第4章
レイア視点
彼は沈黙した。
あの金色の瞳で私をじっと見つめたまま、何も言わない。
カッと頭に血が上る。踵を返して歩き出そうとした瞬間、腕を乱暴に掴まれた。
「触るな」
私はその手を振り払う。
「てめぇが腹括るまではな」
「待て」
ゼインが深く息を吸い込む。その声は酷く沈んでいた。
「レイア。俺は、あいつの兄貴に命を救われた」
私は足を止めた。
「五年前の国境紛争だ。ケイドは俺を逃がすため、敵の群れに捕らえられた」
彼の喉仏が動く。何かを必死に押し殺しているようだった。
「俺が奪還に向かったときには……あいつは銀の刃で木に縫い止められていた。内臓を抉られ、両目もくり抜かれた状態でな」
彼の指が強く握り込まれ、関節が白く浮き出ている。
「あいつは息を引き取る寸前、俺に誓わせた。――シエナを、自分の妹と同じように守れと」
少しの間のあと、彼は私を見据えた。
「だから、俺はまずシエナを探さなきゃならない。そのあとお前がどう決断しようと、たとえここを出て行くと言っても……俺は尊重する」
私は奥歯を噛み締めた。
罵倒してやりたかったが、言葉が出ない。
クソッ。
そんな血の負債を持ち出されたら、反論のしようがないじゃないか。
「……上等だ」
私は鼻で笑い、彼を押し退けて歩き出す。
「さっさと行くぞ。お前の『可愛い妹』に、崖っぷちで一人芝居を長くやらせるな。待ちくたびれちまうだろうが」
――
山道は薄暗く、ひどく険しい。
私は早足で進み、ゼインがすぐ後ろを歩く。捜索隊はすでに周囲へ散開しており、木々の間を懐中電灯の光束が慌ただしく揺れ動いていた。
急斜面に差し掛かったとき、私は足を滑らせた。
すかさず彼の手が私の手首を掴み、そのまま手のひらへと滑り降りて――指を絡ませ、強く握り込んできた。
「離せ」
私は振り解こうとする。
「こんなに人が見てるのに――」
「離さない」
彼の親指が、私の脈打つ手首をなぞる。
「お前は俺の伴侶だ。俺が手を握って何が悪い」
「すぐにそうじゃなくなる」
「今はまだそうだ」
さらに何度か腕を捩ってみたが、微動だにしない。この馬鹿力め。
……もういい、勝手にしろ。
――
黒風崖に到着したとき、捜索隊はすでに散っていた。
地面には争った形跡がある。引き裂かれた布切れ、深く刻まれた爪痕、そして踏み荒らされた草むら。
一人の守衛が、血のついたシエナの破れたショールを持ってきた。
空気が一瞬で張り詰める。
ゼインは即座に獣化し、捜索エリアを割り振り始めた。
「北に三班、東に二班、西の崖沿いに一班だ。何か見つけたら、すぐ心霊リンクで報告しろ」
群れの者たちも次々と獣化し、闇の中へと散っていく。
私はそれを冷ややかに見つめていた。
血痕が新しすぎるし、布の裂け方も不自然なほど整っている。本当に襲撃されたか、さもなければ――あの女の演技力がまた一段と上がったかだ。
本隊が出発したあと、私はその大勢には続かず、茨に覆われた獣道へと踵を返した。
私が列を離れたことに気付き、ゼインが声を上げる。
「レイア!」
「あんたは自分の道を行け。私は私で行く」
振り返りもせず、私は言い放つ。
「どっちが先にあんたの『可愛い妹』を見つけるか、競争と行こうぜ」
この道は滅多に人が通らない。だが、私は黒月の領地に来た初日に、周辺の地形をすべて頭に叩き込んである。
もしシエナが本当に襲われたのなら、一番身を隠しやすい場所に逃げ込むはずだ。だが、もしこれがただの狂言なら――彼女は必ず、捜索隊を見下ろせる高台にいる。
私は尾根に沿って登っていった。
鋭い岩肌や茨が皮膚をかすめるが、そんなことはどうでもいい。
案の定、見晴らしの良い高台で彼女を見つけた。
そこは開けた地形で、黒風崖全体を見渡せる。そのくせ、本当の崖っぷちからは十メートル以上も離れた安全圏だった。
シエナは私に背を向け、腕を組んでのんびりと立っている。あろうことか、鼻歌まで歌っていた。
私は岩に寄りかかり、ゆっくりと口を開いた。
「お芝居は済んだか?」
シエナが弾かれたように振り返る。私を見た瞬間、その顔に張り付いていた笑みが凍りついた。
「ゼインは?」
「下で捜索の指揮を執ってるよ」
私は眉を上げる。
「襲われたんじゃなかったのか? 悲鳴ひとつ聞こえなかったが」
彼女の顔がスッと険しくなる。
「何しについて来たの? ここにあなたは用はないわ」
「みんなお前を探して駆け回ってるぜ。暗闇の中、喉が枯れるまで名前を呼んでな」
私はゆっくりと距離を詰める。
「で、当の本人ときたら? こんな安全な場所で、髪の毛一本すら傷ついてない。とても遭難した奴のツラには見えないな」
彼女は私を数秒間睨みつけ――ふいに笑い出した。
冷たく、歪んだ笑み。まるで、ようやく猫を被る必要がなくなったとでも言うように。
「私とゼインは幼馴染よ。兄は彼のために死んだの」
彼女は一言一言、噛み含めるように言った。
「あなたのその忌々しい婚約さえなければ、私がとっくに彼のルナだったはずなのに」
「あいつが本気でお前を求めてたなら、紙切れ一枚で止められるとでも?」
私は視線を真っ直ぐに受け止める。
「笑わせるな」
「自分が何様だと思ってるの?」
彼女は冷笑し、その声は次第に甲高くヒステリックになっていく。
「東部から来たただの野蛮な小娘のくせに。地位も血統もなく、この地になんの根を下ろしてもいない。そんなあなたが、私に勝てるとでも?」
「勝てるだと?」
私は笑い返す。
「彼の狼が私を選んだ。それだけだ。――同情を引くしか能のない、哀れな雌犬じゃなくてな」
「この、クズがッ!」
彼女が猛然と飛びかかってくる。その両手には鋭い爪が光っていた。
私は身を躱し、裏拳で彼女の手首を捕らえ、力任せに捻り上げて地面に叩きつけた。
「もう一回やってみるか?」
私は彼女をねじ伏せたまま見下ろす。
その攻防の最中、私の首にかかっていた銀のネックレスが弾け飛んだ。ちぎれたチェーンと共に、ペンダントが彼女の足元に転がり落ちる。
――マヤのペンダントだ。
彼女の目が怪しく光った。私が一瞬だけ力を緩めた隙を突き、彼女はそのペンダントをひったくる。
私の血の気が引いた。
「置け。今すぐにだ」
私の反応を見て、彼女は気味の悪い笑みを浮かべた。
「へえ、あなたにも大事なものがあったのね。これ、よっぽど大切みたいじゃない?」
「二度は言わない」
私の声は氷のように冷え切っていた。一歩、また一歩と距離を詰める。
「返せ」
彼女はじりじりと崖の縁へと後退し、ペンダントを高く掲げた。
「欲しい? だったら自分で取りに来なさいよ」
「やめ――」
私が一歩踏み出した瞬間。
彼女は突然、ペンダントを崖の下へと力一杯投げ捨てた。
