第1章
空港は、人の声で沸き立っていた。
藤堂光瑠はジャスミンの花束を抱えていた。夫である薄井宴への贈り物だ。
薄井宴は今日、海外から帰国する。彼女は迎えに行くと約束していた。
考えてみればおかしな話だ。結婚して二年になるというのに、彼女はまだ自分の夫がどんな顔をしているのか知らないのだから。
空が次第に暗くなってきたが、藤堂光瑠がいくら待っても、その人は現れなかった。
「もしかして、もう帰っちゃったのかな」
藤堂光瑠は小声で呟き、家の家政婦に電話をかけようと携帯を取り出したその時、目の前がふいに黒い影に覆われた。
暗闇の中、その人の顔立ちは見えない。ただ、その手が焼け付くように熱いことだけがわかった。
彼女が反応する間もなく、真っ暗な休憩室へと引きずり込まれる。
男は彼女をソファに押し倒すと、乱暴に服を引き裂いた。
「ん……やめ……」
藤堂光瑠は必死に目の前の男を突き放そうとしたが、もがけばもがくほど、男の攻勢は激しくなる。
ついに下着のホックが外され、美しい体が男の前にあらわになった。
藤堂光瑠は悲鳴を上げて逃れようとしたが、がっしりと押さえつけられてしまう。
男は貪るように彼女の乳房を吸った。
「安心してくれ、責任は取るから……」
熱い吐息が耳元にかかり、硬く巨大なものが無理やり下半身に押し込まれる。
激しい痛みの後、やってきたのは痺れるような快感だった……。
藤明かりの視界はどんどんぼやけていき、揺さぶられるうちに、彼女は深く眠りに落ちていった。
どれくらい眠っただろうか。携帯の着信音が鳴り響いた。
藤堂光瑠が目を開けると、辺りは薄暗く、隣で衣擦れの音がする。
藤堂光瑠の心臓がどきりと跳ねた。
彼女は声も出せずにいると、やがて男がドアを開けて出ていった。それでようやく息をつくことができた。
彼女はそっと服を着た。
ドアの外から男の声が聞こえ、好奇心からドアを少しだけ開けてみる。
見えたのは男の後ろ姿だけだった。携帯を片手に、電話をしているようだ。
「人を探させろ。連絡がついたら一度戻るように伝えろ。離婚する」
「慰謝料は払うと伝えろ」
廊下は騒がしく、加えて男の声が小さかったため、藤堂光瑠には彼が何を言っているのかはっきりと聞き取れなかった。
昨夜の男の行為を思い出し、彼女は途端に顔が熱くなるのを感じた。
この男は少し乱暴だったけれど、女としての快楽を教えてくれた。
しかし、自分は既婚者だ。
ということは、自分は今、不倫をしたということになるのだろうか。
自分のドラマチックすぎる境遇に、本当に言葉も出ない。
他の男とわけもわからずセックスをして、しかもそれを楽しんでしまったなんて……。
そう思うと、藤堂光瑠は自分がひどく汚らわしい存在に思えた。
その時、ベッドの上の携帯が突然鳴り出した。
家の家政婦である王さんからだった。
男がこちらを振り返るのを見て、藤堂光瑠はすぐさま携帯を覆い隠し、急いで裏口から逃げ出した。
外に出て、ようやく電話に出る。
「奥様、やっと電話に出てくださったんですね! 昨夜は一体どちらへ? 十数回もお電話したのに出られなくて、本当に心配したんですよ」
王さんは焦った声で言った。「旦那様がお戻りになりました!」
藤堂光瑠は心臓が跳ねるのを感じ、尋ねた。「もう家に着いたの?」
「旦那様はまだお戻りではありませんが、奥様に先に戻るようにと。離婚協議書は書斎の机に置いてあるので、急いでサインするように、とのことです」
離婚協議書?
藤堂光瑠は雷に打たれたような衝撃を受けた。
結婚して二年余り、一度も会ったことのない夫。
やっと会えると思ったのに、第一声が離婚だなんて……。
まさかこの藤堂光瑠、一生孤独な運命なのだろうか。
藤堂光瑠は鼻をすすった。「わかったわ。すぐ帰る」
藤堂光瑠は急いで服を整え、別荘へと戻った。
屋内には、すでに弁護士が待っていた。
藤堂光瑠が来たのを見て、弁護士は立ち上がり、恭しく手を差し伸べた。「あなたが藤堂光瑠さんですね?」
藤堂光瑠は頷いた。
弁護士は前もって用意されていた離婚協議書を藤堂光瑠の前に押しやった。
「こちらは薄井さんから依頼された協議書です。薄井さんは慰謝料として十億円、それからこの別荘と高級車五台をあなたにお渡しする意向です。これらは全てあなたへの補償となります。どうぞ、目を通してください」
藤堂光瑠はその協議書を手に取り、一枚一枚めくっていく。
薄井宴という人は、この結婚に不満があったのか、結婚式当日も姿を見せなかったが、彼女に不自由をさせたことは一度もなかった。
実のところ、藤堂光瑠も薄井宴の愛を求めたことなどなかった。
そもそも、薄井宴が娶るはずだったのは彼女ではなく、妹の藤堂欣だったのだ。
巷の噂では、薄井宴は体の不自由な人間だという。養父母は実の娘に苦労させたくない一心で、彼女を妹の代わりに政略結婚させたのだった。
最初は彼女も抵抗した。
しかし、やがてそれを受け入れていった。
体の不自由な人だって、自分に優しくしてくれるなら、共に穏やかな日々を過ごしたいとさえ思っていた。
それなのに……今では彼も、私を要らないというの?
「藤堂お嬢さん、問題がなければ、こちらにサインを」
弁護士が署名欄を指し示した。
藤堂光瑠は涙をぐっとこらえ、それでも「藤堂光瑠」の四文字を書き記した。
「残りは弁護士に任せればいい」
薄井宴は電話を切った。
休憩室を振り返ると、氷のように冷たい瞳に一筋の優しさがよぎる。
昨夜、彼の食事には薬が盛られていた。解毒のため、彼は無理やりこのお嬢さんの純潔を奪ってしまった。
しかも、彼女の初めてを。
彼は彼女に責任を取ると約束した。その言葉を違えるわけにはいかない。
