第3章 それは愛ではなく、独占だ

ナタリー視点

レヴィは私の腕を乱暴に引き、宴会場を突っ切っていく。掴まれた手首が、ずきずきと痛んだ。

そのまま書斎へ押し込まれ、背後でドアがバタンと閉まる。ようやく手を離したかと思えば、彼は怒気を押し殺した声で吐き捨てた。

「ナタリー、お前、気でも狂ったのか? 自分がさっき何をしたか、分かってるのか」

私は手首をさすった。もう赤い指の跡がくっきり残っている。

「本当のことを言っただけよ」

「どうしてここに来た?」

端正な顔に苛立ちを張りつかせたまま、彼は睨みつけてくる。

「なんでリリアンにあんな恥をかかせた? 言っただろう。あいつはうちにとって重要な取引先の娘なんだ。軽く見ていい相手じゃない」

私は鼻で笑った。

「呼んだのはあなたのお母様よ。むしろ聞きたいのはこっち。ルクセンブルクへ出張中のはずのあなたが、どうして実家のパーティーにいるの?」

レヴィの表情が止まった。整った顔を、かすかな驚きがかすめる。

「母さんが、お前に電話したのか?」

「ええ、もちろん」

私は首を傾げた。

「何を企んでいるのか、一度きちんと聞いてみたら?」

彼は両手をぎゅっと握り締めた。それから深く息を吸い、いつもの冷静な仮面をかぶり直す。

「母のことは俺が片づける」

低く抑えた声。

「だが、お前も分かれ。もう騒ぐな。誰の得にもならない」

私は一歩、彼へ近づいた。

「レヴィ、いっそ私と離婚したら?」

真正面から見上げる。

「そうすれば、リリアンと堂々と一緒にいられる。彼女だって屈辱を味わわずに済むし、あなたも欲しいものを手に入れられる。なのに、どうしてそこまで拒むの?」

沈黙。

重く、湿って、息さえ詰まるような沈黙だった。

やがて彼の顔から怒りが引いていく。代わりに浮かんだのは、もっと冷たいもの。もっと計算高いもの。

「まだその話か」

彼の声が、ぞっとするほど低く沈んだ。

「いいだろう。離婚したいならしてもいい。だが、その前に一つだけ思い出させてやる」

嫌な予感が、胃の底をひっくり返した。

「お前の両親だ」

彼の口調は不気味なくらい平板だった。

「もう若くない。特に父親は心臓が悪い。最高の病院で、最高の治療を受けられているのは、お前が俺の妻だからだ。だが、もしそうでなくなったら――」

そこで言葉を切る。

その余白だけで十分だった。脅しは、氷水みたいに全身へ一気に回っていく。

私は拳を握り締めた。

「レヴィ……最低」

「好きに言え」

彼は何事もない顔でネクタイを整えた。

「自由が欲しいんだろう? なら、その代わりにお前の両親は薬も治療も全部失う」

ぐらり、と世界が傾いた気がした。

脳裏に浮かぶのは父の顔。前に発作を起こしたとき、驚くほど弱って見えたあの姿。母だって、もうろくに歩けない。

震えそうになる声を、どうにか繋ぎ止める。

「私を縛るために……私の両親を人質にするの?」

「人質じゃない」

彼は淡々と言い切った。

「俺のものを守っているだけだ。お前は俺のものだ、ナタリー。俺が気が変わるその日まで」

その瞬間、胸の奥で最後に残っていた希望が、音もなく砕け散った。

もう別人だった。

かつてのレヴィじゃない。見知らぬ男。化け物。

けれど、今は逆らえない。両親のために。

私は唇を噛み、やっとのことでうなずいた。

「……分かったわ」

「それでいい」

満足げに頷いたあと、彼の表情がふっと和らぐ。

「自分に少し非があるのは認める」

彼は私の顔を包み込み、親指で頬をそっと撫でた。

「だが、俺はずっとお前を愛してる。リリアンなんてどうでもいい。お前だけが俺の妻だ。もう今日みたいに意地を張るな。いいな?」

その眼差しも、声音も、触れ方も――本物みたいだった。

けれど私の耳には、あの電話の声がこびりついている。

車の中で女と重なりながら、冷たく言い切った彼の声。

「彼女? とっくに飽きた。大事なのは、お前だ」

この優しさは全部、偽物だ。

ついさっきまで、私の両親を盾にして私を踏みにじっていたくせに。

胸が裂けるように痛んだ。耐えがたいほどに。

戦えない。今は、まだ。

でも――一つだけなら、できる。

私は腕を振り抜いた。

乾いた音が、部屋の空気を鋭く切り裂く。

レヴィの顔が勢いよく横へ弾かれた。完璧に整った頬に、みるみる赤い手形が浮かび上がる。

その鮮烈な赤が、彼の完璧さを壊していく。

それを見た瞬間、ぞくりとするほどの満足が胸を走った。

「それは愛じゃないわ、レヴィ。支配よ」

私ははっきり言い切り、ドアを開けて書斎を出た。

直後、背後で火山のような怒声が炸裂する。

「同じことだろうが!」

彼は吠えた。

「愛ってのは支配だ! 一番大事なものを失わないようにすることだ! 俺はお前を手放さない。絶対に!」

息が詰まった。

もう宴会場には戻れない。

空気が必要だった。呼吸できる場所が。

私は邸宅から離れ、石畳の小道を庭の奥へと進んだ。パーティーの喧噪は次第に遠のき、代わりに耳へ届くのは葉擦れの音と、自分の乱れた呼吸だけ。

離婚協議書には、もう署名させてある。

レヴィはまだ知らない。けれど、もう覆らない。

マーガレットから10億ドルが振り込まれたら、私は両親を連れてここを出る。彼の手が届かない場所で、人生をやり直す。

それまで待てばいい。

もう少しだけ。もう少しだけ、耐えればいい。

私は目を閉じ、荒れ狂う鼓動を鎮めようとした。

そのときだった。

何かが聞こえた。言い争う声。しかも、どんどん激しくなっていく。

「あなたは私を愛してなんかいない!」

女の声は甲高く、今にも壊れそうだった。

「一度だって愛したことなんかない! 私はただ都合のいい道具だった! 利用されるだけの女よ!」

私は足を止め、反射的に背の高い生け垣の陰へ身を潜めた。

葉の隙間から覗く。

見えたのは、金髪の女。怒りで顔を歪めていても、なお目を奪うほど華やかだった。

その向かいに立つのは背の高い男。顔は影に沈み、はっきりとは見えない。

「何か言いなさいよ!」

女の声がさらに上ずる。嗚咽が混じっていた。

「せめてもう一度くらい、私を騙してみせたらどう? それくらいの情けはないの!?」

男の口元が、皮肉っぽく吊り上がった。

「お嬢さん、嘘を聞きたいのか」

声音はどこか愉快そうで、ひどく冷たい。

「残念だが、俺は嘘はつかない」

「利用価値がなくなったら、こうやって捨てるの?」

女の声は掠れ、痛々しいほどだった。

「分かってたはずなのに。最初から、こうなるって――」

次の瞬間、ぱしん、と平手打ちの音が庭に響いた。

鋭く、容赦なく。

今日だけで何度目のビンタよ――思わずそんな考えがよぎる。

「呪ってやる!」

女の声が、今度はどす黒い悪意に染まる。

「一生、手に入らないものを追い続ければいい! 私に味わわせた空っぽさも、利用される惨めさも、自分の価値が何もないって絶望も――全部、あなたが味わえばいいのよ!」

そのあと、ヒールが石畳を打つせわしない足音が遠ざかっていった。

男だけがその場に残る。微動だにせず、夜の影の中に立ち尽くしている。

誰なのかは分からない。知る必要もない。

私は気づかれないうちに立ち去ろうと、そっと身を引いた。

そのとき。

「盗み聞きは楽しかったか?」

凍るような声が、静寂を真っ二つに裂いた。

全身が強張る。息まで止まった。

でも、もう遅い。鋭い視線が生け垣越しにまっすぐ私を射抜いていた。

「出てこい」

何気ない調子の命令。なのに、逆らう余地がまるでない。

……最悪。

私はゆっくりと生け垣の陰から姿を現した。

距離が縮まる。

薄暗い灯りの下で、ようやく男の顔が見えた。

私は息を呑んだ。

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