第1章
診察室は、いつもより狭く感じられた。白い壁。消毒液の匂い。午後の陽光がブラインドの隙間から差し込み、診察台の上を照らしている。
私はそこに座り、婚約指輪をいじっていた。何度も何度も、指の上でそれを回しながら。
ただの定期検診。心配することなんて何もない。
山崎先生がノックをして入ってきた。いつもの、あの礼儀正しい笑顔を浮かべて。手にはクリップボード。表情は真剣だが、温かみがあった。
「中島さん、おめでとうございます。妊娠されています。六週目くらいですね」
その言葉は、物理的な一撃のように私を打ちのめした。部屋がぐらりと傾く。
え?今、なんて……?手が震え始めた。
「そんなはず、ありません」私の声は囁きのようになった。「一度も……その、まだ処女なんです」
六週間?ありえない。
婚約指輪が、指を焼くように熱く感じられた。
山崎先生はわずかに眉を上げた。「検査結果は非常に明確です。ご主人と、一度お話しされてはいかがでしょうか」
痺れた指からクリップボードが滑り落ち、床にがちゃんと音を立てた。
こんなの嘘。こんなこと、起こるはずがない。
「何かの間違いです」私は言った。だが、検査結果は私を見返していた。白黒の文字で。否定しようもなく。
どうして?どうしてこんなことがありえるの?
キャンパスが、なぜか違って見えた。同じ石畳の道。同じ、黄金色の葉を落とすカエデの木々。中庭のベンチには、教科書やノートパソコンを広げた学生たちが三々五々座っている。
なのに、すべてが異質なものに感じられた。
私は目的もなく歩いた。自分が犯した覚えのない犯罪の証拠であるかのように、検査結果を握りしめて。
坂井瑛太と付き合って五年。手を繋ぎ、キスを交わしたことはあっても、決して……。
記憶の中で、私たちの会話が再生される。瑛太の、礼儀正しい笑顔。「麻央の選択を尊重するよ。結婚するまで待とう」
彼はいつも、あんなに理解があって、忍耐強かった。
気づけば図書館の前にいて、二年生の時に初めてまともに話した、外の木製ベンチに腰を下ろしていた。
婚約パーティーは来月。一度も関係を持っていないのに、妊娠したなんて、どうやって彼に伝えればいいの?
学生たちが笑いながら通り過ぎていく。普通の人たち。普通の悩みを抱えた人たち。生物学の法則を無視した、ありえない妊娠なんかじゃない。
「浮気したって思われる」私は誰もいない空間に向かって囁いた。「何もかも、取り消されちゃう」
五年という月日が水の泡になる。私たちの未来すべてが、壊されてしまう。
指にはめられた指輪が、鉛のように重く感じられた。
大学の生協の中にあるカフェコーナーは、夜の活気に満ちていた。温かい黄色の照明。ノートパソコンに向かって背を丸める学生たち。エスプレッソと会話の匂い。
瑛太には、ここで会うようにとメッセージを送っておいた。彼の顔を見る必要があった。真実を明かさずに、彼の反応を試したかった。
彼は向かいの席に滑り込んできた。一年生の時に私の心を掴んだ、あの見慣れた笑顔で。
「やあ、麻央。メッセージ、なんだか辛そうだったけど」
彼に言うべき?どうやって切り出せば……?
「期末試験のことで、ちょっとストレスが溜まってるだけ」私は代わりにそう言った。「それと、来月の婚約パーティーのこともあって」
瑛太はテーブル越しに手を伸ばしてきた。温かくて、慣れ親しんだ感触で私の手を握る。「麻央、最近疲れてるみたいだね。医者に行ってみたらどうかな?」
医者?どうして彼がそんなことを言い出すの?
彼の口調の何かが、私を立ち止まらせた。あまりにさりげなくて。あまりに準備が良すぎる。まるで、私がこの話を持ち出す前から、彼が考えていたみたいに。
「大丈夫だよ」私は彼の顔を観察しながら、慎重に言った。「いつもの、大学のストレスだから」
「本当に?」彼は私の手を握りしめた。「なんだか……様子が違うよ。上の空だし。昨日の夕食も、ほとんど手をつけてなかったじゃないか」
「パーティーのことは心配しないで」彼は続けた。「もう全部手配済みだから。会場も、ケータリングも、招待客リストも。自分の体を大事にすることだけ考えて」
私は彼の顔を、もっと注意深く見つめた。
「そうかもね」私は様子を窺うように、ゆっくりと言った。「医者に行くっていうのも」
彼の笑みが、ほんのわずかに深くなった。安堵?それとも満足?「良かった。麻央には、健康で幸せでいてほしいんだ。君は、俺の世界で一番大切な人だから」
でも、何かがおかしかった。彼がそう言う時、その目が私と合っていない、その何かが。
温かいコーヒーコーナーから戻ると、私の寮の部屋は独房のように感じられた。隣の部屋では、藤本美咲がもう眠っている。
私は天井を見つめたまま横たわっていた。月明かりがカーテンを通して、模様を描いている。
何か説明がつくはず。人間が、何もないところから妊娠するなんてことはない。
頭の中で、ここ数ヶ月の出来事が駆け巡る。何度もあったパーティー。大きな音楽。瑛太が持ってきてくれた、あの飲み物。
その後はいつも、ひどく目眩がした。頭に霧がかかったみたいに。まるで糖蜜の中を泳いでいるような感覚。
でも、瑛太はいつもそこにいた。いつも私を見守ってくれていた。いつも、私が無事に部屋に戻れるようにしてくれていた。
考えれば考えるほど、奇妙に思えてきた。パーティーでの彼の、あの過保護なまでの態度。私が飲み物を持っていると、いつも近くをうろついていたこと。他の男が話しかけようとすると、どこからともなく現れたこと。
「彼女はもう十分飲んだから」彼は、あの魅力的な笑顔でそう言うのだ。「俺が部屋まで送っていくよ」
記憶が飛んでしまった、あの時間。翌朝、パーティーに着ていた服のまま自分のベッドで目覚め、どうやって帰ってきたのか全く覚えていない、あの空白の時間。
私はベッドの上で身を起こした。心臓が激しく脈打っている。
もしかして、瑛太は全部知ってるんじゃないの?もしかして、彼は今までずっと、私に嘘をついていたんじゃ……?
ナイトスタンドの上には、検査結果が置いてある。私が覚えていない、ありえるはずのない何かの、証拠が。
「本当に何があったのか、突き止めなきゃ」私は暗闇に向かって囁いた。「すべてを失う前に」
明日から、調査を始める。明日、真実を見つけ出す。
たとえそれが、私の知っていた人生のすべてを破壊することになったとしても。
婚約指輪が、カーテンの隙間から差し込む月光を捉えて光った。約束と信頼、そして未来の象徴。それが今や、突然、流砂の上に築かれたもののように感じられた。
でも、もしこれが全部嘘だったら?もしこの歳月が、一つの長い、手の込んだ芝居で、私はそれを見る目もなかったのだとしたら?





