第1章
ハンドバッグのストラップを握りしめ、目の前にそびえる巨大なガラス張りのビルを見上げた。篠原テック。頭の中でその名前を何度も繰り返す。
まさか、私が本当にここで働くことになるなんて。
情けない預金残高と、まだ残っている奨学金の返済のことを考えると、胃がキリキリと痛んだ。でも、選んでいる余裕なんてない――この仕事が必要だった。本当に、どうしても。
エレベーターが三十階で開き、足を踏み入れた先は、どう見ても偉い人のオフィスエリアだった。何もかもが高価そうに見える。モダンな家具、青海市を一望できる大きな窓、完璧な仕事場だ。
ブレザーを直し、自分に喝を入れる。『がんばって、美咲。ただのアシスタントの仕事じゃない。あなたならできる』
その時、オフィスのドアが開いた。
本当に、時が止まったかと思った。
出てきた男性は、ありえないくらい整った顔立ちをしていた。輝くような青い瞳、完璧な顎のライン、雑誌で見るような顔。彼の黒髪はまるでサロンから出てきたばかりのようで、着ているスーツはおそらく私の家賃より高いだろう。
私はただ、馬鹿みたいに突っ立って彼を見つめていた。
「新しいアシスタントか?」彼の声は深くなめらかだったが、その口調は氷のように冷たかった。「ついてこい」
彼は自分のオフィスに向かい、私は慌てて後を追った。頭の中は完全に真っ白だ。『うそ、すごいイケメン……。でも、うわ、何この態度。集中しなさい、美咲! あなたは仕事をしに来たのよ、上司に見とれるためじゃない』
「篠原明人だ」彼は私に見向きもせず、デスクの向こうに腰を下ろした。「時間厳守で、仕事をこなし、余計な質問をしない人間が必要だ。君にできるか?」
「もちろんです、篠原さん」私はプロフェッショナルな声を出そうと努めた。
「よろしい。君のタスクリストは外にある。小春が案内するだろう」彼はすでに書類に目を落としており、明らかに私との用件は済んだという態度だった。
彼のオフィスを出た後も、心臓はまだバクバクと鳴っていた。本気で、なんで上司がこんなにかっこいいの? これでどうやって仕事に集中しろっていうの?
一日は、書類整理、会議のスケジュール調整、電話応対といった典型的なオフィスワークであっという間に過ぎていった。明人さんは冷たくてよそよそしいままだったけれど、少なくとも実際の仕事はそれほど難しくはなかった。ただ自分の仕事をこなして、考えすぎないようにしよう、と自分に言い聞かせ続けた。
でも、夜の九時になり、オフィスにいるのが私一人になった頃、とんでもない間違いを犯したのかもしれない、と不安になってきた。
お腹がぐぅっと鳴って、十二時間もまともな食事をしていないことを思い出す。首をさすりながら、明日の会議のための資料を整理し続けた。
その時、彼が私のデスクに向かって歩いてくるのが見えた。
明人さんはテイクアウトの袋を手にしていた。彼はそれを私の目の前に置き、食欲をそそる素晴らしい香りが漂ってきた。
「タイ料理の焼きそばだ」と彼が言った。
何が起きているのか理解しようと、私は彼を見上げた。「これ……私にですか?」
「食事を抜くな」彼の口調は相変わらず冷たいままだったけれど、その瞳にはどこか柔らかいものが宿っていた。
心臓がまた速く鼓動し始める。「ありがとうございます、篠原さん。本当に、そんなことしていただかなくても――」
「明人でいい」彼はそう言って、私のデスクの上のファイルに手を伸ばした。「もう勤務時間は終わってるし、二人きりなんだから、もっと気楽に呼んでくれ。俺は敬語がどうのこうのと堅苦しいことを言う年寄りじゃないからな」
彼が私に書類を手渡した時、彼の指が私の指に触れた。まるで電気が走ったみたいだった。でも、心地いい衝撃。私たちの視線が絡み合い、すべてが……止まった。
永遠に感じられるほどの間、私たちはお互いを見つめ合った。彼の青い瞳はあまりに強烈で、息もできないほどだった。
それから彼はさっと手を引っこめ、表情はまたいつもの仕事モードに戻っていた。「あまり遅くまで残るな」
彼は背を向けて去っていき、私は顔を真っ赤にしたまま、ただそこに座っていた。
よっやく残業が終わった、明人さんと私は一緒にエレベーターを待つことになった。ビルは空っぽで、あまりに静かで、お互いの呼吸の音まで聞こえてきそうだった。
エレベーターのドアが開き、私たちは乗り込んだ。狭い空間で、彼のコロンの香りがした――清潔で、高価な香り。平静を装おうとしたけれど、心臓の音が彼に聞こえてしまうんじゃないかってくらい、大きく鳴っていた。
十五階に着いた時、エレベーターが突然ガクンと揺れた。
私はバランスを崩し、明人さんの方へよろめいてしまった。彼は素早く私を捕まえ、片腕を私の腰に回し、もう片方の手は私が壁に頭をぶつけないように庇ってくれた。
彼の体温が感じられるほど、私たちは密着していた。彼が私を見下ろし、その青い瞳に何かが揺らめいた。
「大丈夫か?」彼の声はいつもと違って、少し掠れていた。
私は頷いたが、言葉を発することができなかった。気づけば彼の唇を見ていて、慌てて視線を逸らす。
エレベーターは再び動き出したが、明人さんはすぐには私を離さなかった。また長い間、見つめ合う。私はとろけてしまいそうだった。
「気をつけろ」彼はようやく私を離し、声はいつもの調子に戻っていた。
ドアが開き、私たちは別々の方向へ向かった。家に帰るバスの中で、私はまだ夢見心地だった。
アパートに戻ると、すぐに親友の美玲に電話をかけた。
「美玲、私、おかしくなっちゃいそう!」彼女が電話に出るなり、私は叫んだ。
「どうしたの? 初日、最悪だった?」
「ううん! 上司の明人さんが、なんていうか……危険な人なの!」私はソファに倒れ込み、顔を覆った。「すっごくかっこよくて、優しくて、でも冷たくて、もうわけがわからない!」
「待って、落ち着いて」美玲は面白がっているようだった。「それって、上司に気があるってこと?」
「わからない!」私は身を起こした。「最初に見た時なんてまともに考えられなかったし、そしたら夕食を持ってきてくれて、エレベーターで助けてくれて……。ああ、もう私どうしたらいいの?」
「美咲、深呼吸して」と美玲が言った。「ただ親切にしてるだけかもしれないじゃない」
「でも、彼の私を見る目が……」あの強烈な青い瞳を思い出すと、また心臓が速く鳴り出す。「美玲、絶対に何かあるって誓える」
「小説の読みすぎよ、変なこと考えないの。変な誤解でも生まれたら面倒でしょ」
私は数秒間黙り込んだ。確かに、あまり余計なことは考えない方がいい。それに前回の恋愛はひどい失敗だったし、仕事に集中した方がいいだろう。
でも、篠原明人という存在が、すでに私の頭をかき乱している。
「わかってるわよ」私はようやく言った。「でも考えるだけなら別にいいでしょ。ちゃんと分別はつけてるから」
電話を切った後、ベッドに横たわって天井を見つめた。明人さんのことが頭から離れない――彼の冷たい表情、あの温かい瞳、そして心臓が止まりそうになったエレベーターでのあの瞬間。
これが厄介なことになるのはわかっていた。職場恋愛、特に上司との関係なんて、ろくなことにならない。
でも、私の心はもう理性の言うことを聞いてくれなかった。
