第1章
飛行機が、墜落していく。
警報が甲高く鳴り響き、頭上から酸素マスクが落ちてくる。周囲は乗客たちの絶叫と泣き声に包まれた。
私は手すりを強く握りしめ、指の関節が白くなる。窓の外では、雲と大地が恐ろしい速さで迫っていた。
死ぬんだ、と悟った。
高度一万メートルからの墜落。こんな状況で助かる人間などいるはずがない。
まだ二十五歳なのに。こんなに若いのに。福祉施設出身の私が大学を無事卒業し、卒業後は東京で身を立てることができた。それだけで、多くの人より幸運だったはずだ。それなのに、私の人生は始まったばかりだというのに、もう終わりを迎えようとしている。
悔しい。悔しくてたまらない。
南条硯介が手配してくれたこの航空券は、私を新しい生活へと送り出すためのものではなかったのだ。
私を、死なせるためのものだった。
つい昨日のこと。南条硯介はついに、私という正真正銘の恋人の存在を思い出した。
彼は私のところへやって来て言った。
「言え。何が欲しい?」
私は一瞬呆気に取られ、彼が何を言っているのか理解できなかった。だが、彼の袖口に、見覚えのあるカフスボタンがあるのに気づいた。
そのカフスボタンは、とあるオークションの目玉商品で、一千万円という価格で女優の月野薰が落札したものだった。それが今、彼の袖についている。
私は聡い方だ。すぐに彼の言わんとすることを理解した。
要するに、長年想い続けた人が帰ってきたから、もう身代わりは必要ない。私との関係を断ち切り、本命に忠誠を誓いたい、ということなのだろう。
どうせ私は、福祉施設で育った孤児。
どうせ私は、元から何も持っていないのだから。
私は顔を上げ、彼の目をまっすぐに見つめた。
「三千万。三千万欲しい」
「三千万?」
彼の眉がわずかに上がる。
「それだけでいいのか?」
「私はそんなに欲張りじゃないから。三年の青春、一年一千万で十分よ」
と、私は静かに言った。
彼は頷いた。
「いいだろう。だが条件がある。東京を離れろ」
予想はしていた。それでも信じられなかった。
「どうして? 東京はこんなに広いのに」
「彼女が、君と同じ街にいるのを嫌がるんだ」
南条硯介の口調には何の感情もこもっておらず、まるで天気の話でもしているかのようだった。
三千万だけではさすがに気が引けたのか、彼は自ら切り出した。
「海外の不動産を一つ付けてやろう。これで、我々は二度と会うことはない」
私は頷いた。
「わかったわ」
彼は私を見て眉をひそめ、また言った。
「アシスタントに全て手配させる」
「海外の不動産を一つ付けてやろう」
彼は続けた。
「これで、我々は二度と会うことはない」
私は答えず、ただテーブルの上のクリスタルランプに映る自分の姿を見つめていた。この家は、もとより私の家ではなかった。
「アシスタントに全て手配させる」
彼は立ち上がり、スーツを整えた。まるで今しがた、ごく普通の商談を終えただけのようだ。
「明日には発て」
あまりに急な出発だったが、私はそれでも律儀に荷物をまとめ、彼の要求通り、この飛行機に乗り込んだ。
まさか私を待っていたのが死だったなんて。
皮肉にもほどがある。
——
もう南条硯介に会うことはないと思っていたのに、目を開けると、私は南条グループ本社ビルのオフィスに立っていた。南条硯介はデスクの前に座り、真剣な眼差しでパソコンの画面を見つめている。
自分の無傷な両手を見て、はっとした。
自分の推測を確かめるため、私は彼の前に歩み寄り、その頬に触れようとした。
私の手は、空気を通り抜けるように、彼の頬をすり抜けた。
南条硯介は何の反応も見せず、仕事に没頭し続けている。
今の私は、やはりただの幽霊なのだ。
幽霊にできることなどなく、私はオフィスを歩き回り、時間をつぶすしかなかった。
このオフィスには、私の思い出が詰まりすぎている。
隅にある観葉植物は私が贈ったものだし、本棚の写真立てには、かつて私たちの写真が飾られていた。もっとも、今は会社の表彰状に変わっているが。ソファに残した引っかき傷はまだそこにあった。私はこのソファで、彼が残業を終えるのを深夜まで待っていたし、このデスクに昼食を届けたこともあった。
今では、そのすべてが過去のものだ。
オフィスのドアがノックされ、佐藤アシスタントが入ってきた。
「南条社長、子供部屋はご指示通りに準備が完了いたしました。月野様の衣類や宝飾品も全てお引き取り済みです」
佐藤アシスタントは恭しく報告した。
南条硯介は頷く。
「彼女の様子は?」
佐藤アシスタントは一瞬戸惑った。
「月野様でいらっしゃいますか? ただいま近隣のスタジオで新作映画の撮影中でして、今夜お戻りになる予定です」
南条硯介は再び軽く頷いたが、ペンを走らせる手は止まっていた。
私的な話が終わり、佐藤は業務報告を始めた。南条硯介は真剣に耳を傾け、時折仕事の細部について質問している。
幽霊となった私は、思わず彼に視線を奪われていた。
彼には見えないのをいいことに、私は彼に近づき、その姿をじっくりと観察した。
私たちの始まりは、おとぎ話のように美しいものだと、ずっと思っていた。
大学卒業後、私は一人でこの華やかな都にやって来た。そしてある偶然の社交パーティーで、南条硯介に出会ったのだ。
彼は半月かけて私を口説き、その熱心さと優しさに心を打たれた私は、すぐに恋に落ちた。
交際が深まるにつれ、南条硯介は次第に私の生活スタイルを変えていった。彼が人前に出ることを好まなかったので、私は交友関係を狭めた。彼が好むメイクをし、彼が好む服を着た。すべて、彼の好みに合わせたのだ。
次第に、東京湾に私の友人や拠り所はなくなり、生活の中心は南条硯介そのものになった。
それでも、私は気にしなかった。私にはただ、愛されたいと渇望する魂しかなかったから。だから彼が何を言おうと、喜んで従った。
彼を愛していたから。そして、彼も私を愛してくれていると、信じていたから。
月野薰に会う、その時までは。
