第56章 ここにいるな

真理は石橋結翔の肩に頬を寄せたまま、まだ呼吸が整いきらない。指先が無意識に、彼の胸元へ小さな円を描いていた。

さっき、ガラス壁の向こうで目にした光景が脳裏に焼きついている。

成田文音が身を乗り出し、結翔へ顔を寄せる。ほとんど額が触れ合いそうな距離。あの女の瞳に浮かぶ恋慕は、隠す気もない。細い棘みたいに真理の胸を刺した。激痛ではない。けれど、無視できない。

自分でも分かっている。わざとだった。

わざと入ってきて、わざとキスして、わざと成田文音の目の前で『私の人』だと示した。

それでも、宣言みたいな口づけをしたところで、微かな酸っぱさはすっきり消えてはくれなかった。

石橋結翔は、彼女...

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