第3章 この患者は私が引き受けた
武内夕子の顔にためらいの色が浮かぶのを見て、院長は焦りを隠せなかった。彼は武内夕子を隅に引っ張り、声を潜めて急かした。
「ドクター武内、この佐藤深は我々の病院の大口寄付者だ!彼が最新の医療機器を寄付してくれれば、病院の医療レベルは一気に向上する。これはあなた一人の問題ではなく、新安市の多くの市民の健康と福祉に関わることなんだ!」
院長の目には焦りと共に、圧迫感が漂っていた。
武内夕子はうつむいて考え込んだ。
新安病院は元々、武内夕子の第一希望ではなかった。離婚後、彼女はかつて働いていた海外の一流病院に戻り、安定した高待遇の職業生活を続けるつもりだった。そこには世界一流の研究環境、先進的な医療技術、そして豊かな給与待遇があり、多くの同業者が憧れる職場だった。
しかし、新安病院の院長が武内夕子を訪ね、新安市の医療レベルの低さを語った。ここには多くの普通の家庭の患者が、条件の制約で適切な治療を受けられず、病苦に苦しんでいるという話を聞いたとき、武内夕子の心の奥にある医者としての仁愛の心が深く揺さぶられた。彼女は海外のすべてを捨てて、この相対的に遅れた医療環境に身を投じる決意をしたのだ。
同時に、武内夕子は理解していた。彼女と佐藤深の失敗した結婚関係を除けば、鈴木悦子はただの普通の患者に過ぎない。ましてや、佐藤深が寄付する手術機器は将来多くの患者を救うことができる。武内夕子もそのことに心を動かされた。
武内夕子は唇を噛みしめ、長い沈黙の後、深く息を吸い、一言一言を噛み締めるように言った。
「院長、決めました。この患者、私が引き受けます」
院長は瞬時に喜びの表情を浮かべ、急いで武内夕子の腕を引っ張り、佐藤深の前に連れて行った。顔には満面の笑みを浮かべて言った。
「佐藤社長、ドクター武内が鈴木さんの手術を引き受けてくれました。手術機器の件は…」
佐藤深は鼻で冷たく笑った。
「すぐに機器を手配して送る。手術は即刻行うように」
武内夕子は眉をひそめ、冷たい目で初めて正式に対面する前夫を見つめた。
「手術の前に、患者の基本的な検査を完了させる必要があります」
そう言って、彼女は首を少し傾けて院長を見て尋ねた。
「まずは病室を案内してください」
院長の顔色が変わり、目が泳ぎ始めた。彼は唾を飲み込み、慎重に答えた。
「我々の病院の医療条件が限られているため、患者はまだ入院していません」
院長の声は自然と低くなった。
武内夕子の眉間に深い皺が刻まれ、佐藤深に向き直り、少し怒りを含んだ声で言った。
「患者が病院に来なければ、どうやって手術を行うのですか?」
佐藤深はその言葉を聞いて、感情が高ぶった。彼は急いで言った。
「悦子は今、佐藤グループの私立病院にいる。すぐに連れてくる」
武内夕子は冷静さを保とうとしながら、ゆっくりと話した。
「手術の前に、患者の体調を詳細に評価する必要があります。ご協力をお願いします」
佐藤深は目を一瞬も逸らさず、武内夕子を見つめ、審査するような目で言った。
「ドクター武内、手術に役立つことなら、何でも正直に話すつもりだ。ただ、成功の見込みはどれくらいあるのか知りたい」
佐藤深の焦りを見て、武内夕子は一瞬考え込み、真剣な表情で答えた。
「手術の難易度は非常に高い。全力を尽くすが、今の段階では成功率を確約することはできない」
院長は横で手を振り、佐藤深の疑念を払おうとするかのように、笑顔を浮かべてドクター武内を擁護したが、目は時折佐藤深に向けられ、声も震えていた。
「佐藤社長、ドクター武内の技術は非常に優れております。どうか信じてください」
佐藤深は再び武内夕子を見つめ、冷たい声で言った。
「そうであればいい」
佐藤深の焦る姿を見て、武内夕子の心には複雑な感情が湧き上がった。過去の認識が少し揺らぎ、佐藤深が完全に冷酷な人間ではないことを感じた。ただ、元妻に対してだけ冷淡で疎遠だったのだ。
そのことを思うと、武内夕子の心に一抹の切なさが広がった。しかし、今の佐藤深は彼女の前夫ではなく、患者鈴木悦子の家族だった。
武内夕子はその感情を心の底に押し込み、言葉を発しなかった。
院長と佐藤深が現状に異議を唱えなかったのを見て、武内夕子は軽く頷いて示し、二人に別れを告げた。彼女は背筋を伸ばし、少し孤独な姿でオフィスの方向へと歩き出した。高いヒールが床に響く音だけが、広い廊下にこだました。

































