第3章
翌朝、慎太郎はいつもより早く起きていた。
私はまだ眠っているふりをして、半開きの目から彼のことを見ていた。
ドレッサーの前でネクタイを整えているが、その手つきはいつもより丁寧だ。今日着ているのは、私が去年買ってあげた紺色のスーツで、おまけにコロンまでつけている。
その一つ一つが、今日彼が星奈に会いに行くのだと、私に告げていた。
「芽衣、今日は少し遅くなるかもしれない」
私がまだ寝ていると思い込んでいるのか、彼は小声で言った。
「会社で投資家との会議があるんだ」
投資家? 私は心の中で冷笑した。おそらく、愛人とどうやって金策に走るか相談するのだろう。
彼が出て行った後、私はすぐに起き上がり、タクシーを拾って彼の後を追った。
案の定、彼は会社へは向かわず、都心の高級住宅街へと車を走らせた。私は安全な距離を保ちながら、彼の車がデザイナーズマンションの下に停まるのを見つめる。
渡辺星奈が上から降りてきた。シルクのガウンを羽織り、髪はまだ寝起きのまま乱れている。
彼女がここに住んでいる? このマンションは知っている。家賃は最低でも月30万円はするはずだ。
彼女の収入では、到底借りられる場所ではない。
私はスマートフォンを取り出して録画を始めた。胸に不吉な予感がこみ上げてくる。
慎太郎が車から降りると、渡辺星奈はすぐに彼の胸に飛び込んで甘えた声を出す。
「昨日の夜、あなたに会いたくて眠れなかったの~」
「俺もだよ」
慎太郎は彼女の背中を優しく撫でる。
「家賃の件は片付いたか?」
「うん、銀行で自動振替の設定が済んだから、毎月25日にちゃんと振り込まれるって」
渡辺星奈は甘く微笑んだ。
「こんなに素敵な部屋を借りてくれてありがとう」
私の手が震え始めた。
慎太郎が、私たちの共有口座を使って彼女に部屋を借りている? その口座には私の貯金も、私のお店の収入も入っているのに。
「それと、あのダイヤの指輪、昨日見に行ったんだけど、本当に綺麗だった」
渡辺星奈は続ける。
「三百万円は、さすがにちょっと高いかな……」
「高くないさ。君には一番いいものが相応しい」
慎太郎は優しく彼女の額にキスをした。
「来月、資金繰りがついたら買いに行くから」
三百万円のダイヤの指輪? 彼にそんな大金がどこにあるというの?
まさか……まさか、私たちが家を買うために貯めていたお金に手を出したのでは。
それは私たちが結婚して三年、少しずつ貯めてきたお金。総額一千万円以上。来年には新しい家を買って、新しい生活を始めようって、二人で約束したはずだった。
三年前、慎太郎にプロポーズされた時のことを思い出す。
あの頃の彼は会社を辞めて起業したばかりで、無一文だった。指輪を買う余裕すらなかった。
彼は恥ずかしそうに私の手を握りながら言った。
「芽衣、今の俺には何もないけど、必ず君に最高の生活をさせてみせる。一緒に貯金して、一緒に頑張って、一つずつ夢を叶えていこう」
私はその時、感動して泣きじゃくり、彼に抱きついて言った。
「何でもある人なんていらない。あなたがいればいい。ゼロから一緒に始めよう、私たちだけの幸せを一緒に作っていこう」
あの時の言葉は、一体誰に聞かせたかったのだろう。
実に滑稽だ。
芝居は徹底的に。私は本当に母の様子を見に行き、家に帰ると、慎太郎はすでにリビングでテレビを見ていた。
「お母さんの具合、どうだった?」
彼は立ち上がって私を迎え、いつものように気遣うそぶりを見せる。
私は笑みを絞り出し、直接は答えずに尋ねた。
「今日の仕事は順調だった?」
「まあまあかな。でも、結構疲れたよ」
慎太郎は一つ伸びをする。
「プロジェクトでちょっと資金の問題が出てきてな」
資金の問題? 心の中で警報が鳴り響くが、表面上は穏やかさを保った。
「深刻なの?」
「そこまで深刻ってわけじゃないけど、もう少し資金を投入する必要があるかもしれない」
慎太郎は少し躊躇いがちに私を見つめる。
「芽衣、相談があるんだ」
来た。私は心の中でせせら笑いながらも、顔には心配を浮かべてみせる。
「何?」
「会社に追加で投資が必要なんだ。三百万円くらい」
彼は一息置いてから言った。
「俺たちの、家を買うための貯金を使いたいんだ」
三百万円。ちょうどあの指輪の値段だ。
私は困ったふりをして見せる。
「三百万円……それ、私たちがずっと貯めてきたお金じゃない」
「無理を言ってるのは分かってる。でも、このプロジェクトは本当に大事なんだ」
慎太郎は私の手を握り、その目に懇願の色を浮かべた。
「芽衣、俺を支えてくれないか? 今までみたいに」
今までみたいに? 思わず噴き出しそうになった。
二年前、彼の最初の起業が困難に陥った時も、彼はこうして私の手を握って言った。
「芽衣、君の支えが必要なんだ」
あの時、私は迷わず自分の貯金をすべて差し出し、こう言った。
「私たちは夫婦よ。あなたの夢は、私の夢でもあるんだから」
今、同じ言葉が、別の女に指輪を買うために使われている。
私はしばらく黙り込み、そして溜め息をついた。
「慎太郎、もちろんあなたを支えたいわ。でも……今日、お母さんのところへ行ったら、検査の結果があまり良くないって。もしかしたら手術が必要かもしれないの」
慎太郎の顔色が変わった。
「どうしたんだ? 重いのか?」
「先生が言うには、心臓の問題みたい。手術費とその後の治療費で、二百万か三百万は必要になるかもしれないって」
私は俯いた。
「だから、お金のほうは……」
「分かった、分かったよ」
慎太郎はすぐに手を離した。
「お義母さんの体が一番大事だ。俺は他の方法を考えてみる」
他の方法? おそらく、闇金に手を出すか、他の女に金を無心するのだろう。
慎太郎は立ち上がって私の後ろに回り、そっと肩を撫でた。
「芽衣、ごめん。俺の配慮が足りなかった。こんな時に金の話なんてして」
「いいのよ。あなたも大変なのは分かってるから」
私は彼の手を軽く叩いた。
慎太郎は私の耳元で囁く。
「芽衣、愛してる。本当に、心から愛してる。どんな時も、君が俺にとって一番大切な人だ」
その瞬間、私は危うく笑い声を上げてしまうところだった。
私を愛してる?
もし私を愛しているなら、どうして私に隠れて他の女に部屋を借りてやれるの? もし私を愛しているなら、どうして私たちの貯金で愛人に指輪を買おうとするの? もし私を愛しているなら、どうして掲示板で他の誰かと私の愚かさを嘲笑えるの?
その「愛してる」は、罪悪感を隠すための、ただの言い訳に過ぎない。
「疲れたでしょう。早く休んで」
私は振り向かず、直接の返事を避けた。
慎太郎は私の冷淡さに気づかなかったのか、言葉を続ける。
「お義母さんが良くなったら、また俺たちの将来を計画し直そう。必ず君にもっといい生活をさせてみせるから」
もっといい生活? それは、別の女と送るもっといい生活のことでしょう。
彼の心の中には、ずっと別の女がいたのだ。
「うん、先にお風呂に入って」
私は静かに言った。
慎太郎は私の頭のてっぺんにキスをした。
「考えすぎるなよ。全部うまくいくから」
シャワーの音が聞こえ始めた後、私はソファに座り、目の前のテーブルに置かれた結婚写真を見つめた。
写真の中の私たちは、あんなにも晴れやかに、あんなにも純真に笑っていた。
あの頃、彼が私を愛していると言った時、私はそれを信じた。
今、彼が私を愛していると言っても、吐き気しかしない。
そして私の憎しみは、永遠に続くことができる。
