第3章
瀬川葵視点
午前七時。私は主寝室のバスルームのドアの前に立ち、中から聞こえるシャワーの音を聞きながら、怒りで爆発寸前だった。
あの黒木悠奏が、もう四十分もあの中に籠っているのだ!
私はドアを叩きつけた。
「ちょっと!あんた、一生そこに住むつもり!?」
「焦るなよ、お姫様」
中から聞こえてきた彼の声は、からかいの色をたっぷり含んでいた。
「良いものは待つ価値があるって言うだろ」
「遅刻しちゃうでしょ!」
私はドアを叩き続ける。
「一体何やってんのよ!」
「髭剃りだよ」と彼はのんびり返す。「我慢ってものを教えてやろうか?」
もう、たくさんだ。
私はドアを蹴り開けて、中に踏み込んだ。
湯気の立ち込めるバスルームで、黒木悠奏は巨大な鏡の前に立っていた。顎にはまだシェービングクリームが残り、手にはカミソリ。穿いているのはジーンズだけで、朝日を浴びて筋肉のラインがくっきりと浮かび上がっている。
彼は鏡越しに私を見て、一瞬驚きの色を目に浮かべた後、例の忌々しい悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「何をそんなに急いでるんだ?」
彼は痛々しいほどゆっくりとした動きで、髭剃りを再開する。
「時間はたっぷりある」
「あんただからそんなこと言えるんでしょ!」
私は洗面台に歩み寄り、歯を磨き始めた。
「あんたは学園バスに乗る必要がないんだから!」
「学園バス?」
彼は手を止め、こちらを振り返った。
「君、バスで通ってるのか?」
「何か文句ある?」
私は歯磨き粉の泡でいっぱいの口のまま、彼を睨みつけた。
彼は数秒間じっと見つめた後、首を振って髭剃りに戻った。
「いや、別に。ただ……」
「ただ何よ?」
「何でもない」
私たちは鏡の前に並んで立った。その近さで、彼がいかに背が高く、がっしりしているかを思い知らされる。彼の匂いがした――ミントのシェービングクリームと、高級なコロンが混じった香り。
ちくしょう、なんでこんなにいい匂いがするんだ。
「次からはもっと早く起きなさいよ」
私は口をすすぎ、わざと彼に体をぶつけた。
シェービングクリームが私の制服に飛び散った。
「悪い」
彼の口調は全く悪びれていなかった。
「君もノックを覚えた方がいいんじゃないか?」
「あんたこそ、バスルームを共有することを覚えるべきね」
私は言い返した。
鏡越しに視線が絡み合う。空気がバチバチと電気的な緊張を帯びた。
そして私は、一度も振り返らずにその場を去った。
でも、彼の視線が私を追っているのを感じていた。
ー
学校で、私は黒木悠奏が奇妙なことを始めたのに気づいた――私を見ているのだ。あからさまな凝視ではなく、遠くからの静かな観察。
私が転んだ下級生を助けた時も、先生の質問に流暢で答えた時も、いつもその遠い視線を感じた。彼は何かを再評価しているようで、最初の侮蔑と敵意に、微かな変化が見られた。
そのせいで私はもっと警戒心を強めた――もしかしたら、もっと大きな復讐を計画しているのかもしれない。
放課後、私はまっすぐ家には帰らなかった。
ここ数日で溜まったプレッシャーを発散させる必要があったし、その一番の方法がバスケだと知っていた。
バスに乗って街のストリートバスケのコートへ向かった。西坪私立高校のような立派な設備はないが、私にはそれで十分だった。地元の子供たちが数人プレーしていて、私を見ると興味深そうな顔をした。
「よう、姉ちゃんもやるかい?」
十四歳くらいの少年が声をかけてきた。
「ええ、もちろん」
私は制服のジャケットを脱ぎ、髪を後ろで結んだ。
それから一時間、私は完全に自分を解き放った。
ストバスは学校のバスケとは違う。もっと荒々しくて、直接的で、リアルだ。私はT市で学んだスキルを使い、ディフェンダーをドリブルで抜き去り、シュートを決めまくった。子供たちは最初こそ私を甘く見ていたが、すぐに私のテクニックに圧倒されていた。
「すげえな、姉ちゃん!どこでそんなプレー覚えたんだ?」と、さっきの少年が感嘆の声を上げた。
「T市よ」
私は額の汗を拭った。
「あそこじゃ、お遊びはしないから」
その時、誰かに見られているのを感じた。
振り返ると、金網のフェンスに黒木悠奏が寄りかかっていた。見たことのない表情を浮かべて――あれは……感心している?
いつからここに?まさか、つけてきたの?
「見物はもう終わり?」
私はわざと挑発するように、彼に向かって叫んだ。
彼はゲートを押してコートに入ってきた。今日はカジュアルなTシャツとジーンズ姿で、洗練された金持ちの坊ちゃんという感じは薄れていた。
「腕は確かだな」と彼が言った。
「T市で覚えたのか?」
「それが何か?」
私はボールをスピンさせ、指先の上で回転させた。
「別に」
彼は地面から別のボールを拾い上げた。
「だが気になるな――ガキいじめはともかく、本物の相手に挑む度胸はあるのかってことだ」
周りの子供たちから「おぉー」という声が上がる。
私はボールの回転を止め、目を細めて彼を睨んだ。
「私に挑戦するっていうの?」
「なんだ、悪いか?」
黒木悠奏はドリブルを始めた。その動きは教科書通りに完璧だ。
「タイマンだ、先に十点とったモンが勝ちだ」
「準備はいいわけ、お坊ちゃん?」
私はボールを受け取ると、彼の目の前で派手なビハインド・ザ・バックのドリブルを見せつけた。
「あんたが金持ちの坊ちゃんだからって、手加減はしないわよ」
「こっちもな」
彼の目に闘志が宿った。
私たちはスリーポイントラインに立ち、開始の合図を待った。
「レディファーストだ」
黒木悠奏が紳士的な仕草をする。
「どうも」
私は鼻で笑った。
「でも、あんたの情けなんていらないわ」
勝負開始。
最初に仕掛けたのは黒木悠奏だった。彼はそれなりの技術的基礎はあったが、定石の動きに頼りすぎていた。私は簡単に彼のシュートを防ぎ、リバウンドを掴んだ。
「私の番ね」
私はスリーポイントラインまでドリブルする。
「私の実力、見せてあげる」
フェイクを入れると、黒木悠奏はまんまと引っかかった。私は素早く彼を抜き去り、空中でスピンレイアップを決める。ボールがネットを揺らした。
「1対0」
私は手を叩いた。
「もっとゆっくりやってあげようか?」
黒木悠奏の表情が険しくなったが、彼は諦めなかった。その後の数プレイは、互いにゴールを決め、スコアは交互に動いた。
しかし、すぐに私のストバスのスキルが試合を支配し始めた。ヘジテーション・ドリブルで彼を揺さぶり、ポンプフェイクからのドライブで惑わせ、オフボールの動きで彼を置き去りにした。
「6対3」
私は息を切らし、額から汗が滴り落ちる。
「どうする?まだ続ける?」
黒木悠奏は汗を拭い、その目は決意に燃えていた。
「まだ終わりじゃない」
「ならかかってきなさい!」
相手を嘲るように、顎をしゃくってみせた。
「その黒木の血筋がどれだけ純粋なものか、見せてみなさいよ!」
「調子に乗るなよ、田舎育ちが!」
「田舎育ちにコテンパンにされる気分はどう?」
私はバックビハインドのクロスオーバーをしながら笑った。
「まだ負けてない!」
「そりゃ試合が終わってないからでしょ!」
私たちのトラッシュトークはエスカレートし、動きも大振りになっていく。そして私がとどめの一撃を決めようとした、その時――
「すみません」
女性の声が、私たちの言い争いを遮った。
黒木悠奏と私は同時に動きを止め、声のした方を見た。そこには、アスレチックウェアを着てクリップボードを持った、四十代くらいのアメリカ系ハーフの女性が立っていた。
「お楽しみの……試合の邪魔をしてごめんなさいね」
彼女は微笑んだ。
「私は木村。西坪私立高校の女子バスケ部のコーチよ」
私は凍りついた。
「こんにちは、コーチ」
「あなたが瀬川葵さん?」
彼女は歩み寄ってきた。
「あなたのプレー、ずっと見ていたわ――素晴らしいスキルね」
自分の耳が信じられなかった。
「本当ですか?」
「ええ、もちろん。こんな才能は見たことがないわ」
彼女は黒木悠奏にちらりと視線を送り、そして私に向き直った。
「ストバス仕込みの即興性、確かな基礎技術、そしてあの諦めない精神――それこそが、うちのチームに必要なものなの」
心臓が激しく鼓動し始めた。これは私がずっと夢見てきたチャンス――代表チームに入り、自分を証明し、大学の奨学金への第一歩を踏み出すための。
「私……ぜひ、お願いします」
「素晴らしいわ。明日の午後三時、体育館に来てトライアウトを受けてちょうだい」
木村コーチは微笑んだ。
「あなたがうちの秘密兵器になる予感がするわ」
彼女が去った後も、私は興奮で体が火照っていた。
「おめでとう」と黒木悠奏が言った。その口調にはからかいの色はなく――ただ、誠実さだけがあった。
私は彼を見て、急に混乱した。
「……ありがとう」
「君、本当にすごいな」
彼は私にボールを手渡した。
「俺の負けだ」
「負けを認めるの?」
私は驚いた。
「事実は事実だ」
彼は肩をすくめた。
「T市じゃ、こういうのを何て言うんだ?準備運動か?」
私は思わず笑ってしまった。
「ええ、準備運動よ」
昨日、私を潰そうとしていた黒木悠奏と、この人は本当に同一人物なのだろうか。








