第103章

彼はきっと、坂下直樹にまつわる噂を耳にして会社に来たのだろう。田中進に今後の取引について尋ねたようだが、あいにく田中進は事情に詳しくないし、関わりたくもなかったらしい。そこで、私のもとへ彼を連れてきたというわけだ。

田中進が改まって私を紹介し、私が坂下直樹の妻だと告げると、その顧客は驚きの表情を浮かべた。ただ、田中進の手前、その場では何も言わなかった。

彼を会議室へ案内し、二人きりになると、その顧客はゆっくりと口を開いた。

「坂下……」

おそらく以前、坂下あゆみを『奥様』と呼んでいたのだろう。今さら私をそう呼ぶことに違和感を覚えているようだ。彼の当惑を見て取り、私は薄く笑った。

「...

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