当に我慢し続け、毎朝私を見つめることで本当に苦しんできたのなら、私はその苦しみをさらに悪化させる必要がある。

いくつか買うものがある。拓也の心を完全にかき乱すような、そんなものを。

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