第2章 バカすぎる!

池田花依は、まるで服を引きはがされたみたいに真っ青になった。

けれど頭の回転は速い。すぐに泣きそうな顔を作り、震える声で訴える。

「パパ、ママ……私が言ってるのはお姉ちゃんのことじゃないの。私、あなたたちが大好き。いつだって私の味方してくれて……! でも養父母の家では、殴られて怒鳴られて、いじめられて……誰にも愛されたことなんてなかった……」

そう言うなり、池田夫婦に飛びついて抱きついた。

「パパとママが私を見つけてくれて、本当に嬉しい! 私、やっと……パパとママに愛される子になれたの!」

「私が悪かった……でも、失うのが怖かったの。お願い、捨てないで。あそこへ戻さないで……お願い……!」

「私、お姉ちゃんみたいにはなれない……」

泣き崩れる花依に、池田奥さんと池田健永は胸を痛めた。三人はきつく抱き合う。

「かわいそうな子……パパもママも分かってる。悪いのは私たちよ、あなたを失くしてしまって」

「つらい思いをさせたな……」

感動的な光景に、客たちは拍手まで送った。

――よくもまあ、演じる。

池田暁月は冷えた目でその家族を見つめたまま、荷物を提げて門をくぐる。

水原廷悟の脇を通り過ぎた瞬間、男は陰湿な目で吐き捨てた。

「見損なった。花依の席を長年奪っておいて反省もなし、挙げ句あいつを潰そうとするなんてな。俺が結婚する相手がお前じゃなくて、本当に良かったよ!」

池田暁月は廷悟を見て、言葉に詰まったような顔をした。数秒考え、淡々と返す。

「うん。ゴミとゴミなら、相性いいんじゃない」

「お前――!」

「言い忘れてた」

暁月は男の肩をぽん、と軽く叩き、涼しく笑う。

「この前うっかり、あんたのパソコンに入っちゃってさ。何を見たと思う? 本当に……間抜け」

水原廷悟の顔から血の気が引いた。

世界最高峰のハッカーに防御を頼んだはずだ。池田暁月に破れるわけがない。――脅しだ、嘘に決まってる。あのクズめ。

池田暁月がリュックを背負って門を出ると、池田家の前に一台の古びたトラクターが止まっていた。

泥だらけ。片方のライトは割れ、前はぶつけたのかへこんでいる。赤い塗装も剥げ、あちこち金属がのぞいていた。

ひと言で言えば――目も当てられない有様。

運転席から降りてきた男が、みじめなくらい必死な顔で、それでも嬉しそうに飛び下りる。

「暁月! 俺は亜蘭だ、兄さんだ!」

宮本亜蘭は近づき、少女の顔を見て思わず息を呑んだ。――母の若い頃と、瓜二つ。

いや、暁月のほうがさらに艶やかで、人目を奪う。

彼はしわくちゃのスーツを整え、まじめに頭を下げた。

「さっきまで現場にいてさ。途中で車が故障して……迎えが遅れるのが怖くて、急きょ借りたんだ」

本当は、両親が「昔の田舎暮らしが懐かしい」と言い出し、工事現場の視察中だった彼を呼び戻して、トラクターで追憶ドライブをさせていた――などとは言えない。

けれど、その最中に妹の情報が入った。家族は大騒ぎだ。車を替える時間すらなく、両親にせっつかれて、彼はこのまま迎えに来たのだった。

池田暁月はゆっくり頷く。驚きはしない。実の両親の事情は、池田夫婦の口からすでに聞かされていたからだ。

ただ――。

暁月は面白がるように宮本亜蘭を見た。

手首に光っているのは、世界に一本しかない特注の腕時計。値段は、億を軽く超える。

池田暁月は唇の端をわずかに上げた。

金に執着はない。けれど、実家には少し興味が湧いた。

妹が何も言わないので、亜蘭は心が読めず、鼻をさすって付け足す。

「本当は両親も来るつもりだったんだけど、この車で……ええと、座れなくて。家で待ってる。歓迎の準備してさ」

確かに、このトラクターでは二人が限界だ。

「荷物持つよ。すぐ帰ろう」

亜蘭は勢いよくスーツケースを受け取ったが、あまりの小ささに首を傾げた。

「……これだけ?」

暁月が頷く。

荷台へ放り込んだ次の瞬間、ガンッと嫌な音がして座席が壊れた。

その場面を、ちょうど外へ出てきた池田家の連中が目撃する。

池田花依は胸の内で踊り狂った。

調べた通りだ。まともな車すらない。迎えに来たのはトラクター、それもボロボロ。――最高。池田暁月はこうでなくちゃ。

池田奥さんも、予想以上の「貧しさ」に口元を歪める。迎えの男は泥まみれで髪も乱れている。どこかで荷でも運んでいたのだろう。

ふん。車もぶつけてるし、帰りに弁償でもするんじゃない?

池田健永も何とも言えない顔だ。工事現場の人間がスーツ? 泥臭いくせに見栄だけは一丁前――そう言いたげだった。

宮本亜蘭は座席をちょいと直し、振り返って暁月を呼ぼうとして池田家の面々に気づいた。

彼はさっとスーツを整え、ポケットからカードを三枚取り出して差し出す。

「妹を育ててくださったご家族ですよね。急で来たもので贈り物を用意できず……こちらを受け取ってください。今後――」

「結構です」

池田奥さんが傲慢に遮る。

「池田暁月を連れて帰ってくださる。それが何よりのお返しですわ」

それ以上話す気もないと言わんばかりに踵を返し、屋敷へ戻っていった。

「廷悟兄さん、客が待ってる。挨拶回りしなきゃ」

池田花依は勝ち誇った視線で暁月を一瞥し、水原廷悟と並んで中へ入っていく。

廷悟も露骨に見下した手振りをして去った。

残った池田健永が気まずそうに立ち尽くす。

「暁月、さっきのことは……このカード、受け取ってくれ。私のせめてもの――」

先ほどのカードだ。

池田暁月はまた首を振った。

宮本亜蘭が口を開く。

「妹を育ててくださったことには感謝しています。だからそのカードは不要です。ただ、こちらの三枚は――」

「これで貸し借りなしだ」

池田健永は早々に見切りをつけた様子で、立ち去るよう促した。

三枚だろうが五枚だろうが、合計しても大した額にはならない。臨市一の富豪である自分の食事代にもならない――そんな顔だった。

宮本亜蘭は苦笑し、カードを引っ込める。

一枚は、60億元相当。

一枚は、最高位のブラックカード。

もう一枚は、権勢そのものを証明する身分カード。世界でも50枚とない。王室ですら持たない、文字通り世界を通るための通行証だ。制限はあるとはいえ、池田家が国内でのし上がるには十分すぎる。

……惜しい。

宮本亜蘭は池田家の背中を見送り、眉をひそめた。

妹――ここで、大事にされていなかったのか?

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