第4章
南条硯介の豪邸のリビングで、私は月野薫が優雅に花凛を家政婦に預け、くるりと向き直って南条硯介の腕の中に寄り添うのを眺めていた。
「花凛って本当に可愛いわよね?」
月野薫はビロードのように柔らかな声で囁いた。
「時々、この子が私たちの子だったらって思うことがあるの」
南条硯介は手を伸ばし、彼女の髪を撫でた。その手慣れた仕草に、私の胸は痛んだ。
あのような親密さは、かつては私のものだったのに。
「田中、花凛お嬢様を部屋へ連れて行って休ませてくれ」
南条硯介が執事に言った。
「かしこまりました、南条様」
執事は恭しく応じ、花凛の小さな手を引いてリビングを後にした。
花凛は振り返って月野薫を見た。その眼差しには、私には読み解けない某种かの感情が宿っていたが、すぐに執事について二階へと上がっていった。
リビングには月野薫と南条硯介、そして遊魂と化した私だけが残された。
月野薫は南条硯介の胸に身を寄せ、赤い唇を微かに開いた。
「残念だわ。あの頃、私たちは結ばれなかったものね」
月野薫と元夫の結婚は公にされなかったが、離婚の原因は広く噂されていた。
月野薫は大学二年の時、南条硯介と彼女の元夫と同時に知り合った。当時の南条硯介はまだ一族企業の当主ではなく、ただの将来有望な御曹司に過ぎなかった。一方、彼女の元夫は、家柄こそ南条硯介に劣るものの、当時ちょっとした有名監督の助手を務めており、月野薫が映画界でキャリアを築くのを手助けできる立場にあった。
月野薫は、自身の芸能活動にとってより有益な男を選んだ。彼女はかつてこの過去を私に自慢げに語ったことがある。まるでそれが人生で最も賢明な決断だったとでも言うかのように。
結婚して間もなく、月野薫は南条硯介の真の家柄を知った。彼女自身の話によれば、その時の後悔は狂わんばかりだったという。だが、プライドが南条硯介に自ら連絡することを許さなかった。
数ヶ月前、夫の浮気を知った月野薫は、すぐさま機会を見つけ、南条硯介の前に再び姿を現した。
彼女がどんな手を使ったのかは知らないが、明らかに成功したようだ。
「花凛のこと、受け入れてくれるわよね?」
月野薫の声が私の回想を遮った。
南条硯介は頷いた。
「当然だ」
「花凛を産んだ時、体に無理がたたって、この先は……」
月野薫の声は探るようだったが、その瞳は南条硯介の反応をじっと見つめていた。
「構わない」
南条硯介の返事は短く、直接的だった。
月野薫の口元に笑みが浮かんだが、すぐにそれを収めた。
「もし、あなたのあの小さな身代わりが子供を身ごもっていたら、それでもあなたはあっさりと彼女を追い出したかしら?」
私の心臓が、ぐっと締め付けられた。考えたこともない問いだったが、月野薫に突きつけられ、息ができなくなる。
南条硯介の表情が瞬時に冷え切った。
「俺はそういう仮定の話はしない」
「ただの仮定じゃない」
月野薫はくすりと笑い、南条硯介のスーツの襟元を指でなぞった。
「そんなに緊張しなくてもいいのに」
「二度と彼女の話はするな」
南条硯介の声には、有無を言わせぬ響きがあった。
「もういなくなったのに、まだ不満なの?」
南条硯介の言葉には、私が今まで聞いたことのない疲労の色が滲んでいた。
月野薫は南条硯介の反応に満足したようで、彼の唇の端に軽くキスをした。
「ただ、あなたの心が完全に私のものだって、確かめたかっただけよ」
私は視線を逸らし、これ以上その親密な光景を見るに堪えなかった。
しかし、記憶は制御できずにあの夜——南条硯介と月野薫の婚約パーティーの夜へと引き戻される。
それが、私がどうしてもここを去らねばならなくなった引き金だったのかもしれない。
南条硯介は私のことを思い出していなかったが、月野薫はわざわざ私に招待状を送り、出席するよう求めてきた。
彼女の言い分は、実に面白かった。
『ずっと彼のそばにいたんだもの、彼の幸せを見届けるのも、始まりがあれば終わりもあるってことでしょう』
だから、私は行った。
パーティーでは、花凛がなぜか私の隣に座るよう手配されていた。彼女は幼い声で私を「お姉ちゃん」と呼び、料理を取ってほしいとねだった。
私たちはとても楽しく過ごしていた。彼女が突然転び、割れたグラスで手を切るまでは。
「この人が私を押したの!」
花凛は私を指さし、涙が小さな頬を伝って流れ落ちた。
すべての招待客の注視の中、南条硯介はついに私に気づいた。彼は問答無用で、私の頬を平手打ちした。
「お前にも、最低限の良心くらいは残っていると思っていたがな」
彼の声は、かつて三年も愛し合った相手にかける言葉とは思えないほど冷え切っていた。
じんじんと熱を持つ頬を押さえ、私は目の前で起きたことが信じられなかった。
月野薫が私のそばに歩み寄り、耳元で囁いた。
「最初から、あなたを呼ばなければよかったわ」
月野薫の声が、私の回想を断ち切った。
「硯介、今夜は……」
彼女の指が南条硯介のネクタイを解き始めた。しかし、その時、南条硯介の携帯が鳴った。
南条硯介は電話に出た。
「南条だ」
電話の向こうの声は小さかったが、遊魂の私にははっきりと聞こえた。
『南条様、椿知音様という方をご存知でしょうか?』
南条硯介が答えるより先に、月野薫が電話をひったくった。
「存じません。間違い電話です」
彼女はきっぱりと電話を切り、素早くその番号を着信拒否し、携帯の電源を落とした。
「どうでもいいことは放っておいて」
月野薫は甘えるように言った。
「今夜は私と一緒にいて」
南条硯介は電源を落とされた携帯を一瞥し、眉をひそめたが、最終的には頷いた。
——
私は南条硯介の家に、半ば強制的に何日も留まることになった。
月野薫の新作映画が公開され、彼女が南条硯介に一緒に観に行こうとせがむまで、私は南条家から出ることができなかった。
映画館で、月野薫はスクリーンに映る自分に夢中だったが、南条硯介は心ここにあらずといった様子で、時折俯いて携帯を眺めていた。
「どうしたの?」
月野薫は彼の上の空に気づいた。
「いや、佐藤からメッセージだ」
南条硯介は短く答えた。
私は彼らの後ろの通路に立ち、佐藤秘書から送られてきたメッセージを目にした。
『南条様、例のフライトに関するトレンドがネットに上がっていますが、処理しますか?』
南条硯介は返信せず、ただ携帯をポケットに戻し、再びスクリーンに視線を向けた。
突然、彼の体が微かにこわばった。
彼の視線を追うと、スクリーンではあるシーンが流れていた——愛し合う二人が桜の木の下で別れを告げ、来世での再会を誓う場面だ。
かつて、彼を最も愛していた頃、私も桜の木を指さして言ったことがある。もし来世があるなら、必ずあなたを見つけて、もう一度会うと。
軽々しく口にするべきではなかったのかもしれない。今、私は死んで、本当に彼のそばに縛り付けられている。来世など、もうあるのかどうかも分からない。
南条硯介は勢いよく立ち上がり、月野薫の訝しげな視線をものともせず、大股で上映ホールを出て行った。
彼は映画館の外の喫煙所で一本の煙草に火をつけ、それから二本目、三本目と……やがて地面が吸い殻で埋め尽くされた。
月野薫もついに、不機嫌な顔で出てきた。
「帰りましょう」
彼女は冷たく言った。
「花凛が熱を出したって、さっき家政婦から電話があったの」
南条硯介は即座にすべての感情をしまい込み、頷いた。
「直接病院へ行こう」
病院で、南条硯介は自ら花凛を抱いて受付を済ませ、診察に付き添い、終始月野薫に気を遣わせることはなかった。
泣きじゃくる花凛をようやくあやし終え、彼はやっと一息ついて、外へ空気を吸いに出た。
