第38章 一度だけ心を軟らかくしてくれ

九条千秋はその顔にぎょっとした。だが記憶を手繰ってみても、どこか見覚えが薄い。どこかで会ったはずなのに、輪郭だけが曖昧に霞んでいる。

彼は藤原由真に礼儀正しく小さく会釈し、そのまま脇を通って立ち去ろうとした。

ところが男の大柄な体が、まるで壁のように目の前を塞ぐ。逃げ道を残す気などないらしい。

九条千秋は腑に落ちない気持ちを抱えつつ、眉を寄せて穏やかに言った。

「すみません。通していただけますか」

声は柔らかく、丁寧で、聞いているだけなら誰も怒れない類のものだ。

……なのに、藤原由真はなぜかその声を聞くほど苛立っていった。

森川汐里とこいつが「何かある」と知ったせいだ。自分がい...

ログインして続きを読む